江戸時代

「チェスト」の掛け声で知られる薩摩・示現流とは

「チェスト」の意味

※画像 youtubeより

チェスト」の掛け声で知られている剣術が、薩摩藩において「御留流」として伝わっている「示現流」です。

この特徴的な掛け声について起源には諸説がありますが、ひとつには「知恵を捨てよ」が変じたものと言われています。
この流派の祖は、薩摩藩士の東郷重位(とうごうしげかた)という永禄4年(1561年)生まれの武士でした。

重位は若き頃は「タイ捨流」剣術を学んだとされています。その後、天正15年(1587年)に島津氏が豊臣秀吉の前に屈し、島津義久が上洛した際に重位もこれに同行して京に上ったとされています。

京の天寧寺の僧・善吉の剣術(天真正自顕流)と出会った重位は、その修行を経た後、天正17年(1589年)に国分郷の鳥越に戻りました。

この地で、京で学んだ天真正自顕流にタイ捨流の技とを合わせて、後に「示現流」と命名されることになる剣術を創始したものとされています。

薩摩藩の「御留流」

重位は、慶長9年(1604年)に藩主・島津忠恒の御前試合において、タイ捨流の東新之丞と勝負をしました。

試合は木刀で行われ、見事に重位は勝利を納めました。この結果に驚いた忠恒は、奥座敷に重位を呼んで重位に木刀を、自らは真剣を手に取って勝負しようとしました。重位は木刀で真剣に向かうことになっても、自若としていて顔色一つとして変えなかっいたとされています。

忠恒はこの態度に大いに感心して、重位の技を褒め、その場で自らが所持していた刀を下賜したとされています。
このことから、重位は島津家の兵法師範となり、四百石の禄を得て、その剣術を指南することになったのでした。

示現流

※島津斉興(しまずなりおき)

この後に南浦文之によって「示現流」という流派名が命名され、江戸時代の後期、島津斉興によって分家の佐土原藩を除いて、藩外の者に伝授することを固く禁じられた藩の「御留流」剣術とされました。

「示現流」は戦場で勝つことを目的にした実戦的な剣術であり、最初の一太刀に全力をかけ、その一刀で敵の両断を狙い、それが果たせなければ自らが倒される事も辞さないという激しい剣法でした。先の掛け声もそうした思想を反映したものと推測されます。

示現流 の修練

※示現流の稽古で用いる立木 wikiより

「示現流」の修練は、他の剣術のように、防具をつけた同士が相対するようなものではありませんでした。

その基本は「立木打(たてぎうち)」と呼ばれる方法でした。

これは直径が3寸から5寸の堅い木を、長さ9尺ほどに切って下の3尺程の部分を地中に埋めて立て、4間から5間の距離から走りながら手にした棒で力任せに打ちつけるというものでした。

その構えは蜻蛉(とんぼ)と呼ばれており、右側の頭上に木刀を構えた姿勢から、特有の甲高いかけ声とともに、連続で立木を打ち続ける修練が、重位の時代から明治まで受け継がれていました。

近藤勇の恐れた初太刀

※近藤勇

「示現流」は「一の太刀を疑わず」もしくは「二の太刀要らず」とも謳われ、「雲耀」(うんよう)というとにかく素早く剣を打ち下ろす斬撃を教えています。

初太刀で勝負を決するごとく斬りつける『先手必勝』を狙った鋭い斬り込みが特徴でした。但し初太刀を最重要視しつつも、初太刀から続けての技も皆無ではなく、初太刀で決することができなかった場合への対応の技も伝えられています。

しかし、その初太刀の強烈さ故、京で薩摩武士の「示現流」と相対した新撰組局長・近藤勇に「薩摩者と斬り合う時には初太刀を外せ」と言わしめた、との巷説も残されています。

幕末に「人斬り新兵衛」として名を馳せた薩摩藩の田中新兵衛も、厳密には流派は不明ですが、鹿児島の城下で育っていることから、世間一般的には示現流の流れを汲むものと考えらえれています。

 

swm459

投稿者の記事一覧

学生時代まではモデルガン蒐集に勤しんでいた、元ガンマニアです。
社会人になって「信長の野望」に嵌まり、すっかり戦国時代好きに。
野球はヤクルトを応援し、判官贔屓?を自称しています。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 松平信綱について調べてみた【類まれなる知恵で江戸幕府を支えた老中…
  2. 「徳川家に不幸をもたらした」 妖刀・村正
  3. 徳川家康は世界中と貿易しようとしていた 「鎖国とは真逆の外交政策…
  4. 江戸時代の大晦日の面白いエピソード 後編 「除夜の鐘と年越しそば…
  5. 徳川幕府転覆を計画した男・由井正雪 【数千人の浪人で江戸城を襲撃…
  6. 「関ヶ原」で大遅刻して家康に怒られた秀忠 「大坂の陣」では速すぎ…
  7. 『江戸時代のワクチン戦士』日本の医学を変えた日野鼎哉とは
  8. 江戸の大事件はこうして伝わった!庶民メディア「瓦版」の驚きの内容…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

『2025年7月の参院選』なぜ国民民主と参政党は躍進したのか?

2025年7月20日に行われた第27回参議院選挙は、自民・公明の与党が過半数を割り込む歴史的な結果と…

石田三成は、なぜ家康に敗れたのか? 「関ヶ原で敗れた3つの理由と、石田三成暗殺未遂事件」

徳川家康と石田三成の対立徳川家康と石田三成は、元々対立をしていたわけではなかった。…

ヤマトタケルの武勇伝を『古事記』と『日本書紀』で読み比べてみた

ヤマトタケルは日本神話のなかで、最大のヒーローといっても過言ではあるまい。勇猛果敢で…

【死んでも食べたい?】 甘い物への執着が異常だった 夏目漱石

夏目漱石といえば、日本の近代文学を代表する巨匠のひとり。旧・千円札の肖像画として馴染み深い方…

ロボトミー手術はなぜ行われたのか?「禁じられた脳治療」

ロボトミー手術とは、頭の両側に穴をあけメスをいれる外科手術のことであり、その目的は脳の前頭葉…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(週間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP