江戸時代

北辰一刀流 〜坂本龍馬も学んだ幕末最大の剣術流派

幕末最大の剣術流派

北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)は、幕末の動乱期にあって隆盛を極め、江戸ひいては日本国内で最大の門弟数を誇ったと伝えられている道場・玄武館で伝えられた剣術の流派です。

北辰一刀流 〜坂本龍馬も学んだ幕末最大の剣術流派

※開祖 千葉周作平成政 wikiより

江戸末期に千葉周作(ちばしゅうさく)が完成させたとされるこの流派は、かの坂本竜馬も江戸への剣術修行で学んだことでも知られています。

但し、竜馬は千葉周作本人やその道場ではなく、周作の実弟にあたる千葉定吉の桶町千葉道場に学んだものでした。

周作の道場・玄武館は、一説には門弟が約6,000名を数えたという一大流派でした。

二つの流派から派生

北辰一刀流は周作が創始したものではありますが、この元となったのが代々千葉家に伝えらえていた北辰夢想流でした。

これに更に一刀流を加えて編み出された剣技でした。

周作は寛政5年(1793年)頃、現在の宮城県気仙沼にて生を受けたという説が有力なようです。

幼少の頃から北辰夢想流を学んだ周作は、その後、父と松戸へと居を移すとその地で一刀流の中西道場において剣を学びました。

こうして二つの流派を極めた周作は、やがてそれらを合わせた独自の剣術へと昇華させていきました。

その後の文政5年(1822年)に江戸において玄武館を創設し、神道無念流の練兵館、鏡新明智流の士学館を凌駕する門弟数を得た流派として隆盛を極めました。

水戸藩の剣術師範

北辰一刀流 〜坂本龍馬も学んだ幕末最大の剣術流派

玄武館跡 wikiより

北辰一刀流・玄武館の剣術の特徴にはその合理性が挙げられます。

ややもすると精神主義に陥りがちな他の剣術と比較して、周作自身が学問の朱子学を学ぶことを推奨していたこともあり高い合理性を持った流派でした。

また稽古の方法も、竹刀と防具を使用した実践的な打ち込み稽古を中核としており、これは今に通じる剣道の形の元祖とも言える稽古法と言えるものでした。

また周作は天保10年(1839年)には水戸藩藩主であった徳川斉昭に聘招されて同藩の剣術師範に任じられ、2年後の天保12年(1841年)には馬廻役に取り立てられて100石取りの待遇を得ました。

こうして水戸藩との繋がりを得た北辰一刀流・玄武館でしたが、高弟達が先鋭的な水戸天狗党との関りを持ったことで、一時は幕府から咎められる立場にも置かれました。

財布に優しい剣術

北辰一刀流・玄武館の門弟として名高いのは、僅か5年の修行で免許皆伝を成し遂げた海保帆平や、浪士隊を幕府に献策した策士・清河八郎、幕臣の山岡鉄舟、新選組の藤堂平助山南敬助などが挙げられます。

剣術としては「」に優れたものと謳われ、先の竹刀を用いた修練手法に加えて、それまでの剣術では会得するのに8つの段階が設けられていたものを大幅に削減し、3つの段階へと簡略化して、時間そのものを短くすると同時にかかる費用も抑えた流派でした。

その3つの段階とは「初目録」「中目録」「大目録」というものでした。

この当時の風習では、こうした段階を上る毎に師を始めとする関係者に御礼を行うしきたりとされていたことから、費用的な部分で貧しい人物には大変な負担を強いるものでした。

このため、費用的に負担の少ない、他の比べてお金のかからない北辰一刀流・玄武館の段階制度は門人達に歓迎されたと伝えられています。

明治以後の北辰一刀流

周作は安政2年(1856年)に死去し、嫡男の孝胤も病で早世していたことから、二男の成之が受け継ぎました。

しかし成之も早世し、三男の光胤が継ぎましたが1872年(明治5年)に没して宗家としては廃絶されることになりました。

明治・大正時代には北辰一刀流を学んだ多くの旧武士達がいましたが、以後には竹刀を用いた剣術の流派が統一されていき、その中に北辰一刀流も組み込まれていきました。

 

  • Xをフォロー
  • Threadsをフォロー
好きなカテゴリーの記事の新着をメールでお届けします。下のボタンからフォローください。

swm459

投稿者の記事一覧

学生時代まではモデルガン蒐集に勤しんでいた、元ガンマニアです。
社会人になって「信長の野望」に嵌まり、すっかり戦国時代好きに。
野球はヤクルトを応援し、判官贔屓?を自称しています。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 石川数正はなぜ家康を裏切ったのか? 【5つの説】 後編
  2. 琉球王国の歴史と文化について解説 ②
  3. 結城秀康【家康の実子にして秀吉の養子だった豪将】
  4. 【家康に仕えたイギリス人】ウィリアム・アダムス(三浦按針)
  5. 鬼平・長谷川平蔵はなぜ悪党の検挙率が高かったのか?【火付盗賊改方…
  6. 【死罪のほうがマシ?】江戸時代の過酷すぎる牢暮らしとは ~脱獄や…
  7. 徳川綱吉の「生類憐れみの令」は本当に悪法だったのか?
  8. 塙保己一は何をした人?渋沢栄一に匹敵する埼玉県「三大偉人」の苦難…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

ミステリー小説オススメ作品 「年間読書数100冊越えの筆者が選ぶ!」

皆さん、こんにちは。年間読書数100冊越えの本の虫、ライターのアオノハナです。日本国…

『精神病を患った天才画家』 ルイス・ウェイン ~妻と猫を愛した波乱万丈の人生

この作品は、ルイス・ウェインというイギリスの画家が描いた猫の絵だ。ルイス・ウェインは…

水戸黄門は本当に全国を歩き回っていたのか? 「副将軍という役職はなかった」

水戸黄門 といえば時代劇でおなじみの人物で、知らない人のほうが少ないくらいです。テレ…

上杉憲政について調べてみた【上杉謙信を誕生させた大名】

名門山内上杉家上杉憲政(うえすぎのりまさ)は、室町幕府から関東を統べる管領職に任じられていた名門…

【気性が激しすぎた天才画家】 カラヴァッジオの生涯 「指名手配されながら名作を描く」

カラヴァッジョは、光と闇の大胆で鮮烈なコントラストと、写実的で精緻な描写を持つ独自の絵画技術…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP