江戸時代

江戸時代の大晦日の面白いエピソード 後編 「除夜の鐘と年越しそば」

江戸時代の大晦日の面白いエピソード

画像 : 江戸砂子年中行事

前編では井原西鶴の「世間胸算用」から江戸時代の大晦日に関するエピソードをいくつか紹介した。

後編でも引き続き、江戸時代の大晦日に関する興味深いエピソードを取り上げる。

大晦日は商売の書き入れ時

江戸時代、年の瀬や大晦日は商売の書き入れ時でもあった。

新年を機に生活用品や商売道具を新しい物に換えようと人々が商品を買い求めたからだ。

世間胸算用」には、江戸の大晦日の賑わいの様子も記されていて、綿問屋は綿がまるで雪の山のように積まれ、江戸中の足袋屋や下駄屋が店から一足もないほどに売れたという。

まさに副題の通り「大晦日は一日千金」、中にはこれに便乗して欲を出す者もいたようである。

奈良の庭竈

江戸時代の大晦日の面白いエピソード

イメージ画像

奈良に八助というタコ売りがいた。

この八助、誰にも気づかれないのをいいことに、タコの足を1本切り取って7本にしていた。
切り取った1本の足は、まとめて煮物屋に売って儲けていたのだ。

ある年、調子に乗った八助は「忙しい大晦日なら足を2本切って6本にしても誰も気がつかないだろう」と、タコの足を2本切り取って売ることにした。

ところが、ある家の隠居に、そのことを見抜かれてしまったのである。

隠居に「それはどこの海で獲れたタコだ!足が6本のタコなど昔からの書物にも書かれてはいない。今まで多くの者が騙されて来ただろうが、もうお前の顔を覚えたぞ!」と一喝され、それ以来「足切りの八助」と呼ばれるようになり、商売ができなくなってしまったという逸話である。

平太郎殿

大晦日、ある寺の住職が「法話会を行なえば参拝客が押し寄せ、多くのお布施が集るだろう」と法話会を開いた。

しかしやって来たのはたったの3人だけで、お布施は灯り用の油代にもならなかった。

このままでは損をするだけだと思った住職は「忙しい大晦日にわざわざ来て下さって奇特なことだ、きっと阿弥陀様もこの3人を見捨てることはないでしょう」と言葉巧みに3人を帰そうとした。

すると3人は大慌てで身の上話を始めたのである。

まずは老婆が「怠け者の息子が私に、借金取りを追い払うのにお袋が神隠しにあったからそれどころではないと大騒ぎをして誤魔化すから、寺に行っていろと言われてやって来ました。だからこのまま帰る訳にはいきません」と言った。

その隣の男は「私は入り婿なのですが、商いに失敗してしまい怒った女房から追い出されました。ですからどうか寺に一晩泊めて欲しい」と言った。

最後の3番目の男は「私は借金取りから追われる身で、酒を飲みたいけれどもお金を誰も貸してくれない。そこで大晦日なら参拝客が多いだろうかと思い、幾つか草履を盗んでそれを売って酒に代えるつもりで寺にやって来たのに、盗むほどの草履がなくあてがはずれました」と言った。

結局、住職と3人の参拝者たちの「胸算用」は、どれもうまくいかなかったという話である。

つまりての夜市

大晦日、正月飾りは用意したものの、酒を買う金が無いと嘆いていた京都に住む鍛冶屋の亭主がいた。

その鍛冶屋の亭主は「よりにもよって元日に大好きな酒が無いとは新年を迎える甲斐がない。しかし借りるあてもないし、質屋に入れる質草もない」と嘆いていた。

どうしても酒が買いたい鍛冶屋の亭主は、夏の暑さをしのいだ編笠を見つけた。

江戸時代の大晦日の面白いエピソード

イメージ画像

次の夏までまだ間があるから、編笠を売って酒を買おうと思い夜市に向かったのである。
京都には古道具屋が多くあり、大晦日の夜も古道具を売買する夜市が開かれて賑わっていた。

どの店に売ろうかと探していると、高値で取引をするセリが行われていた。そこに編笠を出したが、たった14文(約350円)でセリ落とされてしまった。

鍛冶屋の亭主は「36文で買って1度しかかぶっていない編笠がたったの14文、これじゃあ正月の酒も1合しか買えない」と嘆いた。

貧しい人たちは、年を越すために生活道具を質に入れることが多かったという話である。

長刀(なぎなた)は昔の鞘

貧しい浪人の妻が質屋に持って来たのは、長刀のだった。

それに対し質屋の主人は「鞘だけでは何の役にも立たない」と言って突き返した。

すると浪人の妻は「これは父が関ヶ原の合戦で手柄を立てた長刀の鞘です。よくもご先祖様に恥をかかせたな!」と嘘を言って質屋の主人に泣きすがった。

すると質屋の主人はすっかり騙され、浪人の妻は銭300文(約7,500円)と玄米3升をせしめたという。

除夜の鐘と年越しそば

こうまでして民衆がお金を工面する理由は、正月を迎える準備をするためだった。
しかし「世間胸算用」には、現在では大晦日の定番であるものが書かれてはいない。

それは「除夜の鐘」と「年越しそば」である。

イメージ画像 wiki c Haruo.takagi

除夜の鐘の起源は、中国の宋時代(960~1279年)とされている。鬼を払うために寺院で毎月最終日に鐘をついていたのである。

この風習が鎌倉時代に宋から日本の禅寺に伝わって、人間の煩悩の数108回をつくようになり、江戸時代に多宗派の寺にも広まった。

おそらく江戸時代の人々にとって、除夜の鐘はまだ大晦日の風物詩としてとらえられてはいなかったのである。
そのため、井原西鶴も「世間胸算用」に除夜の鐘のことは書かなかったと思われる。

除夜の鐘が大晦日の風物詩になったのは、昭和2年(1927年)東京放送局(現在のNHK)が、上野寛永寺の除夜の鐘を大晦日にラジオで中継放送をした時からとされている。
それ以来、毎年ラジオ放送されて除夜の鐘が大晦日の風物詩となったのである。

年越しそばに関してだが、日本のそばの歴史は古く縄文時代の遺跡からそばの花粉が見つかっている。
古くは「そば粥」や団子状にした「そばがき」にして食べられていた。

現在のような麵の形である「そば切り」が庶民の間に普及したのは、江戸時代の元禄期頃(1689~1704年)、江戸で経済が発展し精米した白米を食べるようになったのがきっかけだとされている。
精米で取り除かれた「ぬか」に含まれるビタミンB1の欠乏で「脚気(かっけ)」が江戸で大流行したのだ。

あの豊臣秀吉も晩年、精米した白米ばかりを食べ続けたために、死因は「脚気」ではないかとされている。
そしてビタミンB1の不足を補う食べ物として「そばを食べると良い」という話が江戸の町に広まり「そば切り」が食べられるようになったのだ。

蕎麦屋イメージ画像

しかしこれは江戸を中心とした話で、井原西鶴が「世間胸算用」を書いた頃には大坂ではまだ「そば切り」は普及しておらず、当然年越しそばを食べる風習もなかったのである。

大晦日に年越しそばを食べるようになったのは、井原西鶴が亡くなった後の江戸時代中期を過ぎた頃からだとされている。

「そば切り」が普及していく中で、商家では毎月最終日に健康食として「晦日そば」として、毎月末に奉公人たちに振舞うようになったという。

中でも年の終わりの大晦日は盛大に行われるようになり、年越しそばを大晦日に食べるという風習になったとされている。

おわりに

井原西鶴が書いた「世間胸算用」は、大晦日から新年を迎える江戸時代の人々の様子がコミカルに描かれ、とても面白い内容となっている。

現在の私たちよりも、江戸時代の人たちの方が新年に向けて新しいものを買い換えようとする意識が高かったように思える。

関連記事 : 江戸時代の大晦日の面白いエピソード 前編 「井原西鶴の世間胸算用」

 

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