いつの時代にも、不思議な話に人は心惹かれるものである。
江戸時代にも奇怪な話に魅了された人物がいた。根岸肥前守鎮衛(やすもり)、町奉行をつとめた千石取りの旗本である。
奉行というお役目のかたわら約30年にわたって奇談を書きためた『耳嚢 : みみぶくろ』は、全10巻、1000話にのぼる随筆である。
根岸鎮衛とは
根岸鎮衛(ねぎしやすもり)は元文2年(1737年)生まれで、22歳の時に根岸家の養子となって家督を継いだ。
御家人とは言えわずか150俵の微禄に過ぎなかったが、勘定所の御勘定を振り出しに、42歳で勘定吟味役、その後佐渡奉行、勘定奉行を経て、寛政10年(1798年)町奉行となり、最終的に1000石の旗本となった。
『耳嚢』には、生前の鎮衛をよく知る志賀理斎と吉見儀助によって書かれた鎮衛の人物評が附されている。
二人による根岸鎮衛の逸話を紹介しよう。
・人から出世を褒められると、「出世は天恵によるもので、妻も今でこそ女中を使い何もしなくていい身分になりましたが、昔は自分で豆腐を買いに行ったり、みずから台所で釜の世話をしたりするような身分だったのですよ。わっはっは」と高笑いをした。
また、親類縁者が引き立ててくれとしきりに言ってきても、「誰もが精勤すれば天恵を受けられるものだ」と言って身内びいきの人事は行わなかった。・日本橋近くの川の工事が行なわれた時、仕事に励んでもらおうと人足の頭である老人夫を叱咤激励した。頭は涙を流して喜んだ。
その後、大雨のせいで川があふれた時、頭は鎮衛の期待にこたえようと持ち場を離れず、溺死してしまった。それを聞いた鎮衛は、「自分が余計なことを言って重責を負わせたばかりに命を失わせてしまった」とひどく後悔し、遺族に弔慰金を与えた。・冬の朝、自分の頭巾がなかったので、奥方のお高祖頭巾を巻いて出かけた。
また、芙蓉の間の役人と一緒に登城した時、鼻をほじっていると下乗橋の辺りで大きな鼻くそが取れたので、橋の擬宝珠にこすりつけて平然と通った。・家が火事になった時に便所に入っていた。みなが「火事だ」、「早く便所から出てください」と言っているのにまったく慌てることなく、家が焼けるのもかまわず用を足して、ゆっくりと出てきた。
まさに豪放磊落。人のうらやむような出世をしても偉ぶることもなく、人情に篤く、飾らない。
町奉行としても有能で、市井の事情に通じ、時には前例に拠らない公平無私なお裁きで名奉行とうたわれた。
『耳嚢』とは
『耳嚢 : みみぶくろ』は、根岸鎮衛が佐渡奉行時代(1784-87)から亡くなる前年の文化11年(1814)まで、約30年にわたって公務の暇に古老の話や来訪者の雑談などを書きためた随筆である。
特に大きな目的があった訳ではなく、人から聞いて面白いと思った話や子孫の心得になるだろうと思われたことなどを、書き損じの紙の裏に書いて袋に入れておいたものが、塵も積もれば山となっていたと序文に記されている。
『耳嚢』の中には、うそ偽りの噂話や作り話としか思えない話も含まれているが、鎮衛は真偽を論じることはなかった。話の選定基準は事実かどうかではなく、あくまでも自分が面白いと思ったかどうかだったのだろう。
話し手は、高級旗本、同僚、下役、医師、剣術者、講釈師などである。話の内容はほとんどが奇異談や世間の噂話であり、狐狸妖怪、幽霊、神隠し、ほろっとさせられる人情話など多岐にわたる。また、話し手に医師がいることもあって、病の治療方法や妙薬の話、まじないによる治療法なども多く書かれている。
今回はまじないに関する話をいくつか紹介しよう。
・子どもの喉に骨が刺さった時は、鵜の羽の上に箸を置いて、「骨かみながせ伊勢の神風」と3回唱えて撫でると骨が抜ける。(巻之四 咽へ骨を立し時呪いの事)
・虫歯が痛む時には、韮の実を焼いて、その煙を管に通し、痛むところをいぶすとたちまちに効く。また、瓦を焼いて銅のお椀へ入れる。その上に韮の実をおいてお湯をかけ、立ちのぼる煙で耳を蒸すと耳から白い虫歯の虫が出てくる。(巻之ニ 虫歯痛みを去る奇法の事)
・鼻血が出た時、左の鼻の穴から血が出たときは自分の左の睾丸を握り、右なら右を、両方なら両方を握ればたちどころに鼻血が止まる。女性の場合は胸を握ってまじなえば、効果てき面である。(巻之四 鼻血を止める妙法の事)
もちろん江戸時代の何の科学的根拠もないまじないであるが、なぜこのようなまじないが生まれたのか考えてみると面白い。効果があった例もあったのかもしれない。
鼻血が出た際など、試してみるのも一興である。
参考文献:根岸鎮衛(1991).『耳囊 上/中/下』. 長谷川強校注.岩波書店
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