年末年始や季節のイベントには、宝くじ売り場に並んで買い求める人を良く見かけます。
高額当選を夢見て、ドリームジャンボを買ったことがある人もいるでしょう。
一攫千金を夢見るのは今も昔も同じ。
江戸の人々も江戸版宝くじである「富くじ」を買い求めて、販売当日は大賑わいだったと言われています。
今回の記事は江戸の人々が熱中した「富くじ」について紹介します。
販売当日は大賑わい!意外と高額だった富くじの金額
富くじが発売される当日には、すごい人だかりで大騒ぎでした。
その様子は落語などでも描かれており、袖は取れるわ、帯は解けるわ、もみくちゃ状態にされるため「富くじを買うときは丸裸で行け」なんて言われていたそうです。
富くじは寺社奉行(寺社の統制や寺領民など管理する幕府の役職)が管轄しており、お寺や神社が修繕目的でお金を集めました。
富くじは始まった初期は、一枚一分程度の金額でした。現在の価値にするとおよそ3万円前後になるので中々の高額だったのが分かります。
その後、富くじは大ブームになり「もう少し安くしよう」と価格は下がりましたが、それでも半額の二朱。
現在の宝くじは1枚300円で買えるため、結構な金額ですね。
1回の宝くじの最高額は「百両、百五十両、三百両、五百両、千両」とありました。
現代の価値にするといくらなのかピンと来ない方もいると思いますが、おおよそ5千万~1億円くらいだったと考えられています。
江戸時代は初期、中期、後期で物価が大きく変動しているため、はっきりとした金額は推測しにくいですが、かなりの金額だったことは間違いありません。
当選したら村中大騒ぎ!華やかに練り歩き当選者をPR
もし、高額当選した場合は大八車(荷車のこと)を綺麗に飾り立て、お祝いの品を盛り、その上に賞金を乗せ、若い衆たちが大勢で三味線や太鼓を鳴らしながら当選者のところへ向かいました。
こういったお祭り騒ぎにすることで「当選者がでたよ!」とPRになり、周りの人たちの購買意欲を搔き立てたようです。
ちなみに荷車の上に乗っている祝いの品にかかった費用は、当選金額から引かれます。
さらに当選者は、近所の人たちにも奢らなければなりません。
まるでゴルフのホールインワンのようですね。
そして当選金額の一部を寺社に寄付したり、世話人にお礼を支払ったり、次回の富くじを強制的に買わされたり…など他にも費用がかかりました。
当選しても全額貰えるわけではなく、手元に残るのは7割程度だったようです。
人気を博した非合法の「陰富」 武家階級まで巻き込む事態へ
多くの人々が高額当選を夢見て買い求めた富くじですが、庶民にとってはやはり少し高額。
そのため富くじよりも安く買える「陰富(かげとみ)」というものが販売されるようになります。
これは個人が勝手にくじを作り、それを1文単位(現在価値で32円程度)にして販売したものです。
公式の富くじの番号が発表されると、それを瓦版に印刷して翌日配布。
そして同じ当選番号の人に8倍にして返す、という仕組みでした。
つまり1文買って当選すれば8文になるわけです。
8倍と聞くとなかなか夢があるように感じますが、非合法なので見つかると即お縄になります。
瓦版にて当選番号を配布する際には「富くじの当選番号ですよ」と言って売るとばれてしまうため「お話しだよ、お話しだよ」と言いながら売り歩いたようです。
つまり、表向きはただの瓦版を売っているんですよ、という形で販売していたのです。
非合法とはいえ安く富くじのドキドキ感を楽しめる、ということで陰富はたちまち大人気になりました。
元々は長屋の職人たちの娯楽のひとつでしたが、次第に武士たちを巻き込む事態にまで発展します。
江戸の御三家のひとつである水戸家で陰富がこっそりと行われ、それを聞きつけた茶坊主(大名の周囲で茶の湯の手配やおもてなしをする役割の人)の河内山宗春が強請ったという逸話も残っています。
いつの時代も、禁止されると余計にやりたくなるのは人の性(サガ)なのでしょう。
おわりに
現代でもドリームジャンボ宝くじの発売日に大勢の人が並ぶように、江戸時代の人々も夢を抱いてくじを買っていたのです。
販売日に賑わいを見せたり、非合法のくじが流行したりと、江戸の人々が熱中し興奮した息づかいが感じられる気がします。
時代は変わっても、1枚のくじに夢見る様子は変わりませんね。
参考 :
お江戸でござる 監修:杉浦日向子 構成:深笛義也
落語で読み解く「お江戸」の事情 監修:中込重明
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