江戸時代

病気の主人の代わりに、犬が一匹で江戸からお伊勢参りしていた『おかげ犬』

天下泰平の江戸時代、庶民の間で一大ブームとなった「お伊勢参り」。

その名の通り、三重県にある伊勢神宮を参拝するための旅であり、集団で参拝することは「おかげ参り」とも呼ばれていました。

旅といえば徒歩旅しかなかった江戸時代ですが、お伊勢参りは「一生に一度は伊勢参りを」が合言葉になるほどの人気となりました。

とはいえ、病気などの諸事情でお伊勢参りに行けない人も少なくありませんでした。

そこで、そんな主人に代わって、遠路はるばるお伊勢参りに出かけたのが「おかげ犬」と呼ばれる愛犬たちでした。

当時、お伊勢参りに行く旅人たちは、健気に旅をするおかげ犬たちを見かけると、手厚くサポートしたそうです。

おかげ犬とは、どのような存在だったのでしょうか。

おかげ犬

画像:内宮(皇大神宮)wiki c M.denko

「一生に一度は伊勢参り」が大ブームに

三重県伊勢市にある伊勢神宮は、四季を通して国内外から多くの参拝客や観光客が訪れる場所として有名です。

江戸時代の人気は今以上のものだったようで、電車や車などの交通機関がなかった時代にもかかわらず、お伊勢参りは空前の大ブームとなりました。

江戸時代の国学者・本居宣長(もとおり のりなが)による随筆『玉勝間』(たまがつま/たまかつま)によると、宝永2年(1705)の参拝客は、50日間で362万人にも達したそうです。

お伊勢参りは金銭的にも大変でしたが「死ぬ前に一度は行きたい」と願うほど憧れだったので、当時の人々は何とか時間とお金をやりくりして旅立っていました。

江戸から伊勢神宮までの徒歩旅は人にもよりますが、早い人で数週間、ゆっくりペースの人では数ヶ月ほどかかっていたそうです。

そのため、体が弱い・闘病中・歩けないなどの諸事情で、お伊勢参りに出かけられない人も少なくありませんでした。
そんな主人に代わって伊勢参りに旅立ったのが「おかげ犬」なのです。

おかげ犬

画像:「おかげ犬」のイメージ wiki c M.denko

「おかげ犬」の始まり

伊勢参りに向かう旅人に混じって、犬の旅人が見られるようになったのは江戸時代の後期です。
記録によると、最初に目撃されたのは明和8年(1771)のことで、その犬は「高田善兵衞」という名前の札を付けていたといわれています。

さらに、その犬は道中に旅人からもらったのか、銭を通した紐を首からぶら下げていて、銭がどんどん増えて重くなっているのを見かねた旅人が、銀貨に両替して軽くしてあげた……などの、ほっこりエピソードも伝えられています。

一説によると初めの頃は、病気などで自分が伊勢参りに行けない飼い主が、伊勢に向かう友人に「自分の代わりに愛犬を連れて参拝してほしい」と頼んだことが始まりだったそうです。しかし、いつの間にか主人の代わりに犬が単独で参拝するようになったのです。

そして、お伊勢参りをする犬は「おかげ犬」と呼ばれるようになりました。

「おかげ犬」の仕組み

画像 : おかげ犬 イメージ 草の実堂作成

「おかげ犬」は、どのようにして遠方の伊勢神宮まで辿り着いていたのでしょうか?

仁科邦男の『犬の伊勢参り』(2013年 平凡社)によれば、その仕組みは非常にユニークです。

まず、飼い主は犬の首に、旅の費用となる餌代、船賃、賽銭代などの銭と、参宮の旨および住所を記した木札を結びつけて犬を送り出します。道中で犬と出会った人々は、その木札を見て犬が伊勢神宮の方向へ進めるように導くのです。
この過程が繰り返され、やがて犬は伊勢神宮に辿り着いていたそうです。

無事に伊勢神宮に到着すると、旅人たちの助けにより、犬は神宮のお札を手に入れます。
お札を体に括りつけられた犬は、今度は首の木札に記された住所を見た人々の助けによって、帰路へと導かれました。

このように、おかげ犬は道中で出会う多くの人々の善意と協力によって成り立っていたのです。

もちろん、すべての犬が無事に戻ってきたわけではなく、途中で行方不明になってしまう犬も少なくなかったと考えられます。

歌川広重の『隷書東海道五十三次 四十四 四日市 日永村追分 参宮道』には、赤い鳥居の下で首に風呂敷のような荷物をくくりつけた白い犬が、旅人に何かをもらっている様子が描かれています。

画像:左側に白い「おかげ犬」が 画像:歌川広重「伊勢参宮・宮川の渡し」public domain

また、歌川広重『伊勢神宮・宮川の渡し』(上の絵)にも、多くの旅人に混じっておかげ犬が登場しています。

おかげ犬の話は日本各地に残されているそうですが、犬や飼い主の名前が伝わっているケースは少なく、石碑や犬塚なども全国でもあまり残されていません。

そこで今回は、現在でも石碑がある、福島県の須賀川市に住んでいた「シロ」の話をご紹介しましょう。

名犬「シロ」のお伊勢参りの話

その昔、福島県須賀川宿の宮先町で、代々庄屋を務める市原家という家がありました。

市原家で飼われていた白毛の秋田犬「シロ」は、人間の言葉を理解し、買い物や用事を行う賢い犬として町内で有名でした。

市原家では、毎年春に当主が伊勢神宮で行われる皇大神宮(内宮)の神楽祭りに参拝していました。しかし、ある年、当主の綱稠(つなしげ)氏が病に倒れ、お伊勢参りに行くことができなくなってしまいました。

画像:伊勢神宮 外宮 神楽殿 wiki c M.denko

そこで、主人の代わりに愛犬のシロが参拝することになったのです。
シロは「伝言が書いてる手紙、伊勢までの地図、旅費が入った袋」を首にくくりつけて、故郷を出発しました。

伝言には「この犬は福島県須賀川のシロといい、人の言葉が理解できます。どうか、伊勢までの道を教えて助けてあげてください。」と書いてあったそうです。

市原家の人々は、毎日朝晩神棚に灯明をあげ、道中の無事を祈っていたと伝わっています。

そして旅立ってから2ヶ月後、シロが無事に帰ってきました。

シロの首には「皇大神宮(内宮)で授かった神札、金銭奉納の受領書、道中での収支を記した紙、残った旅費」が入っていたそうです。
シロの利発さと健気な姿に感銘を受けた多くの旅人たちが、道中で手助けをしてくれたのでしょう。

そんな名犬、シロのお伊勢参り体験は町中に広まり、シロは町中の人々に可愛がられることとなりました。

そして、亡くなったあとは市原家の菩提寺・十念寺に手厚く葬られたそうです。
現在でも、十念寺には「シロの犬塚」があり、多くの人が訪れて手を合わせています。

画像:秋田犬、名犬「シロ」のイメージ photo.ac M.denko

「おかげ犬」は、お伊勢参りの旅人の間で広く知られるようになり、誰が見ても分かるように「お金と一筆書いた紙を袋に入れて、しめ縄でくくったもの」を犬の首につけて送り出すようになったそうです。

現代の感覚からすれば「犬のお金を盗むような不心得者はいなかったのか?」と心配になってしまいますよね。

ですが、江戸時代の人々は信仰心が篤く、伊勢神宮まで歩く犬に、寝床やご飯や水を与えたり、道を教えたりと助けることで「徳を積める」と考えていたそうです。

戦乱とは無縁の江戸時代だったからこそ「犬を助ける」という優しさや余裕があったのかもしれません。

その後、明治に入り、交通機関の発達とともに徒歩のお伊勢参りも徐々になくなり、「おかげ犬」も姿を消していきました。

現代でも人気の「おかげ犬」

画像:伊勢「おかげ横丁」photo.ac M.denko

伊勢神宮の皇大神宮(内宮)の宇治橋から徒歩5分ほどの場所にある「おかげ横丁」は、江戸から明治期の伊勢路の建築物を再現した街並みで、「おかげ参り」時代の雰囲気を楽しめます。

食事処・雑貨・お菓子屋などいろいろなお店が立ち並んでいますが、おかげ犬のグッズや、当時のおかげ犬のしめ縄を再現したものを装着できる「おかげ犬体験」などが大人気です。

画像:おかげ横丁で売っている「おかげ犬みくじ) photo.ac M.denko

伊勢神宮内に犬を連れて入ることはできませんが、ペット連れの参拝客のためにペット預かり処もあります。
おかげ横丁はペット同伴で散策を楽しめますが、ペットが苦手な人やアレルギーの方もいるので、配慮が必要です

ちなみに、外宮参道の「伊勢せきや」店舗側には、犬の上に柄杓を持った童が乗っている「柄杓童子」の像(藪内左斗司氏作)があります。

画像:おかげ横丁の柄杓童子 photo.ac M.denko

以下が説明文の内容です。

古来より神宮参詣は人々の憧れでしたが、実際にお詣りできないひとたちの願いを叶えたのが犬の代参でした。

柄杓を背にした犬が、たくさんの善意に守られながら道中を続けたといいます。

犬に跨がっている童子は、優しいこころの象徴です。籔内佐斗司

おかげ犬の物語は、江戸時代の人々の信仰心と善意が織りなした温かなエピソードとして、現代でも私たちの心に深く響き続けています。

参考:
犬の伊勢参り (平凡社新書) 仁科邦男
お伊勢参り – 江戸庶民の旅と信心 鎌田道隆
文 / 桃配伝子

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桃配伝子

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アパレルのデザイナー・デザイン事務所を経てフリーランスとして独立。旅行・歴史・神社仏閣・民間伝承&風俗・ファッション・料理・アウトドアなどの記事を書いているライターです。
神社・仏像・祭り・歴史的建造物・四季の花・鉄道・地図・旅などのイラストも描く、イラストレーターでもあります。

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