時は寛政3年(1791年)、山東京伝は教訓読本と称して3冊の洒落本を出版します。
・『仕懸文庫(しかけぶんこ)』
・『娼妓絹篩(しょうぎきぬぶるい)』
・『青楼昼之世界錦之裏(せいろうひるのせかい にしきのうら)』
そのタイトルから、どう見ても洒落本(性風俗をテーマにした戯作)の類であることは一目瞭然。たちまち絶版処分(発売禁止)を食らい、板元の蔦屋重三郎ともども厳罰に処されてしまいました。
筆者の京伝は手鎖(てじょう)50日……両手首を拘束した状態で生活。
板元の蔦重は身上半減(しんしょうはんげん)……全財産の半分を没収。
一体どんな物語を描いたら、こんなことになってしまうのでしょうか……というわけで、今回は山東京伝の洒落本『仕懸文庫』について、その内容を紹介したいと思います。
『仕懸文庫』はこんなあらすじ

山東京伝『仕懸文庫』より。訳ありげな二人。
ある初秋の昼下がり。三人の武士たちが大磯の遊里へ舟で出かけていきました。
武士たちの顔ぶれは30代くらいの朝比奈と、まだ20代の十郎・団三郎。
人生の先輩として、朝比奈が年若い二人を誘ってあげたのでしょうか。
舟は隅田川を下って永代橋をくぐり抜け、大島川へと入ります。地名に違和感があるのは、深川の岡場所をモデルにしているからです。
朝比奈の行きつけである料理屋・鶴が岡屋は昼間から大賑わい、さっそく二階へ上がって酒膳を囲みました。
ほどよく酒が回って来たところで、女中のお秀がやって来ます。
「あら朝さま、いらっしゃいませ。あいにくですが、お鶴さん(朝比奈の馴染み遊女)はただいま出張中でして、しばらくお待ちくださいませ」
朝比奈は先輩として余裕を見せつけようと、大らかに答えました。
「もちろんいいとも。ところでこっちの二人(十郎と団三郎)にいい娘を紹介してほしいんだ」
すると座敷についてきた船頭が「お二人ともご初会(初利用≒遊郭に不慣れ)だよ」と野次を飛ばします。
そんなものは華麗にスルーしながら、お秀と別の女中が遊女の空きを寄場(管理事務所)へ確認しました。
やがて二人の娘が座敷へ上がっていきます。
一人はお虎と言って年の頃は17歳ほど、もう一人はお団と言って年は20歳くらいでしょうか。
団三郎とお団は「団」つながりでお相手に、すると自動的に十郎とお虎の組み合わせに決まりました。
「それでは、お鶴が戻って来るまでひと騒ぎしよう」と幇間(ほうかん。たいこもち)や芸者を呼んで賑やかにしていると、間もなく出張からお鶴が戻って来ます。
みんなお相手が揃ったところで、いよいよお楽しみの床入りと行きましょう。
三組がいそいそと奥座敷へ向かい、幇間や芸者、そして船頭は気を利かせて引き上げます。もちろん船頭は帰りの送りがあるため、料理屋の一階で待機です。
奥座敷へ来て見ると、八畳一間を屏風で三つに仕切ってあるだけ。これだと声はもちろん、衣擦れの音すら筒抜けになります。
しかし予算が限られているため、あまり贅沢も言えません。時間もあまりないため、短くも濃密な時間を過ごすことにしましょう。
めいめい恋の誠を燃やしていると、やがて富岡八幡宮から入相の鐘が響きます。もうすぐ日没を告げる鐘で、武士は門限があるため帰らなければなりません。
名残惜しくはあるけれど、続きはまた来た時のお楽しみ。三人は舟に乗って帰途につくのでした。
……とまぁ、こんな内容です。
筋書きを見る限りではそこまで過激であったり、御政道を批判していたりする様子も見られませんが、恐らく単純に風紀を乱すという理由だったのでしょう。
『仕懸文庫』タイトルの意味は?

山東京伝『仕懸文庫』扉絵
仕懸(しかけ)とは遊女たちがまとう衣装を指し、文庫(ぶんこ)とは本来書物を納める箱や蔵を指しますが、転じて衣装箱の雅称となりました。
つまり、仕懸文庫とは「遊女たちの衣装ケース」転じて「遊里の内情、遊女たちの舞台裏」を連想させるタイトルになります。
さすがは遊び人の京伝先生と、吉原者出身の蔦重ならではのセンスと言えるでしょう。
本文はリアリティのある描写や通な遊び方など、精緻を尽くしたものでした。
その一方で、当局が推し進めていた風紀粛正にも一定の配慮はしていたようで、先ほどの「教訓読本」と銘打ったのはもちろん、男女間で恋の誠を重んじたことなども本作の特色と言えるでしょう。
舞台を鎌倉時代の大磯としたのも配慮の一環と言えるでしょうが、それでも内容を見れば洒落本以外の何物でもありません。
ほか『娼妓絹篩』『青楼昼之世界錦之裏』も基本的には同じ趣向であったため、当局から絶版処分を食らったのでした。
終わりに

山東京伝『仕懸文庫』より。彼女たちは何を話し合っているんだろう。
地本問屋の株仲間を発足させた蔦重(横浜流星)は、改めを行う行事たちをうまく丸め込み、山東京伝(政演)(古川雄大)作の三作品を『教訓読本』として売り出した。一方、きよ(藤間爽子)を失い、憔悴した歌麿(染谷将太)は、つよ(高岡早紀)とともに江戸を離れる。年が明け、しばらくの後、突然、蔦屋に与力と同心が現れ、『教訓読本』三作品について絶版を命じられ、蔦重と京伝は牢座敷に連行されてしまう…。
※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第39回放送「白河の清きに住みかね身上半減」より。
前回、何とか和解できた京伝先生と蔦重でしたが、これでは両者の間に再び亀裂が入ってしまうのは避けられないでしょう。
予告編で京伝が「蔦重が書けって!」と取り調べで言い訳していたり、鶴屋喜右衛門が「そういうところですよ!」と珍しくキレていたり……まだまだ波乱が続きそうです。
しかし今回の筆禍事件も悪いことばかりではなく、本件を通して京伝の名が全国レベルで知れ渡り、ますます人気が高まるという副産物もありました。
果たして京伝と蔦重に、どんな未来が待っているのか……森下脚本の冴えに期待しましょう!
※参考文献:
・水野稔 校註『新日本古典文学大系 米饅頭始 仕懸文庫 昔話稲妻表紙』岩波書店、1990年2月
・山東京伝『仕懸文庫』国立国会図書館デジタルコレクション
文 / 角田晶生(つのだ あきお) 校正 / 草の実堂編集部
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