大河ドラマ「光る君へ」で注目されている平安時代。
大化の改新以降、中央に権力を集中させた国家形成が行われました。この中央集権体制は平安時代の半ばまで続くことになります。
今回はその新国家のもととなっている律令法・律令制と身分階級について解説いたします。
律令法とは
「律」は刑法、「令」は刑法以外の行政法や民事法などのことで、律令国家の基本となる法典を指します。
律令法は、天皇の擁立・廃位を繰り返していた蘇我氏を乙巳の変(いっしのへん)で蘇我入鹿を暗殺することによって滅亡させ、ヤマト政権の土地・人民支配体制(氏姓制度)を廃止し、天皇中心の律令国家を目指したところから始まっています。
遣唐使が持ち帰った情報を基に唐の官僚制と儒教を受容し、日本になじむように変更が加えられました。
乙巳の変の後、皇極天皇は退位し弟の軽皇子が即位し孝徳天皇となり、中大兄皇子が皇太子になりました。
新国家を成立するにあたって左大臣・右大臣を置き、律令制度を実際に運営するための政治顧問として国博士が置かれました。
蘇我氏に変わって権力を握るのではなく、他国の情勢に即対応できるように権力を集中させて国政を改革するためであったと考えられています。
律令制とは
日本における律令制は、中国の制度を参考にしながら実施され、特に経済・軍事に関しては制度に即した国家運営が行われました。
大化の改新以降、権力を中央に集中させた国家実現への取り組みが行われます。
国民皆兵制による大規模な軍団、公地公民制の徹底、官僚制は全面的には行わず古代日本からの氏族制を認めて併用し、国司のもとで地方豪族を郡司に任命し、村落内の戸籍を作ることで律令制の諸制度を実質的に支えました。
律令制によって貴族層に権力を集めて中央で国家を支配するためには、貴族とそれ以外の身分を明確にしておく必要がありました。
律令法における階級
大化の改新によって、機内および近隣の貴族層が支配権を握るようになりましたが、地方豪族を介して支配するのではなく、官僚機関を置くことによって末端の人民まで統治しました。
身分秩序を法によって確立することが律令法の骨格となっています。
そのため民は「良・賤(りょう、せん)」の二つに大きく分けられ、その間に「品部・雑戸(しなべ、ざっこ)」の身分が置かれました。
さらに賤民の中でも5階層に区別され「陵戸・官戸・家人・公奴婢、私奴婢(りょうこ、かんこ、けにん、くにひ、しぬひ)」とされます。
婚姻は、同じ身分の中で行うことが決められていました。
良民は「貴族と平民」に分けられていましたが、明確な区別をする法はなく、五位以上の官位を持つ者の経済的・政治的特権は法によって保障されていました。
さらに平民に義務として課せられていた
租 (米で治める税)
庸 (男性に課せられた労役。米や布・塩で納めることも認められていた)
調 (繊維製品または地方特産物・貨幣による納入も認められていた)
雑徭 (インフラ整備など国司の権限で課せられる)
などの課税や兵役は、位を持つものは免除されていたのです。
このように身分・階級を明確にしておくことで、貴族層が特権と支配を維持できるようになっていました。
終わりに
大化の改新以降、律令制度を基本とした国家形成が行われ、平安時代においても武士が台頭してくるまでは貴族や天皇が中心となって政治が行われていました。
身分制度が明確になったことで貴族が中央で支配するようになりましたが、貴族たちもその官職内にそれぞれ位がありました。
平安貴族の一人であった紫式部が生きていた時代の政治を知ることで、さらにドラマが楽しめるようになることを願います。
参考文献
朝尾直弘「日本歴史大事典(小学館)」
中村修也「偽りの大化改新(講談社)」
笹山晴生編「日本律令制の展開(吉川弘文館)」
武光誠「律令制成立過程の研究(雄山閣出版)」
上杉和彦「日本中世法体系成立史論(校倉書房)」
佐藤進一「日本の中世国家(岩波書店)」
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