光る君へ

紫式部が嫉妬した才能? 和泉式部が詠んだ恋の和歌十首を紹介!【光る君へ】

和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ。うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉の、にほひも見えはべるめり。歌は、いとをかしきこと。ものおぼえ、うたのことわり、まことの歌詠みざまにこそはべらざめれ、口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目にとまる詠みそへはべり。それだに、人の詠みたらむ歌、難じことわりゐたらむは、いでやさまで心は得じ。口にいと歌の詠まるるなめりとぞ、見えたるすぢにははべるかし。恥づかしげの歌詠みやとはおぼえはべらず。

※『紫式部日記』より

画像:紫式部 public domain

【意訳】……和泉式部(いずみしきぶ)ね。彼女とは文通していたこともあったわ。まぁまぁ楽しかったけど、彼女の浮かれぶりはちょっといただけないものよ。
打ち解けてくると結構ぶっちゃけたことも書くようになって、文才も垣間見えたわね。
他愛ない言葉の端々にも品性が感じられ……たかしら。まぁ、悪くはないんじゃないの?
和歌の出来については、そこそこ良かったかもね。技法や理論についてはおいときましょう。
邪道ではあるけれど、見るべきものがないわけじゃない。テキトーに詠み連ねているようでありながら、時おり一首くらいは目をひく作品が出てくるわね。
でも、他人様の作品を批評できるレベルかと言われると、そこまでではありません。
世間では天才女流歌人としてチヤホヤされているようですが、正直それほどかしら。
私には、とてもそうは思えないのだけれど……。

はじめに

画像:清少納言 Public Domain

……というわけで、平安時代を代表する女流作家の一人・紫式部(むらさきしきぶ)は、和泉式部の批評を日記に書き記したのでした。

この後に赤染衛門(あかぞめゑもん)・清少納言(せい しょうなごん)と続くのですが、仮にも友達である和泉式部に対して、結構なこき下ろしようです。

ちなみに赤染衛門は「大した家柄でもないけど、和歌の出来は悪くない。分相応に慎ましくてよろしい(意訳)」だし、清少納言に至っては「あーいう『自称サバ女(サバサバした女性)』が一番ムカつく!〇ねばいいのにっ!」とばかり筆鋒鋭く書き散らしています。

※当時面識もなかった清少納言をやたら毛嫌いしているのは、彼女たちに対する嫉妬という説が有力のようです。

さて、冒頭に言及された和泉式部の歌才はどれほどだったのでしょうか。

今回は和泉式部の歌集『和泉式部集』より、彼女の作品たちを紹介。紫式部が嫉妬した?ほどの出来ばえを、一緒に堪能できたら嬉しいです。

『和泉式部集』より、恋の和歌を十首紹介!

和泉式部

恋多き歌人・和泉式部(イメージ)

花にのみ 心をかけて おのづから 人はあだなる 名ぞ立ちぬべき

【意訳】私はただ花に見とれていただけなのに、どういう訳か、人が噂するのです。

梅が香に 驚かれつつ 春の夜の 闇こそ人は 憧(あくが)らしけれ

【意訳】ふと気づいた梅の香り。春の闇ほど人の心を騒がせるものはないと知りました。

色に出でて 人に語るな 紫の 根摺(ねすり)の衣 着て寝たりきと

【意訳】昨夜、根摺の衣を着てあの人とすり合いながら寝たことを、どうか勘づかれませんように。でも、衣の紫色でばれてしまうかも。

素戔嗚の 尊を祈る ともなしに 越えてぞ見まし 並の八重垣

【意訳】スサノオノミコトが見張っている訳でもありませんから、八重垣を越えていらっしゃいな。

願わくは 暗きこの世の 闇を出でて 明(あか)き蓮(はちす)の 身ともならばや

【意訳】もしも願いが叶うなら、暗い俗世の闇を逃れ、明るい蓮の上(極楽浄土)で心安らかに暮らしたいものです。≒人からあれこれ噂されない世界に行きたく思います。

灯火(ともしび)の 風にたゆたう 見るままに 飽かで散りなん 花をこそ見れ

【意訳】風にゆれる灯火の向こうで、散りゆく花をずっと飽きずに眺めています。

床の上(へ)の 枕も知らず 明かしてき 出でにし月の 欠けを眺めて

【意訳】寝床の中で、枕に頭をつける≒横になることなく世を明かしてしまいました。ずっと月を眺めながら。

櫓(ろ)も押さで 風に乱るる 海女舟(あまぶね)を いずれの方に 寄らむとすらむ

【意訳】櫓を押すこともなく、風のままに流される舟は、どこに流れ着くのでしょうね。≒あなた(風)の気まぐれに振り回される私は、これからどうなってしまうのでしょうか。

散り散らす 見る人もなき 山里の 紅葉は闇の 錦なりけり

【意訳】誰も見ていない山里で散りに散っている紅葉の錦が、闇を彩っています。≒もったいなくはありませんか?来て見ようとは思いませんか?

試みに 己が心も 試みん いざ都へと 来て誘い見よ

【意訳】一度でも、自分の心を確かめてみなさい。「さぁ、都へ帰りましょう」と誘ってみてはどうなのですか。

……どれもこれも、恋を連想させる作品ばかり。なかなかに大胆なものもありますね。

本当に生前の彼女が詠んだのか、あるいは後世の誰かが
「和泉式部なら、このくらいのことは詠みそうだ」
とねじ込んだのか定かではありませんが、昔から恋多き女流歌人としての評判が確立されていたようです。

終わりに

和泉式部

画像:和泉式部 Public Domain

和泉式部。越前守大江雅致女也。天性巧和歌。……(中略)……歌世以為精妙。和歌之譽。與紫清諸女相抗衡云。……

※菊池容斎『前賢故実』より

【意訳】和泉式部は大江雅致(おおえ まさむね)の娘である。天性の才能で巧みな和歌を詠んだ。その精妙さから和歌の誉れとされ、紫式部や清少納言など、世の女流歌人たちと対抗するほどであったという。

以上、和泉式部の詠んだ和歌を紹介してきました。

果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、紫式部(まひろ)とどのような関係が描かれるのでしょうか。楽しみですね!

※参考文献:

  • 石井文夫ら訳・校註『新編日本古典文学全集26 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 讃岐典侍日記』小学館、1994年9月
  • 清水文雄 校注『和泉式部集 和泉式部続集』岩波文庫、1983年5月
角田晶生(つのだ あきお)

角田晶生(つのだ あきお)

投稿者の記事一覧

フリーライター。日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。(ほか政治経済・安全保障・人材育成など)※お仕事相談は tsunodaakio☆gmail.com ☆→@

このたび日本史専門サイトを立ち上げました。こちらもよろしくお願いします。
時代の隙間をのぞき込む日本史よみものサイト「歴史屋」https://rekishiya.com/

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【光る君へ】 紫式部が生きた平安時代はどんな時代だったのか? …
  2. 『平安の魔性の女』 和泉式部の美貌と才能に惚れた男たちとの恋愛遍…
  3. 【光る君へ】 清少納言の後夫・藤原棟世とは、どんな人物だったのか…
  4. 【光る君へ】みんなでケガレりゃ怖くない… 藤原道長はなぜ死穢に触…
  5. 清少納言と紫式部は、仲が悪かったというのは本当なのか?
  6. 【光る君へ】 敦明親王(阿佐辰美)の悲劇… 道長の野望により前途…
  7. 平安時代の「内裏」での女性の役職とは? 【光る君へ】
  8. 娘は殺され妻は犯され…紫式部の異母弟・藤原惟通とは何者か 【光る…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

熊本城 について調べてみた【類を見ない規模の石垣】

2016年4月14日、熊本を震度7の地震が襲った。熊本城 では、建物が倒壊し、強固な石垣が崩…

ワールドカップ2022の開催地カタールはどんなところ?

いよいよ始まったワールドカップ2022カタール大会。アジア圏内の開催は2002年日韓ワールドカッ…

武士の嗜み「武芸四門」とは?武田軍の最高指揮官・山県昌景(橋本さとし演)かく語りき【どうする家康】

武田軍の最高指揮官山県昌景 やまがた・まさかげ(飯富昌景 おぶ・まさかげ)[橋本さとし]…

平安400年間で花開いた国風文化の凄さとは 「ひらがな・カタカナの誕生」

奈良時代には大陸からもたらされた文化が色濃く残っていましたが、894年に遣唐使が廃止されると、日本独…

【光る君へ】 藤原彰子に仕えた小馬命婦(清少納言の娘)〜どんな女性だった?

平安文学を代表する随筆の一つ『枕草子』。その作者として知られる清少納言には、一男一女がありました。…

アーカイブ

PAGE TOP