行ってみた

頼朝に粛清された最強御家人・上総介広常を祀る「上総介塔」へ行ってみた

時は寿永2年(1183年)12月20日、鎌倉の御家人・上総介広常(かずさのすけ ひろつね)が、梶原景時(かじわらの かげとき)に討たれました。

鎌倉の営中で双六に興じていた最中、一刀の下に斬り捨てられたと言います。

当時、広常には謀叛の疑いがかかっており、源頼朝が景時に広常の粛清を命じてのことでした。広常を斬り捨てた景時は湧水で太刀の血糊を洗い、何食わぬ顔で任務に戻ったそうです。

しかし後に、広常が頼朝の大願成就を祈っていたことがわかり、その死は悔やまれることとなりました。

というわけで、今回は広常を祀ると伝わる上総介塔(かずさのすけとう)を参拝してきたので、その様子を紹介。皆様の参考になれば幸いです。

ルートと所要時間

画像 : 国指定史跡 朝夷奈切通。筆者撮影

今回の参拝ルートは以下の通り。

・梶原太刀洗水(景時が太刀を洗った湧水)

・三郎滝(朝比奈三郎義秀に由来)

・朝夷奈切通(往時の姿を伝える古道)

・熊野神社(切通の中間地点に鎮座)

・上総介塔(今回の目的地)

ギリギリ(※)まで原付で近づき、太刀洗水をスタートして、上総塔に参拝して戻って大体1時間でした。

(※)朝夷奈切通は国指定史跡のため、自転車やバイクでの立入は禁止(そもそも危険)です。

画像 : 左手が朝夷奈切通入口(鎌倉側)。自転車やバイクはこの先立入禁止。筆者撮影

かなりスタスタ歩いてこの時間ですから、余裕を持って1時間半から2時間くらいは見た方がいいでしょう。

また、水が流れていることから足元が絶えず濡れており、滑りやすいため油断は禁物です。

なお完全に公共交通機関を使う場合、鎌倉駅東口からバスで「十二所神社」下車、徒歩8分(600m)で梶原太刀洗水まで到達できます。

それでは早速行きましょう。

梶原太刀洗水(かじわら たちあらいみず)

画像 : 梶原太刀洗水。筆者撮影

先ほどふれた通り、広常を斬殺した景時が太刀の血糊を洗い流した湧水です。太刀洗川の語源にもなっています。

現場である大蔵御所からここまで3~4kmの距離があり、自転車で10~11分(Google先生談)。同じ軽車両扱いですが、馬ならもう少し早いでしょうか。

わざわざこんな離れたところまでやって来た理由は謎ですね。近くの川や井戸で洗えばよかったような気がしなくもありません。

ともあれ現地には崖から水が湧き出しており、その一部が竹筒を通して小川へ流れ落ちています。

そのため汲むこともできますが、衛生管理はされていないため飲むことはできません。

三郎の滝(朝比奈の滝)

画像 : 三郎の滝。筆者撮影

朝夷奈切通の入口に流れる滝で、鎌倉時代を代表する?豪傑の一人・朝比奈三郎義秀(和田義盛の子)にちなんで名づけられました。

ちなみに朝夷奈切通は「あさいな」で、朝比奈義秀は「あさひな」です。よくごっちゃになって「あさひな切通」と呼んでしまうことが少なくありません。

※ただし現代の地名(横浜市側)が金沢区朝比奈町であるため、それに合わせて「朝比奈切通」と呼ばれることもあるようです。

傍らには鎌倉市青年団が建立した由緒書きの石碑が鎮座しており、読んでみると時代がかった文言に歴史が感じられるでしょう。

言うまでもありませんが、滝及び滝壺は水質管理がされておらず、飲用も水遊びもできません(危ないので立ち入らないでください)。

朝夷奈切通(あさいなのきりどおし)

画像 : 朝夷奈切通。筆者撮影

ここからが本題です。

伝承では朝比奈三郎義秀が一晩で切り拓いたなどとも言われますが、実際には仁治2年(1241年)に第3代執権・北条泰時が御家人たちに命じて開削(※)させたそうです。

(※)それ以前からあった細い峠道を本格的に整備させました。

その後、何度も補修工事が行われており、実際に切通歩いてみると、そこかしこに名残が見られるでしょう。

画像 : 摩崖仏。ここから先は横浜市。筆者撮影

道中の仏様(延宝3・1675年建立)や念仏供養塔(安永9・1780年建立)、頂上の摩崖仏(まがいぶつ。崖を彫って造った仏像)など、工事には多大な犠牲を伴ったことが偲ばれます。

いざ踏み込んでみると緑の怪物さながらの断崖や、足元を流れる水にえぐられた側溝の独特な形状など、どこを見ても飽きません。

切通の路面は絶えず変化に富み、水が流れていると思えば段々続きになり、いきなり倒木が現れるなど足元に注意が欠かせません。

油断すると水たまりに足を突っ込んだり滑って転んだりするので、油断せずに歩を進めていきましょう。

熊野神社

画像 : 朝比奈熊野神社。筆者撮影

朝夷奈切通の頂上を越えると、ほどなく「神奈川縣横濱市」の石標が見えてきます。
ここから先は横浜市、鎌倉と横浜の境目をまたぎました。

ここで朝比奈町の鎮守である熊野神社に参拝しましょう(時間と体力に余裕があれば)。

伝承によると、源頼朝が朝夷奈切通を拓いた記念に、守護神として熊野三社大明神(速玉男之命・伊邪那岐命・伊邪那美命)を勧請したそうです。

つまり泰時が命じる前から、ここには細い峠道があったと考えられるでしょう。

それから数百年の歳月が流れ、江戸時代の元禄年間(1688~1704年)に地頭の加藤太郎左衛門尉(たろうざゑもんのじょう)が再建した……というのですが、恐らく彼が創建した神社に箔をつけたものと思われます。

道しるべの通りに進めば間もなくたどり着きますが、ちょっと歩いたり石段を上ったりするので、体力が時間と相談しながら参拝するのがいいでしょう。

いよいよ上総介塔へ!

画像 : 朝夷奈切通(横浜側)。筆者撮影

熊野神社に参拝をすませたら、ここから先は下っていくだけです。

横浜市側に入ると切通の路面が土嚢で保護されており、すでに市境を越えたことを実感できるでしょう。果たしてこの土嚢によって歩きやすくなっているのか否かはわかりません。

ちなみに朝夷奈切通では、森閑たる自然を感じながら、常に近くを通る幹線道路から自動車の音が聞こえます。

画像 : 横浜側。上空を道路が走っており、雨ざらしの部分だけ緑色に苔むしているのが面白い。筆者撮影

これを興醒めととるか、あるいは(何なら山賊でも出て来そうな)怖さを緩和してくれているととるか……皆さんはいかがでしょうか。

坂を下り切ると、朝夷奈切通の横浜側入口から出られました。
入口すぐの場所に集められた石碑や石仏たちが「お疲れ様!」「よく頑張ったね!」とエールを送ってくれているような気になります。

※逆にこちら側から朝夷奈切通を越える時は「これから頑張れよ!」「ファイト!」という声援を送ってくれるでしょう。道中の安全を祈ってから臨むのがおすすめです。

画像 : 往来の人々を見守り続けた石仏群。筆者撮影

そのまま道なりに真っすぐ進むと、幹線道路に出るので、信号を渡って右折しましょう。京急「朝比奈」バス停(金沢八景駅行き)まで来れば、上総介塔はもうすぐそこです。

古い石造の五輪塔(こちらが上総介塔)と、その傍らに朝比奈史跡保存会の皆さんが建立した「上総介塔」の石碑が、皆さんを待っていてくれるでしょう。

お疲れ様でした!

上総介塔へのアクセス

画像 : 上総介塔。朝夷奈切通(写真奥)側から見ると、写真中央の木に隠れていて見えにくい。筆者撮影

さて……参拝が終わった筆者は太刀洗水の所に原付を停めて来たため、このままトンボ返りしなくてはなりません。

もし皆さんが上総介塔にお参りするなら、もう少し楽なルートを選んだ方がいいでしょう。

というわけで、上総介塔の参拝に特化した3パターンをご提案いたします。

※バスの時間&料金はジョルダン先生、徒歩の時間はGoogle先生調べです。時刻表が変更されていることもあるため、あくまで参考程度にしてください。

パターン1:鎌倉駅から朝夷奈切通を越えて上総介塔を参拝し、そのまま帰途へ

①JR鎌倉駅東口から京急バス(4番のりば発)で「十二所神社」へ(15分/280円)

②「十二所神社」バス停から徒歩で朝夷奈切通を越えて上総介塔へ(32分)

③上総介塔そばの京急バス「朝比奈」から「鎌倉駅(東口)」へ(24分/360円)

パターン2:上総介塔さえ参拝できればいい。朝夷奈切通はそもそも行かない

①JR鎌倉駅東口から京急バス(4番のりば発)で「朝比奈」へ(24分/360円)

②参拝したら、反対側の「朝比奈」バス停から「鎌倉駅(東口)」へ(24分/360円)

パターン3:太刀洗水・三郎の滝・上総介塔だけつまみ食いしたい(朝夷奈切通は通らず、お金はかかっても楽にバス移動)

①JR鎌倉駅東口から京急バス(4番のりば発)で「十二所神社」へ(15分/280円)

②「十二所神社」バス停から徒歩で太刀洗水&三郎の滝へ行って戻る(10分×往復)

③「十二所神社」バス停から京急バス「朝比奈」へ(8分/240円)

④参拝したら、反対側の「朝比奈」バス停から「鎌倉駅(東口)」へ(24分/360円)

終わりに

画像 : 広常が祀られる上総介塔。筆者撮影

今回は悲劇の英雄・上総介広常を偲ぶ鎌倉散策を紹介してきました。

皆さんが朝夷奈切通を散策する・熊野神社や上総介塔に参拝する参考になれば幸いです。

まだ訪ねたことがありませんが、広常が頼朝の大願成就を祈願した上総国一宮・玉前神社(たまさきじんじゃ。千葉県一宮町)にもいつか参拝したいと思います。

文・撮影/角田晶生(つのだ あきお)校正/草の実堂編集部

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角田晶生(つのだ あきお)

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