蹴鞠に舟遊び、歌合せ……豪華で優雅な平安貴族。そんな彼らも宮中に出仕してきちんと仕事をしていました。
家系による世襲制で仕事内容は決められるようになっていきましたが、平安貴族の仕事と切っても切れない縁があるのが「官位相当制」というシステムです。
今回はこの「官位相当制」と「位階」についてわかりやすく解説いたします。
平安貴族と位階・官職
平安初期の貴族は、前の時代・飛鳥時代の豪族層にあたる家系が上流貴族階級の多くを占めていました。
しかし、娘を天皇の后妃として外戚となるなど天皇との関係を濃密にした藤原氏や、源氏、清原氏などの皇別(※天皇家から臣籍降下した庶流)、菅原氏などの新興貴族が力を強め、次第に貴族社会における上流階級を席巻していきました。
また、「上級貴族」や「下級貴族」という言い方を聞いたことがあるかと思いますが、これには「位階」というものが関係しています。
それと同様に「官職」や「官位」などもありますが、違いが分かりにくいので簡単に解説します。
「位階」「官位」「官職」
・位階 貴族間における身分の上下関係こと。正一位・従一位、正二位・従二位などと表し、数字が小さいほど上の地位になり、従よりも正が上です。さらに正四位以下は各正・従に上下の表記がつきました。(例 : 正四位上 正四位下など)
一位から八位まであり、従八位下の下は初位といい、大初位と小初位がありそれぞれ上下に分けられています。全部で三十位階あります。・官職 位階に応じて就くことができる役職のことです。(例 : 関白、右大臣、大納言、越前守、内蔵頭 など)
・官位 「位階」と「官職」を合わせた呼び方。貴族の就ける役職は「官位相当制」という仕組みによって決められており、位階に対してつける官職が決められ、両者の間には一定の相当関係が設定されていました。(例 : 正一位は関白、正二位は右大臣、従五位上は治部少輔、など)
平安貴族の仕事と階級と出世
「官位相当制」によって位階毎に就任可能な官職が厳密に決められていたので、出世するためにはまずは位階を上げ、その位階に相当する官職に就く権利を得ることが必要でした。
例えば、仕事でどれだけ優秀な成績であろうとも、位階が相当していなければ出世できないという仕組みです。
では、出世するために必要な位階を上げるにはどうしたらいいのでしょうか。
それは「功績を上げる」ことです。
なんだか矛盾しているようで混乱するのですが、平安貴族の出世は
「仕事で功績を上げる」→「功績を認められれば位階が上がる」→「位階が上がればそれに応じた役職に就ける」→「収入が上がる」
という仕組みになっていました。
位階によってつける官職が違うということは、位階によって収入が異なるということですので、貴族にとって位階というものは重要な関心事でした。
貴族でないものは、六位の位階までしか上がれなかったようです。
どんな職場があったのか
平安時代は天皇を中心とした国家形成が行われていたので、国家のトップは当然天皇ということになります。
その下に二官(神祇官・太政官)が置かれ、その他に弾正台・左右近衛府・左右衛門府・左右兵衛府・馬寮・兵庫府・検非違使庁・蔵人所・春宮坊・国司・大宰府・左右京職というものがありました。
太政官の中も少納言局・左弁局・右弁局の3つに分かれており、左右それぞれに四省ずつ下部組織が配置され、さらにその組織もいくつかの部署に分かれていました。
位階や家系などによって、そのどこかに出仕するということが基本だったようです。勤務形態も位階によって違っており、上流階級はほとんど仕事をせずに優雅な生活を送っていたようです。
終わりに
律令制度下で身分の階級が高くないと出世できなかった平安時代。
功績を上げてその功績がきちんと認められれば身分も上がり、出世することも可能だったということがわかりました。
そしてこのような官職につくのはほとんどが男性で、女性は宮中にあがり女官として務めました。
平安貴族として優雅な生活を送るのも大変だったのです。
参考文献
大隈清陽「大日本史事典2より官位相当制(平凡社)」
保立道久「平安王朝(岩波新書)」
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