光る君へ

【光る君へ】 逃亡した藤原伊周の末路… どこへ行ってどうなった?!

NHK大河ドラマ「光る君へ」皆さんも楽しんでいますか?

第20回放送「望みの先へ」では、大宰権帥(だざいごんのそち)への左遷が決まったものの、どこにも行きたくないと駄々をこねる藤原伊周(三浦翔平)が印象的でしたね。

はたして時は長徳2年(996年)5月1日。検非違使別当の藤原実資(秋山竜次)は部下を率いて、伊周と藤原隆家(竜星涼)兄弟が引きこもる中宮御所(※)に突入しますが……。

(※)出産を控えて里下りしていた中宮・藤原定子(高畑充希)の邸宅。

今回は藤原実資の日記『小右記』を読んでみましょう。

「逃げたぞ、追え!」伊周(権帥)はどこへ逃げた?

逃亡した藤原伊周の末路…

藤原実資。菊池容斎『前賢故実』より

一日 庚子 参内、出雲権守隆家、今朝於中宮捕得、遣配所、令乗編代車、依称病也云々、但随身可騎々馬云々、見者如雲云々、権帥出雲権守共候中宮御所、不可出云々、仍降宣旨、徹破夜大殿戸、仍不堪其責、隆家出来云々、権帥伊周逃隠、令宮司捜於御在所及所々、已無其身者……

※実資の日記『小右記』長徳2年(996年)5月1日条

【意訳】5月1日、庚子(かのえのね)。今日は内裏へ参上する出勤日だった。

今朝、出雲権守(いずもごんのかみ)に左遷が決まっている隆家を、中宮御所において逮捕した。

任地である出雲国へ護送するため、隆家を編代車(あじろぐるま)に乗せる。

編代車とは屋根や壁を筵などで編んだ粗末な牛車。中が透けて見えるので、身分の高い罪人を護送する時などに使われた。

隆家は「病気で身体が辛いから、何とかならないか」などと言っているが、知ったことか。

私にどうにかできるはずもないし、特定の者にだけ温情をかけては公正を欠いてしまう。

隆家の随身(ずいじん。側近)については騎馬での同行を許してやる。これは別に温情ではなく、先例のあることだ。

先日から権帥(伊周)と権守(隆家)は姉妹である中宮陛下の御所へ引きこもって「出づべからず(出たくない。どこにも行かない)」とゴネて始末に負えなかった。

そこで仕方なく今上陛下(一条天皇)より宣旨(せんじ。強い命令)を賜り、中宮御所への突入が許可されたのである。

4月30日の夜から大殿戸(正門)を打ち破り、もはやこれまでと観念した権守は降参したのであった。

まったく、畏れ多くも朝命に背き奉っておきながら、今さら潔いも何もあるものか。

しかし権帥めは往生際が悪く、あろうことか中宮御所から逃げ出したのである。

「まだ遠くへは行っていないはずだ、探せ!」

おかしい。検非違使たちには御所を完全包囲させておいたはずなのに、どうやって脱出したのであろうか。

まぁ……おおかた部下の誰かに鼻薬でも嗅がせて、手引きさせんだろうな。

どうせ一人二人じゃなかろうし、今さら責めたところで始まらん。

自分の失態を咎められてもかなわんから、気づかなかったことにしておこう……。

それにしても権帥め、いったいどこへ逃げおったのかのぅ。

3日後に帰って来た伊周が、なぜか出家していた件

逃亡した藤原伊周の末路…

かつての藤原伊周(画像:Wikipedia Public Domain)

四日 癸卯 参内、員外帥出家帰本家云々、……(中略)……帥已出家、車内有女法師、帥母氏云々、可副遣歟者、仰云、不可許遣……

※『小右記』長徳2年(996年)5月4日条

【意訳】5月4日、癸卯(みずのとのう)。今日も内裏へ参上した。我ながら勤勉なことだ。

それはそうと、先日逃げ出した権帥めがおめおめと戻って来たそうな。

検非違使たちの報告によれば、権帥めは頭を丸めて出家しており、訊問の結果「亡き父の墓参りに行っていた」らしい。

こんな時でも親孝行……と言いたいが、本当に親孝行であるならば、そもそもこんな不始末を起こすまいて。

まったく、畏れ多くも花山院を襲撃したり、女院様を呪詛したり、挙げ句の果てには大元帥法など……死一等を減じられただけでも、感謝すべきところだ。

まぁとにかく権帥も捕らえたし、さっさと大宰府へ護送……む?牛車の中に女がおるぞ?

彼女は高階貴子(儀同三司母)、息子のことが心配でやってきたのか。

何々「私も息子について行きたい」とな……なりませんぞ。母子の情愛いかに深くとも、勅命には逆らえんのです。泣こうが喚こうが、ならぬものはなりませぬ。

やれやれ、胸が痛いわい。これも勤めなれば致し方のうございます。

まったく権帥も愚かなことをしでかしたものよ……。

終わりに

高階貴子(儀同三司母)。

かくして伊周と引き離されてしまった高階貴子は失意のあまり、病に倒れてしまいます。

月日は流れて長徳2年(996年)10月、いよいよ貴子の病状が重いと聞いた伊周は、矢も楯もたまらず京都へ舞い戻ってきました。

もちろん無許可なので、定子の元で匿ってもらいますが、密告により再び捕らわれてしまったのです。

10月末に貴子は世を去り、伊周は大宰府へと護送されていったのでした。

果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」ではそこまで描くのでしょうか。さんざんヘイトを集めてきたとはいえ、伊周の凋落ぶりは実に胸が痛むものです。

※参考文献:

  • 藤原実資『小右記 1(史料通覧)』国立国会図書館デジタルコレクション
角田晶生(つのだ あきお)

角田晶生(つのだ あきお)

投稿者の記事一覧

フリーライター。
 
日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。
(ほか政治経済・安全保障・人材育成など)
※お仕事相談はtsunodaakio☆gmail.com ☆→@
 
このたび日本史専門サイトを立ち上げました。こちらもよろしくお願いします。
 
時代の隙間をのぞき込む日本史よみものサイト「歴史屋」
https://rekishiya.com/

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【光る君へ】実はハラスメントだらけだった平安貴族の宴
  2. 実は凡庸なんかじゃなかった!紫式部の兄弟・藤原惟規の活躍 【光る…
  3. 娘は殺され妻は犯され…紫式部の異母弟・藤原惟通とは何者か 【光る…
  4. 【光る君へ】 紫式部や藤原道長が活躍した平安京 「全ての遺構が地…
  5. 【光る君へ】 紫式部が源氏物語の着想を得た「石山寺」 魅力あふれ…
  6. 【光る君へ】まひろ(紫式部)と藤原宣孝が結婚するまでの道のりは?…
  7. 平安時代の「内裏」での女性の役職とは? 【光る君へ】
  8. 【光る君へ】 激動の平安時代初期 「蝦夷討伐が武士の台頭を招いた…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

理想と現実【漫画~キヒロの青春】㊱

今日は日曜だけど、朝から現場行ってきましたw儚いカラオケ…

現地取材でリアルに描く『真田信繁戦記』 第2回・第一次上田合戦編

人気武将・真田信繁の生涯をよりリアルに感じてもらいたく、筆者自身が、信繁の活躍した旧跡に実際に足を運…

一戸三之助 「戦国乱世に生まれていれば…武芸十八般を究めた剣豪」

よく「世が世なら、立身出世して名を残せただろうに……」などと言いますが、自分の不遇(と言うほどではな…

ローマ時代の食卓 ~テーブルコーディネートの紀元について

美食スタイルの紀元はローマはじめてテーブルコーディネートを学んだ時に、テーブルコーディネーターの…

お墓・埋葬の歴史と現代のお墓事情について説明

核家族化・少子化が進む現代。一人っ子同士での結婚が増えるとお互いの実家のお墓を両方管理しなけ…

アーカイブ

PAGE TOP