光る君へ

【光る君へ】変なアダ名をつけないで!紫式部と険悪だった左衛門の内侍(菅野莉央)はどんな女性?

彰子の女房 左衛門の内侍(さえもんのないし)
菅野 莉央(かんの・りお)
橘隆子(たちばなのたかこ)。藤原彰子に女房として仕える。まひろのことは快く思っていない。「日本紀の御局」の名付け親。

※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。

藤原彰子(見上愛)の女房として出仕することになった紫式部(まひろ。吉高由里子)。そこには多くの同僚たちがおり、様々な人間模様が展開されます。

みんな仲良しならいいのですが、中には新参者の紫式部を快く思わない者もいました。

今回はそんな一人・左衛門の内侍(さえもんのないし)こと、橘隆子(たちばなの りゅうし/たかこ)を紹介。

果たして彼女はどんな人物だったのでしょうか。

橘隆子(左衛門の内侍)プロフィール

左衛門の内侍こと橘隆子(イメージ)

橘隆子は生没年不詳、その両親などについてもよく分かっていません。

藤原彰子の女房として出仕した時期は不明ですが、長保2年(1000年)9月27日時点では、在籍していることが確認できます。

掌侍(ないしのじょう。内侍所の三等官)を務め、寛弘7年(1010年)閏2月27日付で退職しました。

女房名である左衛門内侍とは、父親や夫はじめ、身内が左衛門府(さゑもんふ。御所の門を警固する部署)に務めていたことに由来すると考えられます。

そして、隆子自身が内侍所(ないしどころ。天皇陛下の側に仕える女官らの部署)に務めていたので、「左衛門の内侍」と呼ばれたのでした。

そんな彼女は後輩である紫式部をたいそう嫌ったそうで、こんな意地悪をしてきたのです。

つけたアダ名は「日本紀の御局」

ある日、一条天皇(塩野瑛久)が、紫式部の書いた『源氏物語』を女官に読ませ、これを聴き入っておいででした。

「この作者は『日本書紀』を精読し、日本の歴史を実によく学ばれているのでしょう。文中のあちこちに才知と教養が散りばめられていますね」

【原文】この人は、日本紀(にほんぎ)をこそ読みたるべけれ。まことに才(ざえ)あるべし。
※『紫式部日記』より

うっとりとしながらそうおっしゃるものですから、近くで聞いていた左衛門の内侍は面白くありません。

(ふん!そんな作り話の何が面白いと言うのでしょうね……そうだ!)

紫式部の才能に嫉妬した左衛門の内侍は、悪だくみを思いつきました。

女房たちの噂話(イメージ)

左衛門の内侍「ねぇねぇ貴女たち、ご存知?あの源氏の彼女、最近『日本紀の御局(にほんぎのみつぼね)』って呼ばれてるんですって!」

そう、左衛門の内侍は一条天皇のコメントを悪用して、根も葉もない噂を流したのです。

女房甲「それって皮肉でしょ?」

女房乙「女性が知識をひけらかすなんて、はしたない……」

女房丙「男性だって褒められたものじゃないけれど、それを女性がするなんて……」

左衛門の内侍「でしょ?なのに彼女ときたら、主上(おかみ。陛下)に褒められたって得意になっているんだから……」

甲乙丙「「「まぁ……!」」」

こんな具合にやられてしまい、紫式部は大迷惑です。

「何をバカな。子供のころから知識を隠して生きてきたこの私に向かって……」

特に宮仕えではいじめられないよう、おっとりキャラを演じている紫式部。最近では漢字の「一」すら書けないふりをしているというのに……。

まったく、生きにくいったらありゃしない。紫式部は独り嘆息したことでしょう。

『紫式部日記』原文

左衛門の内侍

独り嘆息する紫式部(イメージ)

左衛門の内侍といふ人侍り。
【左衛門の内侍という女性がいます】

あやしうすずろによからず思ひけるも、え知り侍らぬ心憂きしりうごとの、多う聞こえ侍りし。
【彼女はどういうわけか私を毛嫌いして、根も葉もない噂を流しているとか。まったく不愉快ですね】

内の上の、源氏の物語、人に読ませ給ひつつ聞こしめしけるに「この人は、日本紀をこそ読みたるべけれ。まことに才あるべし」とのたまはせけるを、ふとおしはかりに「いみじうなむ才がる」と殿上人などに言ひ散らして、日本紀の御局とぞつけたりける。いとをかしくぞ侍る。
【先日、主上が『源氏物語』を聴いて「この作者は日本書紀を学ばれているようだ。誠に才能がある」と仰せになったのをよいことに、私に「日本紀の御局」などと変なアダ名をつけて吹聴していました。まったくあり得ません】

このふるさとの女の前にてだにつつみ侍るものを、さる所にて才さかし出で侍らむよ。
【私は実家の下女にさえ知識をひけらかすなんてことはしなかったのに、宮中でそんなことをしたらどうなるかくらい、百も承知です】

この式部丞といふ人の、童にて書読み侍りしとき、聞きならひつつ、かの人は遅う読み取り、忘るるところをも、あやしきまでぞさとく侍りしかば、書に心入れたる親は「くちをしう、男子にて持たらぬこそ、幸ひなかりけれ」とぞ、常に嘆かれ侍りし。
【私の兄弟である式部丞=藤原惟規は子供のころ、父の藤原為時から漢籍を学んでも、なかなか覚えられませんでした。しかし私はそれを傍で聞いて耳学問で覚えてしまいます。それ知った父は「この子が男であったらよかったのに」とよく嘆かれていました】

それを「男だに、才がりぬる人は、いかにぞや。はなやかならずのみ侍るめるよ」と、やうやう人の言ふも聞きとめてのち、一といふ文字をだに書きわたし侍らず、いと手づつにあさましく侍り。
【私の周囲では、よく「男性でさえ、才能をひけらかす者はいかがなものかと嫌われるのに、女性が才能を示すなどとんでもない」と言っていたものです。それを聞いてからというもの、私は漢字の「一」すら書けないキャラを演じてきました。本当に生きづらいったらありゃしません】

※『紫式部日記』より。【】内は意訳

終わりに

今回は紫式部の同僚にしてライバル?であった左衛門の内侍について紹介してきました。

果たして彼女は、どのような憎まれ役を演じてくれるのでしょうか。菅野莉央の演技に注目です!

※参考文献:
石井文夫ら訳・校註『新編日本古典文学全集26 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 讃岐典侍日記』小学館、1994年9月
文 / 角田晶生(つのだ あきお)

 

角田晶生(つのだ あきお)

角田晶生(つのだ あきお)

投稿者の記事一覧

フリーライター。日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。(ほか政治経済・安全保障・人材育成など)※お仕事相談は tsunodaakio☆gmail.com ☆→@

このたび日本史専門サイトを立ち上げました。こちらもよろしくお願いします。
時代の隙間をのぞき込む日本史よみものサイト「歴史屋」https://rekishiya.com/

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. ナポレオンやヒトラーを破滅に追いやった『冬将軍』の恐ろしさとは
  2. 幕末の知られざるヒーロー!天然痘と闘った福井藩医・笠原良策とは
  3. 古の伝承が語る~ 体内に宿り人を操る『寄生虫』の奇怪な伝説
  4. 【荒んでいた平安時代】心の拠りどころを神仏に託した2人の法皇・花…
  5. 『小江戸』川越市の歴史と「蔵造りの町並み」が現存している理由
  6. 『三成に過ぎたるもの』行方不明になった猛将・島左近 ~関ヶ原で東…
  7. 【光る君へ】 陰湿すぎる女性たちのイジメ。紫式部らがイヤな女に贈…
  8. 【光る君へ】男児を産めない重圧…道長の四女・藤原威子(栢森舞輝)…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

織田信長に仕えた黒人・弥助は武士か否か? その生涯をたどる

織田信長に仕えた黒人・弥助(やすけ)。天正9年(1581年)2月23日に信長と謁見してから、…

【藤原不比等と長屋王】 古代日本の転換点となった藤原氏の台頭とは?

奈良時代の権力を支配した女性たち奈良時代における政治の前線では、女性が大きな役割を果たし…

天才仏師・運慶と源頼朝 「東大寺再建に挑んだ二人」

平安の天才仏師平安時代の末期から鎌倉時代へと移り行く激動の中で、仏像を彫ることを生業とした1人の…

『古代中国の女性』なぜ、13歳か14歳で結婚しなければならなかったのか「罰金があった?」

なぜ13歳で結婚? 古代中国の驚きのルール古代中国では、女性が13歳や14歳で結婚することが一般…

今川義元の実像とは? 「僧侶になるはずだったが、戦国時代屈指の戦略家となる」※どうする家康

今川義元とは現在放送中の大河ドラマ「どうする家康」で、徳川家康に大きな影響を与える人物と…

アーカイブ

PAGE TOP