道長の四女
藤原 威子(ふじわらのたけこ)
栢森 舞輝(かやもり・まき)藤原道長の四女。母は源倫子。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
字面を見ると何ともパワーに満ちあふれてそうな名前ですが、藤原威子(いし/たけこ)とは、果たしてどんな女性だったのでしょうか?
今回は、藤原威子の生涯をたどってみたいと思います。
甥の後一条天皇に入内
藤原威子は、長保元年(999年)12月23日、藤原道長とその正室・源倫子の間に誕生しました。
同母きょうだいとして藤原彰子(しょうし/あきこ。長姉)・藤原頼通(よりみち。長兄)・藤原妍子(けんし/きよこ。二姉)・藤原教通(のりみち。弟)・藤原嬉子(きし/よしこ。末妹)がいます。
※大河ドラマで四女とされているのは、道長の側室・源明子が生んだ娘と合わせてカウントしているため。
14歳となった長和元年(1012年)に、裳着(もぎ。女性の成人儀礼)を行い、寛仁2年(1018年)に21歳で後一条天皇に入内しました。
後一条天皇は、藤原彰子が産んだ一条天皇の第二皇子・敦成親王(あつひら)。威子から見て甥に当たります。
夫の後一条天皇より9歳年長の姐さん女房で、本人はこのことを大層恥ずかしがりました。
しかし、道長の娘ということで周囲の者たちはバカにするどころか威子に遠慮し、兄弟たちさえも後一条天皇に娘を入内させることはなかったそうです。
威子が中宮(皇后)に立てられたことによって、道長は三后(皇后・皇太后・太皇太后)すべて自分の娘という、空前の快挙を成し遂げたのでした。
皇后・藤原威子(後一条天皇中宮/四女)
皇太后・藤原妍子(三条天皇中宮/次女)
太皇太后・藤原彰子(一条天皇中宮/長女)
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の
欠けたることの なしと思へば 道長※藤原実資『小右記』より
かくて、皇室の外戚として権力の絶頂を極めた道長の有頂天ぶりが、千年の歳月を越えて伝わったのです。
産まれたのは女児二人
しかし威子としては、父の栄達を喜んでばかりもいられません。
後一条天皇にとって唯一の后であった威子。父の道長からは何としてでも皇子を産むようプレッシャーをかけられ続けたことでしょう。
威子が産んだ二人の子はいずれも皇女。それぞれ章子内親王(しょうし/あきらこ。後冷泉天皇中宮)、馨子内親王(けいし/かおるこ。後三条天皇中宮)と名づけられました。
失望感を露わにする周囲に対して、後一条天皇は「過去に女帝が践祚した例もあるのだから」と威子をかばったそうです。
そんな夫の優しさに、威子も何とか応えたかったことでしょう。
結局は男児に恵まれないまま、長元9年(1036年)に夫の後一条天皇が崩御してしまいます。威子は同年9月4日に出家、9月6日に39歳で崩御したのでした。
藤原威子・略年表
・長保元年(999年) 1歳
12月23日 道長と倫子の三女(道長の子としては四女)として誕生・長和元年(1012年) 14歳
正四位下/尚侍(ないしのかみ)に任官
裳着(成人)
従三位に昇叙する・長和2年(1013年) 15歳
従二位に昇叙する・寛仁元年(1017年) 20歳
御匣殿別当(みくしげどのべっとう)を兼任時期不明 従一位
・寛仁2年(1018年) 21歳
3月7日 後一条天皇に入内
4月28日 女御(にょうご)宣下
10月16日 中宮(ちゅうぐう)冊立
同日 道長がかの悪名高い望月の歌を詠み、オフレコにしたかったけど藤原実資がしっかり『小右記』に記録する・万寿3年(1026年) 29歳
12月9日 長女・章子内親王を出産する・万寿4年(1027年) 30歳
父・藤原道長が薨去する・長元2年(1029年) 32歳
2月2日 次女・馨子内親王を出産する・長元9年(1036年) 39歳
4月 後一条天皇が崩御
9月4日 出家する
9月6日 崩御(死因は疱瘡)
※元号と西暦にはズレがあるため、ここでは便宜上元号=西暦と一致させています。
藤原威子・基本データ
生没:長保元年(999年)12月23日生~長元9年(1036年)9月6日没
両親:藤原道長/源倫子
兄弟:藤原彰子・藤原頼通・藤原妍子・藤原教通・藤原嬉子
伴侶:後一条天皇(甥、彰子の皇子)
子女:章子内親王・馨子内親王
身分:後一条天皇中宮
別名:大中宮
位階:従一位
官職:尚侍、御匣殿別当
陵墓:宇治陵
終わりに
今回は藤原道長の四女・藤原威子について、その生涯をたどってきました。
道長の政具として入内させられ、男児を産むようプレッシャーをかけられ続けた心痛は察するに余りあります。
そんな中でも夫である後一条天皇の優しさは、心の支えとなったのではないでしょうか。
NHK大河ドラマ「光る君へ」では、後一条天皇との絆がどのように描かれるのか、楽しみにしています。
※参考文献:
・倉本一宏『人物叢書 一条天皇』吉川弘文館、2003年12月
・山本淳子『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』朝日選書、2007年4月
文 / 角田晶生(つのだ あきお)
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