今にも動き出しそうな生命感。仏がその場にいると実感させる肉体感。
それまでの仏師の枠に捉われない写実的な表現力が「運慶(うんけい)」最大の魅力である。現存する運慶仏はわずか30体ほど。
その人生についても謎が多いが、運慶が切り開いた仏像界の新境地とはどのようなものだったのか?
東大寺金剛力士像
※東大寺木造金剛力士像(阿形)
修学旅行などで東大寺南大門の金剛力士像(仁王像)を見た人も多いだろう。
国宝に指定され、「運慶と快慶(かいけい)によって約70日で造った」と覚えている人もいるはずだ。
しかし、よく見るとこの2体の作風は大きく異なっている。
※吽形(但し、東大寺のものではない)
阿形の整然とした立ち姿、細部まで精密に彫られた像には快慶らしさが発揮されている。繊細な作風は快慶の特徴でもある。一方、吽形は今にも動き出しそうな強い生命力を感じる。腰を大きく曲げた立ち姿、筋肉や衣文の立体感は、長いこと運慶の作風とされてきた。しかし、1988年から行われた解体修理で像内に収められていた記録が発見され、その定説が覆ることになる。
それによると、阿形には運慶と快慶の名が、吽形には定覚(じょうかく)と運慶の息子・湛慶(たんけい)の名が記されていた。そのため、4人の共同作業だということがわかっているが、運慶と快慶がそれぞれに像を分担していたと考えれば作風の違いも説明できる。
それほど、運慶の作風には強い特徴がある。
静の力強さ
※興福寺北円堂世親像
※興福寺北円堂無著像
東大寺南大門の金剛力士像を完成させてから5年。運慶はあからさまな力強さだけではなく、内に秘めた精神的な強靭さまでも表現する域に達していた。それが、興福寺北円堂の弥勒如来坐像と無著(むじゃく)菩薩立像、世親(せしん)像菩薩立像だ。
無著と世親は兄弟であり、古代インドの学僧である。興福寺と近い関係にあった運慶は、その存在を知っていたはずだ。しかし、沓(くつ)を履くという当時の日本では異形ともいえる姿を崇高な作品へと昇華させている。これこそ、晩年の運慶の技量があってこそ。
わずかにうつむき、受容の視線を投げかける兄と、顔を上げて前を見据える弟。2mほどもある雄大な体躯から放たれるのは肉体的な力強さではなく、静の力である。情感をたたえた表情、玉眼が光るまなざしは、精神性の深さと強さを感じさせる。
東大寺と興福寺の復興
※運慶
では、なぜ運慶の作品はこれほど際立って見えるのか。
その答えは彼が活躍した時代背景にある。仏師・運慶の誕生前夜ともいうべき平安時代後期、貴族はみな「仏師・定朝(じょうちょう)が造ったものに似た」仏像を求めた。定朝は、仏師として初めて僧位を与えられ、曲線と曲面を得意とした柔和な作風で知られる。その結果、量産されたのが「定朝様(よう)」の仏像であった。
それに倣うように仏師たちも定朝の作品を手本に、保守的な造像を続け、活力が失われることになる。そこに奈良時代以前の写実的な作風に学び、新しい風を呼び込んだのが仏師・康慶(こうけい)であり、その作風を継承しつつ、さらにはより独創的な仏を作ったのが息子の運慶であった。
1180年、奈良が平氏の焼き討ちに遭い、東大寺と興福寺の伽藍のほとんどが灰燼に帰した。国家鎮護の寺である東大寺や、藤原氏の氏寺である興福寺の再建復興は急務となった。また、康慶は興福寺を拠点としていたため、運慶ら慶一門がこの復興に大きく関わることになる。
腕を振るうべき場があったことが、運慶の技術をさらに昇華させ、世間にその名を知らしめることとなった。
東国での造像
さらに運慶にとって飛躍の機会となったのが、東国(関東)での活躍である。源頼朝が鎌倉に幕府を開き、武家の世になると東国で寺院の建設ラッシュが巻き起こる。
運慶は奈良の復興と平行して東国での造像を請け負った。その口火を切ったのは後に幕府執権となる北条時政だ。ここでも運慶は定朝様とは一線を画す、リアルで力強い仏像を作り、当時の人々を驚かせた。
それにより、頼朝を軸に有力御家人からの依頼が相次ぐようになる。特に最晩年は、一部の政権の中枢にいる人々の依頼に限られるほどだった。
死線をくぐってきた武将たちには、写実的で実在感のある運慶仏に力強さと「仏様がそばにいてくださる」という安心感を与えたのだろう。奈良とは異なった切り口ながら、運慶はその作風で東国の武士をも魅了したのである。
運慶 作品の真贋
巨匠の例に漏れず、運慶の作品も真贋が不明な作品が多い。
運慶作、もしくはその可能性が指摘されている仏像の現存数は31体とする見方が一般的である。信頼できる史料や銘文により、明らかに運慶の作とされるものが18体、作風からほぼ推定されているものが13体。これは、造像において南大門の金剛力士のように個々の作品ではなく、共同作業、もしくは運慶が主催して複数の仏師が担当したため、完全な運慶の作品が少ない理由でもある。
しかし、研究の進歩は著しいため、今後も真贋の結果が明らかになる作品も多くなるだろう。
参考文献 : 究極の美仏 運慶と快慶
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