戦国時代

北条早雲(後北条氏)が北条義時(執権北条氏)の末裔説って本当?『系図纂要』を読んでみた【鎌倉殿の13人】

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で活躍している北条義時(演:小栗旬)。鎌倉幕府の重鎮として次々と政敵(かつて共に戦った仲間たち)を粛清していく様子が、視聴者に衝撃を与えています。

一方、義時たちの鎌倉時代から300年ほど歳月を経た戦国時代。相模国(現:神奈川県)を足掛かりに関東一円を制覇した北条氏の初代・北条早雲(ほうじょう そううん。伊勢新九郎長氏)。

北条早雲。下剋上の体現者として戦国乱世の幕開けを告げた梟雄として知られる。

同じ北条ですが、両者はまったく別の家系。言ってみれば「成り上がった記念とばかり、鎌倉執権のブランドを詐称した」後北条氏(ごほうじょうし)と言われています。

しかし、史料によっては北条早雲を義時たちの子孫としているものもありました。

今回は江戸時代末期に編纂された家系図集『系図纂要(けいずさんよう)』から、義時たち執権北条氏と長氏ら後北条氏のつながりをたどってみたいと思います。

義時たちから早雲まで

まずは義時の父・北条時政(演:坂東彌十郎)を起点に、どんどん時代を下っていきましょう。

【北条氏略系図】
……北条時政―北条義時―北条泰時―北条時氏―北条時頼―北条時宗―北条貞時―北条高時(ここで鎌倉幕府滅亡)―北条時行―北条行氏―北条時盛―北条行長―長氏(北条早雲)……

※『系図纂要』による。直系のみ

  • 北条時政(ときまさ)初代執権、頼朝公と挙兵
  • 北条義時(よしとき)第2代執権、承久の乱
  • 北条泰時(やすとき)第3代執権、御成敗式目
  • 北条時氏(ときうじ)泰時の子。若くして亡くなる
  • 北条時頼(ときより)第5代執権、三浦一族を粛清
  • 北条時宗(ときむね)第8代執権、元寇を撃退
  • 北条貞時(さだとき)第9代執権、独裁強化
  • 北条高時(たかとき)第14代執権、鎌倉幕府滅亡
  • 北条時行(ときゆき/ときつら)挙兵して一時鎌倉奪還(中先代の乱)
  • 北条行氏(ゆきうじ)時行の子。別名時長、通称は小二郎
  • 北条時盛(ときもり)行氏の子。別名氏貞、通称は小三郎
  • 北条行長(ゆきなが)別名氏忠、通称は新三郎

カラス天狗と踊り狂う北条高時。幕府滅亡の暗雲が漂う。

そして長氏、いわゆる北条早雲です(鎌倉幕府の滅亡から4~5世代)。少し詳しく書かれているので、読んでみましょう。

長氏
実伊勢備中守貞国二男 本長茂
伊勢新九郎
長享元年改北條氏 延徳三年弑茶々丸 居韮山城 明応三年三ノ十五剃髪号早雲 逐大森氏而入小田原城
永正十六年八ノ十五死 八十八
早雲寺天岳瑞公

※『系図纂要』より

【意訳】実は伊勢備中守貞国(いせ びっちゅうのかみさだくに)の次男で、元の名は長茂(ながもち)。
長享元年(1487年)に北条氏を名乗り、恐らく名前も北条一族の通字である「氏」を入れて長氏に。
延徳3年(1491年)に堀越公方・足利茶々丸(あしかが ちゃちゃまる)を殺して韮山城を奪取。
明応3年(1494年)3月15日に出家して早雲と号する。やがて大森(おおもり)氏を追い払って小田原城に移った。
永正16年(1519年)8月15日に88歳で世を去った。戒名は早雲寺殿天岳宗瑞公大禅定門。

……以上となります。無理やり家系図はつなげても、やっぱり「元は別家系で、後に北条を称した(北条行長の養子に収まった)」ことは書いてあるんですね。

まぁ、日本の家は血統よりも家督を重んじますから、長氏が北条を受け継いだことには変わりないと解釈していいのでしょう。

※ただし、北条の家名については嫡男の氏綱(うじつな)が名乗るようになったとの説もあります。

After早雲&Before時政

それではせっかくなので、早雲以降の子孫たちもたどっていきましょう。

【北条氏略系図】
北条早雲―北条氏綱―北条氏康―北条氏政―北条氏直(小田原北条氏滅亡)―北条氏盛(養子)―北条氏信―北条氏宗―北条氏治―北条氏朝―北条氏貞―北条氏彦―北条氏時―北条氏喬―北条氏久―北条氏燕(うじよし)……明治維新

※『系図纂要』による。直系のみ

時政から数えて28代目で明治維新を迎えた北条氏。これだけでも凄いのですが、更にせっかくなので今度は時政以前の祖先もたどってみましょうか。

【北条氏略系図】
平維将―平維時―平直方―平維方―北条時方―北条時家―北条時政……

※『系図纂要』による。直系のみ

  • 平維将(たいらの これまさ。鎮守府将軍貞盛男 大夫尉 常陸介 肥前守 従五下 天元四年四ノ 卒)
  • 平維時(これとき。東三条院判官代 上総介 従四下)
  • 平直方(なおかた。大夫尉 上野介 従五上)
  • 平維方(これかた。上総介 従五上)
  • 北条時方(ときかた。北条四郎 始住伊豆北条)
  • 北条時家(ときいえ。四郎大夫 伊豆介 従五下)

カッコ内は『系図纂要』に書かれた各人のコメント。時政の祖父・時方の代に伊豆へ移住したことが判ります。

平維将の父・平貞盛(右)。平将門の乱を鎮圧した英雄として知られる。

ここからもっと祖先へ遡り、平氏の祖である桓武天皇(かんむてんのう。第50代)ひいてはそのまま皇祖神・天照大御神(アマテラスオオミカミ)までたどれますが、『系図纂要』はひとまずここまで。お疲れ様でした。

終わりに

最後にせっかくの総仕上げとして、平維時(とその前の桓武天皇)から明治維新まで、系図をまとめて終わりとしましょう。

【北条氏略系図】
(桓武天皇―葛原親王―平高望―平国香―平貞盛―)平維将―平維時―平直方―平維方―北条時方―北条時家―北条時政―北条義時―北条泰時―北条時氏―北条時頼―北条時宗―北条貞時―北条高時―北条時行―北条行氏―北条時盛―北条行長―北条長氏―北条氏綱―北条氏康―北条氏政―北条氏直―北条氏盛―北条氏信―北条氏宗―北条氏治―北条氏朝―北条氏貞―北条氏彦―北条氏時―北条氏喬―北条氏久―北条氏燕……

※『系図纂要』による。直系のみ

以上39代(北条は30代)。途中に自称や養子縁組など、色々ありながら千年以上も受け継いできたのでした。

31代目以降の北条子孫が今もどこかにいて、その誇りを受け継いでいると思うと、何だか胸が熱くなりますね!

※参考文献:

  • 飯田忠彦『系図纂要 五十 平氏 五』国立公文書館デジタルアーカイブ

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