室町時代

『映画・室町無頼』で話題! 骨皮道賢と蓮田兵衛の本当の関係とは?

歴史には「宿命のライバル」と呼ばれるような人物が数多く存在します。

例えば、平清盛vs源義朝、足利高氏vs新田義貞、武田信玄vs上杉謙信など、枚挙にいとまはありません。

そして室町時代中期には、時代の波に翻弄されながらも躍動した二人の男がいました。

画像 : 刀・武士 pixabay

蓮田兵衛(はすだ ひょうえ)と、骨皮道賢(ほねかわ どうけん)です。

この二人の生き様は、2025年公開の映画『室町無頼』によって注目を集めています。
本作は直木賞作家・垣根涼介の同名小説を原作とし、蓮田兵衛を大泉洋さん、骨皮道賢を堤真一さんが演じています。

映画では、二人が激しく対峙する場面もありますが、史実ではどのような関係だったのでしょうか。

目付から足軽に 〜骨皮道賢の波乱万丈な人生

骨皮道賢(ほねかわ どうけん)という名前は、かなりのインパクトがあります。

「骨と皮しかないほど痩せていた」「皮革業を営んでいた」など、名前の由来には諸説ありますが、いずれにせよ単なる武士とは一線を画す異色の存在でした。

彼の経歴は、室町幕府の侍所所司代・多賀高忠に仕え、目付の頭目として盗賊の取り締まりを行うところから始まります。

現代にたとえるなら、治安維持を担う警察組織の幹部といったところでしょう。

応仁元年(1467年)、室町幕府の実力者・細川勝元に見出され、応仁の乱では東軍の足軽大将の一人として戦いました。

画像 : 細川勝元 public domain

骨皮道賢の名が史料に登場するのは、応仁2年(1468年)3月15日です。

この日、彼は配下の300人の足軽を伏見稲荷山に集結させ、西軍の補給線を寸断し、さらには下京に火を放つなど、大胆なゲリラ戦を展開しました。

しかし、この作戦が西軍の怒りを買い、同年3月21日、斯波義廉、大内政弘、畠山義就、山名宗全らの大軍によって包囲されてしまいます。

追い詰められた道賢は、「女装」して脱出しようとしました。
何とか包囲を突破しようとしましたが、変装は見破られ、朝倉孝景の軍勢に討ち取られてしまったのです。

その死は、当時の禅僧の日記で皮肉交じりに語られました。彼の最期を詠んだ歌には、次のようなものが伝えられています

「昨日まで 稲荷廻し道賢を 今日骨皮と成すぞかはゆき」

これは、「昨日までは伏見稲荷で勢いよく戦っていた道賢も、今日は骨と皮ばかりの亡骸となってしまった」という哀れさを表現しています。

まさに栄枯盛衰を風刺した落首といえるでしょう。

史料上で彼の名前が確認できるのは、わずか6日間。

それにもかかわらず、彼の生き様は、室町時代の混乱を象徴するものとして語り継がれることとなったのです。

庶民のヒーロー蓮田兵衛の戦い

さて、一方の蓮田兵衛。彼はどちらかというと「庶民のリーダー」といった存在でした。

室町時代は、戦乱や経済的困窮に苦しむ庶民の不満が噴出し、借金の帳消しを求める徳政一揆が相次いだ時代でもあります。

特に寛正3年(1462年)に京都で発生した「寛正の土一揆」は、その規模の大きさと激しさで知られています。

この一揆の首魁を務めたのが、蓮田兵衛でした。

兵衛は9月11日、京都で蜂起し、幕府に対して徳政を要求しました。
一揆勢は勢力を拡大し、10月には幕府の拠点である「花の御所」に迫るほどの勢いを見せます。

さらに、一揆勢は東寺を制圧し、糺の森に進出、相国寺の東門を攻撃するなど、幕府側にとって大きな脅威となりました。

しかし、幕府側も黙ってはいません。

画像 : 多賀高忠 public domain

侍所所司代・多賀高忠を中心に、赤松政則ら在京大名が鎮圧に動きました。

一揆勢は一度は幕府軍を撃退するものの、最終的には幕府軍の大規模な反攻を受け、敗走を余儀なくされます。

そして11月2日、蓮田兵衛は淀で捕らえられ、処刑されました。
彼を含む8名の首級は京都へ送られ、四塚で獄門にかけられたと記録されています。

蓮田兵衛の出自については不明な点が多く、『新撰長禄寛正記』には「地下人の出自」と記されています。

しかし、彼が庶民の不満を糾合し、一揆を指導したことは確かであり、彼の名は室町時代の徳政一揆の歴史に刻まれることになりました。

骨皮道賢と蓮田兵衛、直接的な関係はあったのか?

ここまで読むと、「結局この二人、直接戦ったのか?」と気になるかもしれません。

しかし現在のところ、史料には骨皮道賢と蓮田兵衛が直接対決した記録は残されていません。

ただし、骨皮道賢はもともと目付の頭目として盗賊の取り締まりを行い、後には足軽大将として戦場で戦いました。
一方の蓮田兵衛は、庶民を率いて幕府と戦った一揆の指導者です。

「治安維持 vs. 反乱軍」という構図を考えれば、二人は立場的には対立する可能性はゼロではなかったかもしれません。

しかし、実際の歴史の中で二人の名が交差することはありませんでした。

とはいえ、彼らは共に戦乱の世を生き抜き、それぞれの立場で時代の荒波にもまれながら足跡を残しました。

名が大きく語り継がれることはなかったものの、その生き様を知ることで、室町時代の混乱の中で人々がどのように戦い、抗いながら生きたのかを垣間見ることができるでしょう。

参考 :
『戦国の世』『朝日日本歴史人物事典』今谷明
『応仁・文明の乱』石田晴男
『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』他
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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