皆さんは「天女の羽衣」という昔話をご存じでしょうか。
昔むかし、ある男が地上に下りてきた天女の羽衣を(拾ったり盗んだりして)手に入れました。
それがないと飛べない(帰れない)天女は男に返すよう頼みますが、男は美しい天女を妻にしたい一心で返しません。
仕方なく天女は男の妻となったものの、やがて羽衣を取り戻して天へ帰って行く……などのあらすじです。
似たような伝承が各地にあり、それぞれ微妙にバリエーションが違います。今回は奈良時代に編纂されたとされる『丹後国風土記(たんごのくにふどき)』より、とある天女のエピソードを紹介。
果たして彼女は、天に帰れるのでしょうか……?
水浴び中に羽衣を盗まれた天女
今は昔、丹後国丹波郡(現:京都府京丹後市)の北西に、比治(ひじ)の里がありました。
里には比治山がそびえ、その山頂には真井(まない。真名井)の沼が水をたたえています。
ある日、天から降り立った8人の天女たちがこの沼で水浴びをしていた時のこと。
近くにいた和奈左老夫(わなさのおきな)と和奈左老婦(おみな)という老夫婦が、彼女らの様子をうかがっていました。
「まったく無邪気に戯れておる……おぉ、あれは天女の羽衣じゃないか」
「隠してしまえば天へ帰れず、わしらの言いなりにできるわい」
さっそく二人は羽衣を一着盗むことに成功。水浴びもすんだ天女たちは、つぎつぎ天に帰っていきます。
「みんな待って、私の羽衣がありません!」
しかし他の7人はさっさと帰ってしまい、たった1人だけ取り残されてしまいました。皆さんちょっと薄情ですね。
「どうしよう……」
素っ裸であちこち探し回るわけにもいかず、水中に身を沈めていたところ、和奈左老夫が現れました。
仕方なく老夫の養女に
「おやおや、お嬢さん……お探しモノは、これかいな?」
老夫が意地悪く羽衣をチラつかせると、天女は返してくれるよう懇願します。
「どうしようかのぅ。ウチには子供がおらなんだから、ウチの養女になってくれたら考えてやらんでもないが、どうじゃ?」
【原文】吾(あ)が請(ねが)はくは、天女娘(あまをとめ)、汝(いまし)、兒(こ)とならせ
それで羽衣を返して貰えるなら……天女は老夫の願いを聞き入れました。
「私はたった一人取り残され、羽衣がなければ帰れません。おっしゃる通り養女になりますから、どうか羽衣をお返し下さいまし」
【原文】妾(あれ)独り人閒(ひとのよ)に留れり。何ぞ敢へて従ひまつらざらむ。請はくは衣裳(ころも)を許し給へ
これで羽衣を返してもらえるかと思った天女でしたが、そうは老夫が卸しません。
「そんなことを言って、どうせ羽衣を取り戻したら逃げ出すに決まっている。まずは養女として奉公しろ。羽衣を返すのはそれからだ」
【原文】天女娘、何ぞ欺く心を存(おも)ふ
「およそ天界人の本質はまことであり、嘘など思いもつきません。どうしてそう疑われるのですか」
【原文】凡そ天人(あめひと)の志は信(まこと)を本と為す。何ぞ疑心(うたがひ)多くして、衣裳を許さざる
なぜ天女の言うことを信じないのか……老夫の答えが、これまた強烈でした。
「人をとことん疑い倒すなど、真心など存在しないこの国では常識だ。ゆえにそなたの言うことも疑って羽衣を返さんのだ」
【原文】疑多くして信無きは、率土(このくに)の常なり。故(かれ)、この心を以ちて許さじと為(おも)ひしのみ」
……何とも凄まじい人間不信が、この国に渦巻いていたものです。ここまで言われては仕方ありません。天女は仕方なく老夫の養女となったのでした。
醸酒の名人として評判になるも……
……それから十数年。天女は老夫婦の養女として、一生懸命に「孝行」します。
「ホラ働け!」「グズグズするんじゃないよ!」「そんなことじゃ、羽衣は返さないよ!」
いったい何の因果でこんな目に……それでもいつか帰れる日を夢見て、天女はけなげに働き続けたのです。
そんな天女は、酒造りの名人でした。このころの酒は醸酒(かみざけ。口噛み酒)と言って、炊くなり蒸すなりした米飯をよく噛んで唾液と混ぜ、甕に溜めて寝かせます。
聞いているだけで「汚い……」と思ってしまいそうですが、米のデンプンを唾液の消化酵素が分解、糖質そしてアルコールへと変化(発酵)させるのです。
「美味い!」
彼女の造る醸酒はただ美味しいだけでなく、一杯呑むとどんな病気も治ったそうで、天界人ならではの特殊能力が働いたのでしょうか。
評判が評判を呼んで老夫婦は商売繁盛、たちまち莫大な財産を築き上げたのでした。
【原文】ここに天女、善く醸酒を為(つく)りき。一盃(ひとつき)を飲めば、よく萬の病悉(ことごと)に除(け)ゆ。その一杯の直(あたい)の財(たから)は車に積みて送りき。
「さぁさぁ、どんな病もたちまち治る不思議な酒だよ!お代は車一台分、高いと思うか知らないが、病が治るなら安いもの……さぁ飲んだ飲んだ!」
車とは恐らく荷車でしょう。何を積むかにもよりますが、随分と暴利をむさぼったことは間違いなさそうです。
「ホラ、もっと米を噛んで酒を造るんだよ!モタモタしてると羽衣は返さないからね!」
「はい……」
来る日も来る日も米を噛み噛み酒造り……さぞや顎も疲れたことでしょう。しかしそんな苦労が報われることはなく、心ゆくまで荒稼ぎした老夫婦は「もう用済み」とばかり天女を家から叩き出すのでした。
必死の反論もむなしく、路頭に迷う天女
「お前なんか、わしらの娘ではない!ごくつぶしの居候め、さっさと出ていけ!」
【原文】汝は吾が兒にあらず、暫(しま)し借(かり)に住めるのみ。宜(うべ)早く出(い)で去(ゆ)きね
さんざん利用しておいて、その言い草はないでしょう……今までけなげに耐えてきた天女も、さすがに反論します。
「そんな……私を無理やり養女にしておいて、なぜ今さらそんな理不尽を言うのですか!」
【原文】妾は私の意(こころ)から来たれるにあらず、老夫(おきな)等の願ひしなり。何ぞ厭悪(にく)む心を発(おこ)して、忽ちに出去く痛(かなし)みを存(な)すか
天を仰いで哭慟(なげ)き、地に伏して哀吟(かなし)む天女でしたが、そんなことで心が動くようなタマじゃありません。
「いいから出ていけ!」
羽衣がないから天には帰れず、地上に身よりも行くあてもない……天女は悲しみのあまり歌を詠みました。
天の原 振り放(さ)け見れば 霞立ち
家路まどひて 行く方知らずも【意訳】広い空を見上げれば、ぼんやりと霞がかかっている。私にはもう帰る家がなく、どこへ行けばいいかわからない……
「途方に暮れる」とはまさにこのこと。天女はあてもなく村を立ち去ったのでした。
エピローグ
その後しばらく放浪した天女は、まず立ち寄った村で村人に「彼らの仕打ちを思うと、私の心は荒塩(荒潮)のごとく波立っています」
【原文】老夫老婦の意を思ふに、我が心荒塩に異なることなし
と語ったことから、その村は荒塩の村と呼ばれるようになりました。
続いて立ち寄った村では、再び悲しみがこみ上げてきたのか、槻(つき。ケヤキ)の木によりすがって泣きました。それで哭木(なきき)の村と呼ばれるようになったとか。
そんな情緒不安定だった天女ですが、竹野(たかの)郡船木里にある村までやって来て、ようやく心が落ち着いてきたようです。
【原文】此処にして我が心平(なぐ)しく成りぬ
恐らく村の人々が、行くあてのない天女を温かく迎え入れたのでしょう。悲しみが慰められたことにより、いつしかここは奈具の村と呼ばれるようになったのでした。
やっと居場所を見つけた天女はこの村に末永くとどまり、村人たちによって祀られます。
それが奈具神社(京都府宮津市)の起源であり、天女はその御祭神・豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)になったということです。
終わりに
以上『丹後国風土記(逸文)』の伝える天女伝承を紹介しました。
「え、けっきょく天には帰れなかったの?」
……どうやらそのようです。
「せめて、あの意地悪な老夫婦の末路とかないの?」
と思ってしまいますが、天女を叩き出して以降は言及がありません。絶対に天罰が下っていて欲しいですよね(ね?)。
まぁ、天女が地上に居場所を見つけられたのがせめてもの救い。世の中こんなもんですが、こんな世の中だからこそ、私たちは少しでも誠実に親切に生きたいものです。
※参考文献:
- 田中貴子ら監修『古事記・風土記・万葉集』学研プラス、2012年2月
- 武田祐吉 編『風土記』岩波書店、1937年4月
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