奈良時代

奈良時代の農民を苦しめた「太古の税」とは? ~卑弥呼の時代からあった税金

奈良時代の農民を苦しめた「太古の税」とは?

画像:平城宮第一次太極殿 wiki c (Taro Nagoya) 名古屋太郎

住んでいる国や街をみんなで支えあい、よりより社会を作るための費用として収集される
公的なサービスを行うために公平的に徴収されるべきお金である。

税の仕組みは、現代のような貨幣経済からお金をイメージするが、貨幣経済となる前は、色々な形で納める形になっていた。

日本における税の歴史は古く、3世紀頃には既に税の制度があった記録が残されている。
最古の文献である『日本書紀』や『古事記』は奈良時代に作成されたものだが、その文献に記載されていたのかといえば、そうではない。
中国の『魏志倭人伝』に記載されていたのだ。

魏志倭人伝といえば邪馬台国
つまり、卑弥呼の支配した邪馬台国に、税制度があったということだ。

奈良時代の農民を苦しめた「太古の税」とは?

画像:伊都国との闘いに備え、兵士達を鼓舞する女王卑弥呼 油彩 wiki c

邪馬台国から飛鳥時代までの歴史は、記録が何も残っていないことから、今もなお謎に包まれている。そのため、古墳時代から飛鳥時代にかけての日本に税制度があったかということもわからない。

本格的に税が制度として作られたのは、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が蘇我入鹿を排除し、行政改革を進めた大化の改新の頃である。

大化の改新は、それまでの遣隋使遣唐使が持ち帰った唐の先進的な制度を取り込み、統治制度を構築していくものであった。

その中で、大宝律令で確立される「租・庸・調・雑徭」といった税制度も構築されていくのである。

奈良時代の税制度

画像 : 平城京宮跡 イメージ

大宝律令は、701年に文武天皇(もんむてんのう)の指示により作られた。
その中で、大化の改新より制度化が進められていた「租・庸・調」といった税制も完成する。

大宝律令の制定により、班田収授の法(はんでんしゅうじゅのほう)が制定される。
この法律において、土地は全て国のものとされ、天皇よりその土地を口分田として一人ずつに貸し与えられる形となったのである。

6歳以上の男子に2反、女性にはその3分の2の広さの田が分けられ、田を与えられる代わりに、「租・庸・調・雑徭」といった税を納めなければならなくなったのである。
なお、2反とは、一般的な学校のプール(縦25m×横12.5m)の8つ分程度の広さでイメージしてもらいたい。

それぞれの税の詳細は次の通りである。

・租
租は、口分田1反当たり、2束2把(約22升:約30kg)の米を納める税。
収穫量の3~10パーセントに相当する。
他の税とは違い、地方の役所に納める地方税であった。

・庸
庸は都で10日間の労働を行うか、代わりに一定量の米や布を納める税。
女性には係らず、21歳以上の男性に係る税であった。

・調
調は繊維製品を納入するか、地方の特産物を国に納める税。
庸と同様に、男性のみに係る税であるが、調は庸よりも若い17歳から対象となっていた。

・雑徭
国司のもとで1年間のうち60日間労働をするという税。
春から秋の期間は農地で米を作ると秋から翌年の春までは休めるかといえば、そうではなかった。

平城京や畿内に住む庶民は庸と調が免除された

平城京や周辺の畿内に住む庶民には、庸と調の免除があった。

710年に平城京に都を移したとはいえ、それは完成されたものでなかった。
そのため、都では工事が必要であり、また天皇や朝廷の指示による寺院の造営や管理に伴う建設作業も多く発生していた。

平城京や畿内の庶民は、このような雇役(こえき)に駆り出されることが多くあったことから、租以外の税が免除されていたのだと考えられているのである。

飛騨の人々も庸と調が免除された

画像 : 龍の木工彫刻 fotoAC

飛騨の匠」という言葉を聞いたことがないだろうか。
この言葉は奈良時代から生まれたものであった。

当時の飛騨国には優れた木工技術があり、それぞれの里から1年交代で10人ずつを出し、都や寺院を造る仕事に携わる職人派遣を行った。
この飛騨の職人を「飛騨の匠」と呼んだのである。

この派遣により、朝廷は優れた木工集団の派遣を受ける見返りとして、飛騨国の農民への庸と調を免除したのである。

農民を苦しめた本当の負担

画像:奈良時代の平野のイメージ O-DAN Samuel Berner

さて、当時の税制度を説明したが、租においてはわずか3~10パーセントという負担率。
しかし、学校で教わった歴史においては「人々を苦しめた」ということになっている。

税で農民を一番苦しめたのは、「米の都への運搬」や、「労役」であった。

農業従事期間に徴兵や都の警備をさせられることになると、田畑の管理ができなくなる。
結果、米が上手く作れない状態となり、収穫も激減してしまう。
それでも税率分は持って行かれてしまう。

結果的に農民は口分田を捨て逃げてしまったり、戸籍を女と偽り、税から逃れる者もいた。

武士誕生のきっかけとなった墾田永年私財法の誕生

奈良時代になると、大宝律令制定時よりも人口が増加していった。
口分田は不足するようになり、食糧不足が起きるようになる。
このような背景から723年に「三世一身の法」が制定された。

これは、「口分田で与えられた田畑以外に新たに開墾した土地は、孫の代まで三世代私有化できる」という法であった。
しかし、返却が必要なことには変わりなく、返却前になると新たに開墾した土地は放置されるようになったりと、制度的には失敗となった。

これを受け、743年に「墾田永年私財法」が発布される。
新たに開墾した土地は、国に返す必要がなく、開墾した者が永久に所有してよい」というものであった。

これを受け、貴族や寺社が農民を雇い、未開の土地を開墾させるようになる。
これが貴族や寺社の私有財産となる「荘園」となったのである。

後にこの荘園の略奪を阻止するため、農民を武装させ警備を依頼するようになっていった。
これが武士階級へと変化を遂げていくようになるのである。

参考 :
いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編 東洋経済新報社
・国税庁 奈良時代の租・庸・調
・国税庁 税の歴史

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【藤原不比等と長屋王】 古代日本の転換点となった藤原氏の台頭とは…
  2. 聖武天皇が恐怖した藤原広嗣の怨霊伝説 ~「憎き僧侶・玄昉を空中で…
  3. 『藤原氏の力と信仰』 光明皇后と孝謙天皇発願で創建された寺院とは…
  4. 奈良の大仏は過去に何度も破壊されていた
  5. 奈良時代の『仏教宗派』は現代とは違っていた~ 「南都六宗」とは
  6. 【驚愕!】天皇家は元々、天照大神を祀っていなかった? ~皇室本来…
  7. 軽皇子に未来を託した柿本人麻呂の和歌から持統天皇の思いに迫る 【…
  8. 可哀想&ゲスすぎる…『丹後国風土記』が伝える、天女と老夫婦のエピ…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

カジノ本のおすすめ20選!理論や思考法、テクニックが満載!

カジノで勝つためには、基本的なルールや思考法、理論、ブラフなど、さまざまな角度から勉強することが大切…

平壌を走るボルボ「北朝鮮問題にスウェーデンが絡む理由」

アメリカのトランプ大統領が北朝鮮の金正恩委員長と緊張状態に入り、一時は米朝衝突の可能性すらあった…

【光る君へ】 道長の陰謀?「光少将」藤原重家が出家した理由とは

平安時代、娘たちを次々と入内させて皇室の外戚となり、権力の絶頂を極めた藤原道長。もちろんその…

【戦国最強マイナー武将】可児才蔵はどのくらい強かったのか?「笹の才蔵」

可児才蔵とは戦国時代の最強武将を考えた時、思い浮かぶ有名武将は多いと思いますが、武力に極…

ポンパドゥール夫人 「平民からルイ15世の公妾に成り上がった影の実力者」

ルイ15世(1710~1774)といえば、わずか5歳で即位し、その奔放な私生活から最愛王と呼…

アーカイブ

PAGE TOP