時は天平7年(735年)から天平9年(737年)にかけて、日本中で疱瘡(天然痘)が大流行しました。
疱瘡は九州から全国に蔓延し、首都・平城京でも藤原四兄弟(藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂)をはじめ、朝廷の要人たちが次々と病死。政府機能が麻痺する事態に陥ります。
かくして推計で100万~150万人という死者を出してしまい、一説によるとこれは当時の日本における総人口(推計約300万~600万人)の25~35パーセント、つまり3人から4人に一人が病死してしまった計算です。
このような大惨事に際して、当時の人々はどのような対策をとっていたのでしょうか。
今回は『類聚符宣抄(るいじゅふせんしょう : 太政官符や宣旨を収録した書物)』から、天平9年(737年)6月26日付で発せられた太政官符(だいじょうかんぷ)をご紹介。
太政官符とは、太政官が管轄下の諸官庁・諸国衙へ発令した正式な公文書です。
当時の人々に対して、疫病の治療法、および禁ずべき食物など、疱瘡対策を推奨していた記述があります。
太政官符は、東海道・東山道(東北~本州東内陸)・北陸道・山陰道・山陽道・南海道(主に四国)など、諸国の国司に宛てて発せられています。詳しい内容を見ていきましょう。
※現代語訳は大意です。また、分かりやすさ重視で意訳しています。
病名と症状について
今回、蔓延している疫病は「赤斑瘡(せきはんそう、あかもがさ)」と言います。
感染すると高熱を発し、3~6日後に発疹が起こり、3~4日にわたって瘡(そう。吹出物)が出るでしょう。
患者は全身が焼けるような熱さに苛まれます。それでしきりに水を飲みたがりますが、水を飲ませると病状が悪化するため、決して飲ませてはなりません。
瘡が出切ると熱は引きますが、今度は下痢を起こすようになるでしょう。
下痢を放置すると下血し始めるため、早めの治療を心がけてください。なお、発病当初から下血する場合もあります。
その他にも咳や嘔吐、吐血や鼻血といった症状を併発する可能性もあり、この中で最優先で治すべきは下痢であると心得てください。
とにかく保温に努めること
赤斑瘡の患者は、身体を温めなくてはいけません。
布や綿があれば、腹や腰に巻くなどしてとにかく保温に努めましょう。
患者を地べたに直接寝かせるのは、身体が冷えるので避けてください。床に敷物を敷いた上に寝かせるようにします。
食べてよいもの、悪いもの
赤斑瘡の患者に対して、食べさせてよいものと悪いものをリストアップします。
<好みで与えてよいもの>
重湯、粥、煎飯(いりいい)、雑穀を煮た汁
温冷を問わず支障ない。
<与えてはいけないもの>
鮮魚、生肉、果物、生野菜、生水、氷
いずれも身体を冷やし、雑菌のリスクも高い。
下痢を起こしたら
ニラやネギを煮たものを、多く与えましょう。
下血などしている場合は、糯(もちごめ)と粳(うるちまい)それぞれの粉を混ぜ、煮たものを一日数度のペースで飲ませるのもよいです。
糒(ほしいい。糯でも粳でも可)を粉に挽いて、湯で溶いて飲ませても構いません。
下痢が止まらない場合は、摂取ペースを一日5~6度に増やします。
いずれの米も、消化をよくするよう必ず挽いて粉にすること。
食欲がない時は
赤斑瘡にかかると食欲が衰え、また下痢の煩わしさから食事をとらなくなる傾向があります。
しかし栄養を摂らせないと衰弱する一方なので、無理にでも食べさせなくてはいけません。
また海松(みる。海草の一種)を炙ったものや、塩をたびたび口に含ませると、回復が早いのではないかと言われています。
多少口や舌は荒れますが、望みをかけて試してみる価値はあるでしょう。
回復直後は要注意
幸いにして赤斑瘡が回復しても、決して油断してはいけません。
回復してから20日間は、以下の事柄を慎んでください。
一、鮮魚・生肉・果物・生野菜・生水を摂ること。
一、水浴びや房事(性交渉)を行うこと。
一、風雨の中を出歩くこと。
しばらく病床に臥せっていたため、少し元気になって遅れを取り戻したい気持ちは解りますが、調子に乗ると必ず霍乱(かくらん)します。
霍乱によって下痢を再発することを、勢発(せいはつ)とか労発(ろうはつ)などと言いますが、こうなるともう手遅れです。
愈跗(ゆふ)や、扁鵲(へんじゃく)と言った、古代中国の名医を連れてきたとしても助かりません。
実際のところ、赤斑瘡で亡くなる方の多くは、この労発によって生命を落としているのです。
回復から20日を過ぎたら
赤斑瘡の回復から20日を過ぎたら、魚や肉を食べても構いません。しかし生ではダメ、よく火を通して下さい。
乾鮑(ほしあわび)や堅魚(なまりぶし)、干し肉も食べて大丈夫です。
しかし、鯖や鯵などの青魚は干物でもやめた方がいいでしょう。鮎もいけません。
ちなみに、蘇(発酵乳製品)や蜜、豉(大豆発酵食)はいいでしょう。
怪しげな薬は飲むな
こういう疫病が流行り出すと、人々の不安につけ込んで、インチキな薬を売り出す輩が現れるものです。
効きもしない丸薬や散薬(粉薬)を高額で買わされて、後生大事に飲んだところで治らないものは治りません。
疫病の治療は、基礎体力を回復させる食事と休養をおいてなく、どうしても熱が引かない場合は人参湯(にんじんとう。朝鮮人参のスープ)を服用しましょう。
……などなど。
終わりに
今回は、奈良時代に蔓延した疫病の対策マニュアルについて紹介しました。
今も昔もパンデミックは深刻な問題であり、デマ情報やインチキな薬に惑わされる人々がいたようです。
その時代ごとにとりうる最善策を見つけ出すまで、多くの犠牲が払われたことでしょう。
こうした史料から、先人たちの苦悩や試行錯誤が垣間見えますね。
※参考文献:
吉川真司『天皇の歴史2 聖武天皇と仏都平城京』講談社学術文庫、2018年1月
市大樹「天平の疫病大流行-交通の視点から-」2021年10月
文 / 角田晶生(つのだ あきお)
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