戦国時代

武田信玄に上杉謙信… 戦に挑む武将たちの「神頼みと魔除け」とは

戦国時代、武将たちは常に生死をかけた戦に臨んでいた。

武将たちは、戦の勝利を願い、神仏を深く信仰し、さまざまな魔除けを身につけていた。

彼らはいったいどんな神仏を信仰して、どんな魔除けをつけていたのだろうか。

今回は、戦国武将たちの「神頼み」について掘り下げていこう。

諏訪明神を信仰した武田信玄

武田信玄に上杉謙信

画像:明将 武田晴信入道信玄 public domain

武田信玄は、甲斐国(山梨県)を本拠として近隣諸国を従えさせた武将だ。

その勢力は強大で、織田信長や徳川家康が恐れるほどの存在だった。

信玄は信仰心も篤く、特に諏訪明神への信仰が知られている。諏訪領を制圧後、諏訪大社を手厚く保護し、軍神・諏訪明神の加護を受けることで戦勝を祈願していた。

この信仰は政治的な意味合いも強かった。諏訪明神は信越地方で広く信仰されており、その保護を通じて信濃の支配を強化する狙いもあったとされる。

信玄の甲冑や装束にもその信仰が色濃く反映されている。

緋色の衣に袈裟を纏い、右手に軍配、左手に数珠を携える姿は有名であるが、特筆すべきは「諏訪法性の兜」である。

この兜こそ、諏訪明神への信仰を表しているのだ。

信仰心のあつかった上杉謙信

画像:上杉謙信の色々威腹巻 public domain

武田信玄と並び称される戦国大名、上杉謙信は越後国(現在の新潟県)を拠点に活躍した。

謙信は「毘沙門天の化身」とも称されるほど信仰心が厚く、戦のたびには必ず寺社に戦勝祈願の文書を奉納し、神仏の加護を求めていた。

謙信の軍旗には毘沙門天を象徴する「毘」の一文字が掲げられており、これは謙信自身の信仰心と武将としての威厳を示す象徴だった。

さらに兜の前立ては「飯綱権現(いいづなごんげん)」をあしらった精密で豪華なもので「三宝荒神」を前立に使った変わり兜も持っていたという。印章には諸仏の名を刻んでいた。

とにかく身の回りを神仏で囲んでいたのである。

法華経を信仰した加藤清正

画像:加藤清正の馬印と旗印 public domain

豊臣秀吉の子飼いの一人・加藤清正も信心深い武将だった。彼が信仰していたのは日蓮宗・法華経である。

清正の変わり兜には、長烏帽子形の兜に法華経が記された板を取り付けたものがあり、この兜には清正が自筆で書き写した経文を漆で固めた「張懸(はりかけ)」が用いられていたと伝えられる。

画像:加藤清正の長烏帽子形兜 public domain

また、兜の前立てには「南無妙法蓮華経」の文字が大きく記され、両側面には日の丸が施されていたという。
さらに、旗印にも「南無妙法蓮華経」の文字が掲げられ、清正の信仰心が軍勢全体に共有されていた。

最終的には清正自身が守護神となった。

熊本市にある本妙寺をはじめ、日蓮宗の寺院では守護神として清正が祀られ、災厄除けや勝負事の御利益があると信じられている。

秀吉もなりたかった八幡大菩薩

画像:八幡神坐像 wiki c SLIMHANNYA

「八幡大菩薩」は、武門の神として源氏をはじめ多くの武家に崇拝された存在である。

この神は神仏習合における称号であり、応神天皇を神格化したものである。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、日本全国の八幡宮に祀られている。

武家にとって八幡大菩薩は守護神であり、軍旗や紋章にその名を刻む例も多かった。

例えば、井伊家の旗には赤地に金文字で「八幡大菩薩」と記されており、八幡神が武家社会で深く根付いていたことを示している。また、鳩が八幡神の使いとされ、鳥居や紋章に「八」の字を鳩の形で描いた意匠も見られる。

豊臣秀吉も八幡大菩薩を篤く崇拝していた。

晩年、秀吉は死後に自分を「新八幡」として祀るよう願い出た。これには、八幡神に自身を重ね、武家社会での権威を死後も保持したいという意図があったと考えられる。秀吉は方広寺大仏殿(京の大仏)の鎮守として八幡宮の建立を望んだが、後陽成天皇はこれを認めず、秀吉を「新八幡」として祀ることはしなかった。

代わりに、秀吉は「豊国大明神」として神格化され、豊国神社に祀られることとなった。

城を護った魔除けたち

画像:大阪城 イメージ

戦国時代の城には、災厄を防ぎ守りを固めるための魔除けが施されていた。

大阪城を例に、その特徴を見てみよう。

天守や櫓の屋根には「鯱(しゃち)」が飾られている。名古屋城のものも有名だ。
虎の頭と魚の体を持つこの装飾は、火を見ると水を吐いて建物を火災から守ると信じられていた。

屋根の上にも工夫がある。瓦の中に桃の実を模ったものがあり、これは桃が災いを払いのける呪力を持つとされていたからだ。

石垣にも特徴がある。重要な虎口付近の石には、魔除けと見られる刻印が彫られている。
安倍晴明にちなんだ「晴明紋」と呼ばれる五芒星の刻印のほか、その変形と思われる「大」、吉祥を表す「卍」なども彫られていた。

おわりに

画像:倶利伽羅龍が彫られた名槍・日本号 ※筆者撮影

上記紹介したもの以外にも、「三社託宣」と呼ばれた天照大神・八幡大菩薩・春日神の名を刻んだ鎧や、「九曜曼荼羅」が描かれた軍扇、「摩利支尊天」と書かれた軍配、「倶利伽羅龍」を彫り込んだ刀剣、毘沙門天の化身の百足をあしらった鞍など、あらゆる道具に魔除けが描かれていた。

戦国時代は死と隣り合わせの厳しい時代であったため、宗教が大きな役割を果たした。古くから信仰されてきた神道や仏教が武将たちにとって精神的な拠り所となり、寺院勢力が台頭して大名との結びつきも強化された。また、1549年にキリスト教が伝来し、大村純忠や高山右近など、一部の武将たちが信徒として布教活動に協力する例も見られた。

寺社の扱いも時代の中で多様だった。戦乱の中で焼き討ちに遭うことがある一方、武将たちが積極的に保護や修繕を行った例も多い。特に豊臣秀頼は寺社の修繕事業に尽力したという。

興味のある武将がいれば、その武将が何を信仰していたか、どんなところに魔除けを身につけたかを調べてみると、意外な一面を知れるかもしれない。

参考:『戦国の世の祈り』(大阪城天守閣)
文 / 草の実堂編集部

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