戦国時代

井伊直虎 は男説について調べてみた

はじめに

今年の大河ドラマといえば、『おんな城主直虎』。

根幹を揺るがす新資料が見つかって話題となっています。

「井伊直虎は男だった?」

ということを伺わせる史料が発見されたのです。

このニュースに、がっかりした歴史ファンもいることだろうと思います。しかし、この発見は井伊直虎が男であることを決定づけるものではなく、

「井伊直虎が男である可能性がでてきた」

ということだけなので、柴咲コウさん演じる井伊直虎のようなストーリーもあったと捉えていただければよいかと思います。

そもそも

「井伊直虎は誰? 男だったというのはそんなに重要なことなの?」

という方もおられると思いますので、今日は

「井伊直虎は男? 大河ドラマの配役はどうなる?」

と題して、今までの井伊直虎女性説の概要と、今回発見された井伊直虎の男説の概要をお伝えします。
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大河ドラマおんな城主直虎はこんな物語

井伊直虎は男説

井伊直虎は遠江の国【現在の静岡県浜松市】の国人、井伊直盛の娘として1536年に誕生しました。幼名は「おとわ」といいます。「国人」というのは、現代でいうところの市長、村長クラスの人のことで、井伊谷【いいのや】の一帯を治めていたのが井伊氏でした。本来なら女性であるので有力な大名に嫁ぐはずだったのですが、井伊直盛には男児がおらず、養子を迎えてなんとか井伊家を存続させようとします。それが亀ノ丞【のちの井伊直親】。これで井伊家も安泰だと思われたその刹那、事態が急変します。
1544年、亀ノ丞の父井伊直満【いいなおみつ】が今川家臣の小野政直の讒言によって謀反の疑いをかけられ、殺されてしまいます。このままでは息子の亀ノ丞の命も危ういということで、亀ノ丞は信濃【現在の長野県】に逃がされました。やがて、おとわは出家し「次郎法師」と名乗り、龍譚寺で修行することに。この間は井伊直盛が井伊家を支えていました。

1555年、今川家への復帰が叶い井伊家に戻ってきますが、既にこの時、井伊直親は結婚しており、次郎法師は婚期を逸してしまいます。

結局、次郎法師は生涯を通じて結婚することはありませんでした。やがて1560年次郎法師の父井伊直盛は今川家と織田家の戦い【桶狭間の戦い】に参加し、不運にも戦死してしまいます。後を継いだ井伊直親も1562年、皮肉にも父を死に追いやった小野政直の息子小野道好によって陥れられ死に追いやられてしまいます。

そして、龍潭寺の住職と次郎法師の母が話し合って、1565年、次郎法師は還俗(僧侶を辞める)し、【次郎直虎】と名乗って再び歴史の表舞台に登場するのです。

これが大河ドラマ『おんな城主直虎』のあらすじになります。ドラマの中では次郎法師=次郎直虎として描かれています.

 

今、話題になっている井伊直虎 男説とは?

そもそも「井伊直虎男説」とは、「次郎法師」後からでてくる「次郎直虎」という人物が別人であり、その「次郎直虎」という人物が男性ではないか、という説です。

「次郎直虎」という人物は誰なのか? ここでは有力なふたつの説を紹介していきます。

 

1次郎直虎は小野政次だった?

史料によると、たしかに次郎直虎は井伊家の当主にはなったものの、その在位は短く3年ほどしかありませんでした。

やがて次郎直虎は今川氏真【今川義元の息子】の命令で、徳政令【借金をチャラにする法律】を出した後、井伊谷の領主の任を解かれてしまいます。

そのあと井伊家家臣小野政次が、井伊谷の領主になっていることから、そもそも徳政令を出した時にはすでに次郎法師は領主の座を追われていて、小野政次が「次郎直虎」というハンコを押したのではないかという説です。実はこの史料に書いてある「花押」は、身分の高い男性が用いるのが普通で、女性には用いないということから男性説が浮上しました。

 

2井伊直虎 は関口氏経【せきぐちうじつね】の息子説

この説の根拠となるのは、「雑秘説写記」という彦根藩筆頭家老木俣守安が、聞き書きした記録をもとに編集された「守安公書記」12冊のうちの1冊です。

次のような記述があります。

「新野義矩の兄である関口氏経の息子に『井之次郎』と名乗らせ井伊谷に派遣した」

と書かれているのです。この「井之次郎」が井伊直虎ではないかという説です。事実、井伊家の家系図を見ると井伊直虎のスペースがすっぽり抜けており、他家の者が治めていたとすると、書きたくても書けなかったのではないかというのです。

 

以上、ふたつの説を見てきましたが、現在進行形で専門家たちによって調査がされており、さらに一波乱あるのではないかと思います。

ちなみに、1つ目の説に出てきた小野政次という男は『おんな城主直虎』の第一話に出てくるおとわと亀ノ丞の幼ななじみです。

どういう経緯で井伊家を乗っ取ってしまうのか、個人的には楽しみです。

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