戦国時代

上杉謙信 義のために戦う「川中島〜手取川の戦い」

川中島の戦い

※「芳年武者旡類:弾正少弼上杉謙信入道輝虎(月岡芳年作)」wikiより

長尾景虎(後の上杉謙信)は1530年、越後国守護代の長尾為景の四男として生まれた。

長尾景虎には兄の晴景がいて、長尾家を兄が継いでいたが、晴景は病弱で頼りないという評価だった。景虎は寺に預けられていたが、還俗して長尾家の当主になった。
長尾景虎は越後国を統一して戦国大名になり、その後北条氏との戦いで敗れた上杉憲政が越後に逃れた。その時、長尾景虎は上杉の名字と関東管領職を譲られた。

以降、上杉謙信と名前を変えて関東・越中・能登に兵を進めていく。

川中島の戦い

※故人春亭画 応需広重模写「信州川中嶋合戦之図」wikiより

川中島は信濃国の千曲川と犀川に挟まれた場所にある。信濃北部については村上義清が支配していた。信濃の村上氏は南北朝時代から北信濃一帯を支配していたと言われている。戦国時代に村上義清の代になると、武田信玄の攻撃を受けて北信濃から追われることになった。そして村上義清は上杉謙信を頼った。

上杉謙信は他の戦国大名のように新たな領地を攻めて手に入れることはせず、義がなければ戦をしない人物として知られている。村上義清の北信濃の旧領を取り戻して返すために信濃国に出陣した。これが川中島の戦いの始まりであると言われている。

川中島の戦いは1553年から1564年にかけて、武田信玄と上杉謙信との間で5回にわたって行われた戦いであるが、いずれの戦いも勝敗は決しなかった。

5回の戦いのうち、1561年の第四次川中島の戦いが最も激戦で、この戦いでは武田信玄方の武将山本勘助・室住虎光・武田信繁(武田信玄の弟)が戦死している。前半は上杉軍の優勢で進められたが、後半は武田軍の優勢に変わった。

川中島の戦いは5回行われたが決着らしい決着はつかず、その後武田信玄は信濃国北部から駿河国を攻めた。当時の駿河国は、1560年の桶狭間の戦いで今川家が混乱していて弱体化しており、その機を狙って攻めたと言われている。

川中島の戦い後の村上氏について、村上義清の息子国清は、山浦国清と名前を変えて上杉氏に仕えた。その後、1582年に信濃国北部にある海津城の城主となり、旧領の回復に成功したという記録が残っている。

手取川の戦い―織田信長と上杉謙信の唯一の戦い―

※現在の手取川 wikiより

織田信長は一度上杉謙信と戦ったことがある。この戦いは加賀国の手取川であったことから手取川の戦いと呼ばれている。

当初、織田信長は互角に戦っても勝ち目がないと判断したことから上杉謙信との戦を避けようとしていたと思われる。信長が上杉謙信に対して洛中洛外図屏風を送ったという記録も残っている。
上杉謙信は織田信長と友好関係を保とうとしていたが、信長が室町幕府の将軍足利義昭を追放したことで関係が悪化し、謙信は信長を攻めることを決意した。

信長との戦いに備えて、上杉謙信は越中と能登の七尾城を占領し、七尾城の救援に来た織田軍と手取川でぶつかり、勝利する。

手取川の戦いで謙信が勝った要因としては雨の影響が大きい。当時の鉄砲は火縄銃で雨が降ると火が消えて鉄砲が使えなくなり、柴田勝家率いる織田の軍勢は敗走している。

この手取川の戦いは上杉謙信と織田信長の唯一の戦いである。その後上杉謙信は病気で死亡したため、以後織田信長との直接対決はなかった。

おわりに

上杉謙信は1578年に急死するが、死因は脳血管障害という説が有力視されている。

謙信は生涯不犯を貫いており養子が4人いた。その内で跡継ぎ候補の上杉景勝、上杉景虎どちらを後継者にするか何も伝えないまま亡くなったことで越後国は後継者争いで混乱した。

 

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