安土桃山時代

本願寺顕如について調べてみた【信長の最大のライバル】

織田信長の最大のライバル 本願寺顕如

本願寺顕如

※本願寺顕如

いきなりですが織田信長の最大のライバルとして思いつくのは誰ですか?
いろいろな大名が思いつくと思いますが、自分では織田信長の最大のライバルは本願寺顕如(ほんがんじけんにょ)だと思います。

織田信長の天下統一を10年遅らせた人であり、浄土真宗(一向宗)のトップである本願寺顕如。
今回は織田信長を一番苦しめた本願寺顕如の年表などをわかりやすく説明していきます。

※石山本願寺の復元図 もやは寺ではなく城である

本願寺顕如は1543年、当時の本願寺のトップのお坊さんである証如(しょうにょ)の長男として生まれます。

顕如は父の証如がこの世を去ったことによって、たったの12歳で浄土真宗のトップになりました。
さらに顕如がトップになった時には浄土真宗は人々の間に爆発的に流行し、さらに京都の公家や石山本願寺近くにある堺の商人のバックアップを受け、どんどん本願寺は成長していきました。

しかし織田信長が京都と堺を手に入れてから状況は変わります。

信長は本願寺に対して2万貫(今の価値にして約30億円)の支払いを要求ますが、顕如はあっさり2万貫を払います。
その訳は浄土真宗の思想の一つに権力者に従うという王法為本というものがありました。

顕如はそれにのっとって信長の要求を受け入れますが、信長の要求はさらにエスカレートして最終的には石山本願寺を渡せと言い放ちます。
これには我慢ならなかった顕如はついに信長に戦いを挑むことになっていくのです。

顕如は信長の領地にあった浄土真宗の寺に信長を攻めるように手紙を送り、各地で一向一揆が勃発します。特に長島にあった願証寺という寺付近の一向一揆は特に勢いがよく、信長の兄と弟が討ち取られるほどでした。

さらに顕如は加賀(今の石川県南部)の一向一揆に越前(福井県北部)を攻めるように命じて越前を乗っ取ります。
しかしこれ以上信長を止めることは出来ず、武田家や足利将軍家などが滅亡して勝ち目がなくなったことを感じた顕如は、信長と講和(仲直り)して石山本願寺から紀伊(今の和歌山県)に去っていきました。
石山本願寺はその後、謎の火事によって燃えます。

そしてその跡地にのちの天下人である豊臣秀吉が大阪城を建てることになったのです。

そして本願寺はというと顕如は秀吉と仲が良かったのもあり、石山本願寺の跡地の近くである天満に新しく本願寺を建てます。
京都駅近くの七条という場所に新しく本願寺を建てて現在へとつながっていくのです。

顕如はそれを見届けながら1592年にひっそりとこの世を去っていきました。

顕如がまとめていた浄土真宗とはどんな宗教?

顕如がトップとなっていた浄土真宗は戦国時代に入ってから爆発的に流行しました。その理由には浄土真宗のわかりやすさにあったと思います。

皆さんはお寺に行った時に南無阿弥陀仏という念仏を唱えたことはありますか?
南無には『信じます』という意味があり、南無阿弥陀仏は『私は阿弥陀如来を信じます』という意味になります。

浄土真宗の教えは阿弥陀如来に対して、極楽浄土に連れてってもらえるように願いましょうというものでした。
さらに浄土真宗は念仏を唱えるだけでいいので、他の宗派では考えられない肉や魚を食べる行為や髪を伸ばすこともOKで、仏教の中でもかなりルールがゆるい宗教でした。

特に戦国時代は突然死ぬかもしれないという恐怖が人々の中にあったため、人々は極楽浄土に行けるように浄土真宗を信じるようになるのです。

信長はなんで石山本願寺が欲しかったの?

顕如が信長と戦う原因となった石山本願寺の明け渡し命令。
信長はなんでそこまで石山本願寺が欲しかったのでしょうか?

最大の理由は石山本願寺の立地にありました。

石山本願寺がある石山は南以外の方面を全て川で囲まれており、大阪湾に近いため船での貿易がしやすい場所でした。極め付けに堺や京都の近くにあり石山近くは商業が活発でした。特に経済面では楽市楽座の経営権を本願寺が独占していたので、その支配権を得ることは極めて大きな意味がありました。

しかし信長は石山に城を建てることなく本能寺の変によってこの世を去ります。
そして石山の地には信長の天下統一の事業を引き継いだ豊臣秀吉が大阪城を建てることになるのです。

※石山本願寺の跡地に建てられた大阪城

一向一揆が強かった理由

一向一揆は全国各地で起こり、織田信長や徳川家康などの戦国大名を悩ませる存在でした。
一向一揆が強かった理由は

①すぐに人が集まる
②死ぬこと前提に戦ってくるため士気が高い

の2つにあると思います。

のすぐに人が集まる理由は一向一揆の人の大半が、その寺近くに住んでいる農民たちなので武器を持って戦えたからです。
例えば1506年に起こった九頭竜川(くずりゅうがわ)の戦いでは一向一揆の軍は全軍合わせて30万ともいわれています。

の死ぬこと前提に戦ってくるため士気が高い理由は、浄土真宗のために死後は極楽浄土に行けると考えられていたので、死んだって構わないと思う人がたくさんいたためです。
一向一揆は『進者往生極楽 退者無間地獄』(進めば極楽に行けて、逃げたら地獄に行くよ)という旗を掲げて信長に立ち向かいます。

このように一向一揆は戦国大名にとって非常に厄介な存在でした。
しかし、顕如の和睦や刀狩りなどによって一向一揆は徐々に無くなっていくことになるのです。

 

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