戦国時代

昔の女と芋茎の味噌汁…天下無双の傾奇者・前田慶次が綴った旅の一幕を紹介

時は戦国、慶長6年(1601年)10月24日。京都・伏見を発って出羽国米沢(現:山形県米沢市)を目指す一人の老勇者がおりました。

彼の名は前田利益(まえだ とします)、天下無双の傾奇者・前田慶次郎(けいじろう)と呼んだ方が通りがよいかも知れません。

天下分け目の関ヶ原合戦に敗れ、米沢へと左遷されても毅然たる態度を崩さなかった上杉景勝(うえすぎ かげかつ)こそ終生の主に相応しいと見込んでのことですが、その道中で日記を書き残しています。

落合芳幾「太平記拾遺 前田慶次郎利丈」

後世『前田慶次道中日記』と仮題された文面には、自分の知識を散りばめた風景の描写や自作の和歌が彩られ、豪放磊落な傾奇者のイメージとは少し違った一面が垣間見えることでしょう。

今回はその一幕、中津川(なかつがわ。現:岐阜県中津川市)に泊まった10月29日のエピソードを紹介したいと思います。

芋茎(ずいき)の味噌汁

「……何じゃ、ここには旅籠(はたご)はないのか」

中津川に着いた慶次郎は、ブツブツと不満の声を洩らしました。

「木賃(きちん)も既に先客で一杯のようにございまするな」

旅籠も木賃も宿屋を指しますが、食事もついてくる旅籠に対して、木賃は自分で煮炊き(※)をする低ランクの宿になります。

(※)食料は持参が原則、煮炊きに必要な薪(焚き木)の料金だけをとるから「木賃」です。

「まぁ好かろう……他人に気を遣って肩を寄せ合うなど性に合わんからな。今宵は星空を屋根に、大地を枕にのびのび眠ると致そう」

要するに野宿ですが、少しでもカッコよく言いたがるのが、若い頃から変わらない慶次郎流というもの。

そうと決まればさっそく夕飯の支度です。今夜は米の飯に漬物、芋茎(ずいき)の味噌汁というシンプルな献立。

芋茎。現代でもたまに手に入ると美味しい。

芋茎というのはその名の通り里芋(サトイモ)の茎で、味噌で煮締めて干しておくと保存食になるため、旅の携行食糧として重宝されました。

縄のように綯(な)って使えば荷造りに使えるし、小腹が空いたらしゃぶってもよし。少しずつ齧ってもいいし、細かく切って煮立てれば、インスタント味噌汁にもなります(慶次郎が作ったのはこれ)。

さぁ、出来上がりました。ちなみに飯は濡らした手拭いに米を包み、軽く土に埋めた上で焚き火をすれば、適当な頃合いに炊き上がり(火力や炊く量によって時間が異なるため、色々試してみるといいでしょう)。

鍋や釜がない時は、こうして炊くと便利ですよ(手拭いを洗うのが面倒なら、最後に燃やしてしまえばゴミも嵩張りません)。

「……芋、か」

味噌汁をすすりながら、慶次郎はボソリと口を開きました。これは何か教養や思いつき(あるいはその両方)をひけらかしたい前触れ。

(うわぁ、また出るぞ……)

従者は内心でため息をついたのでした。

同じ「いも」でも……

「……『いも』と言えば、平安時代の『千載和歌集(せんざいわかしゅう)』にこんな歌があったなぁ……」

聞こえよがしな独り言と共に、慶次郎は一首の和歌を紹介します。

山しろ(山城)の みつののさと(里)に いも(妹)をおきて

いくたび(幾度)よど(淀)に 舟よばふ(呼ばう)らん

【意訳】山城国(現:京都府南東部)のみつのの里(※具体的な場所は不明)に囲った恋人に逢うため、淀川(夜度=毎晩にもかけている)を渡るための舟を何度呼んだことだろうか……

渡し舟。慶次も恋人に逢いに行ったのだろうか(イメージ)

ここで言う妹とは、親が同じ年少の女性(現代的な意味での妹)ではなく、特別な女性を指します。要するに恋人とか愛人とかそういう存在です。

同じ「いも」でも、芋と妹では大きく違う……ただそれだけの、別に大して面白くもない親爺ギャグですが、そこは教養自慢の慶次郎。ちゃんと(それなりの)オチを考えていました。

「どっちも身体が温まり、とっても美味い。できれば両方欲しかったなぁ……」

当時(旧暦)の10月下旬は、現代で言うおよそ11月下旬。これから寒くなる季節、まして雪深い奥羽へ向かうとなれば、尚の事です。

「ははは……流石の色男も、女にフラれましたか」

辛うじて笑えるレベルに達したか、従者は乾いた笑いを洩らします。

「いいや。いくら義のためとは申せ、厳しい寒さを我慢させるのは忍びなきゆえ残して参った」

また負け惜しみを……そう思わないでもありませんが、怒らせると後々面倒なので黙っていることにしました。

終わりに

……とまぁ全体的に、こんな具合で11月19日に米沢へ到着するまで、事あるごとに愚痴や教養のひけらかしが綴られていく……という、実に老人らしい展開になっています。

これを読んで「天下無双の傾奇者と謳われた前田慶次も、老いてしまえばこんなものか」と思うかも知れませんが、一方で「雲の上の存在かと思っていたが、案外自分と似ているな」など親近感を覚える方がいるやも知れません。

こういう人生の一幕を切り取った文学作品は、読む年齢によって味わいが変わってくるものですから、もし若い頃にこれを読んで慶次に失望?してしまった方は、もう少し歳月を経てから再び読んでみると、また違った視点を持てることでしょう。

※参考文献:
今福匡『前田慶次と歩く戦国の旅『前田慶次道中日記』を辿る』洋泉社、2014年12月
永山久夫『武将メシ』宝島社、2013年3月

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角田晶生(つのだ あきお)

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フリーライター。日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。(ほか不動産・雑学・伝承民俗など)
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