戦国時代の代表的な遠距離武器と言えば、やはり火縄銃といえるでしょう。
火縄銃は、1543年に外国船から種子島に伝わったというのが通説ですが、近年ではそれ以前から倭寇勢力によって複数の地域に持ち込まれていた、という説が有力視されています。
火縄銃の威力が最も発揮され、有名になったのは織田・徳川連合軍と武田軍との間で行われた長篠の戦いです。
武田軍は無敵とされる精鋭騎馬軍団を誇っていましたが、織田・徳川連合軍の大量の鉄砲部隊の前に敗れました。
しかし火縄銃の射程・威力・コストパフォーマンスなど、あらゆる点を考慮すると、本当に弓よりも優れた武器だったのでしょうか。
この記事では、火縄銃を実戦で使用することを前提に、あらゆる角度から検証し、弓よりも優れていたのかどうかを考えていきたいと思います。
火縄銃の射程と命中精度について
火縄銃の射程については諸説ありますが、日本前装銃射撃連盟会長である小野尾正治氏らが、2005年に行った実験結果に基づくと、有効射程は約200m程度とされています。
一部の記録では最大射程距離が500mとされていますが、それはあくまでも弾が到達する限界であり、実用的な射程とは異なります。
NHKでも、2023年に放送された『歴史探偵』という番組で、火縄銃の射程や命中精度に関する実際の検証が行われました。
[歴史探偵] 長篠の戦いを徹底調査!織田信長 三段撃ちの真相 | NHK (youtube.com)
番組では、『日本前装銃射撃連盟』に所属する3名が、50mおよび100mの距離から直径40cmの標的に対して10発の発砲を行い、どれだけ命中できるかを試験しています。
その結果は以下の通りです。
・火縄銃歴15年の人:50mで10発が命中し、100mでは1発が命中
・火縄銃歴5年の人:50mで7発が命中し、100mでは1発が命中
・火縄銃歴3年の人:50mで5発が命中し、100mでは1発が命中
これらの結果を合計すると、50mでは73.3%の命中率があり、100mでは10%まで極端に低下しています。つまり、火縄銃の精度を考えると、有効射程距離はおおよそ50mと言えるでしょう。
次に弓についてですが、これは使用する弓の種類によって大きく異なります。
強弓の場合、400mまで矢が飛ぶという記録もありますが、実際の有効射程距離はおおよそ50mから100mの範囲とされています。ただし、弓は使用者によって射程距離や命中精度が大きく変動するため、火縄銃よりも使用者の差異が大きいと言えるでしょう。
もちろん、火縄銃も使用者による命中精度の差が生じますが、引っ張る力が必要がないため、「射程距離は誰が撃っても一緒」という点が大きな利点となります。
火縄銃の威力(殺傷力)について
戦国時代の後期において、火縄銃が急速に広まった最大の理由は、おそらくその威力(殺傷力)でしょう。
弓や槍、刀など、長年武芸に励んだ者こそが強かった時代において、火縄銃は僅かな修練でそういった武士を屠ることができたのです。
威力についても、日本前装銃射撃連盟が2005年に行った実験で検証されています。
実験では、距離50mから撃った際に厚さ1mmの鉄板を貫通させています。また、2枚重ねにした2mmの厚さでは貫通はしなかったものの、内部の鉄板がめくれ返っていました。
戦国時代の鎧に使用された小札の鉄板は、厚さ0.8mmから1.5mm程度だったことから、火縄銃は50mでも十分な殺傷能力を備えていることを示唆しています。
次に弓についてですが、まずは以下の動画をご覧いただきたいです。
この動画では、弓を使用して様々な威力実験が行われています。
最初は、距離10mで弓力(張力)50キロの弓を用いて厚さ0.35mmのバケツに向かって射撃され、見事に貫通しています。戦国時代に存在した強弓は50キロ程度の弓力(張力)を持っていたことから、この距離ならば十分な威力を発揮していることが確認できます。
しかし、厚さ1.6mmの鉄製フライパンに対しては、鏃(やじり)の箆部が破損するようになり、弾かれるようになりました。
つまり、戦国時代の鎧(0.8mmから1.5mm)は、一番薄い0.8mmならば貫通する可能性もありますが、射出する距離を考慮すると、遠距離での殺傷能力は火縄銃には到底及ばないことになります。
火縄銃の価格について
次は火縄銃を、コストパフォーマンスの観点から見ていきます。
火縄銃にはいくつかの欠点がありますが、一番の欠点はコストです。
初めてポルトガルから2挺の火縄銃が導入された際の価格は、2,000両という非常に高額なものでした。当時の両の価値は現代価格では断定しにくいですが、少なく見積もっても1挺1,500万円以上と推測されています。
戦国時代の終盤においては、国内で量産体制がある程度整ったとはいえ、火縄銃1挺が50~100万円程度かかったとされています。
また、火薬と玉に関しては、一説には「火縄銃一発分の火薬は、米一升に相当した」とされており、永禄年間(1558~69)の京での米一升の値段15文、一文150円で推測すると、火薬1発分で2250円。玉は火薬よりも安価と推測できるので、玉と火薬を合わせても1発5000円未満だったと考えられます。
さらに射手の育成費用なども考えると、かなり高額な武器でした。
一方で、弓の価格については弓の種類によって大きく変動します。
ちなみに、弓を射る際に必要となるグローブの弓懸(ゆがけ)1つが、現代価格でおおよそ1万円程度だったとされています。
そして弓矢はある程度自作もできましたが、矢の先端の金属部分の鏃は高額で、1本数万円ほどだったと推測されています。つまり弓本体よりも矢の値段の方が高くついたということです。
そして、火縄銃よりも弓矢の射手を育成する方が、はるかに時間とコストがかかります。
火縄銃の場合は比較的短期間で訓練可能ですが、特に強弓の場合は筋力が必要であり、射手育成の難易度は高かったのです。
火縄銃と弓矢の比較のまとめ
火縄銃は初期費用こそ高額ですが、射的距離や威力は十分で、維持費(火薬や玉)は安く、一番の利点は短期間で訓練可能なことでした。
これはつまり、言い方は良くないですが「戦死してもすぐに替えが効く」ということです。
兵士が足りない局面において、戦経験のない農民でも短期間で殺傷力を持つ兵士に育てられることは、戦国大名にとって大きなメリットだったでしょう。
一方で、弓矢は初期費用こそ安価ですが、射程距離は射手によってバラバラで、威力は明らかに劣ります。
そして育成にとにかく時間がかかることが最大のデメリットでしょう。せっかく時間をかけて訓練しても戦死してしまったら、また1からゆっくり訓練しなければなりませんし、腕が不十分なまま戦に出しても、高額な矢を無駄に消費するばかりです。
長い目でみると、弓矢は人件費などで火縄銃より高くつくうえに、大名にとっては戦略的な視点において戦果やコストなどが予測・計算しにくかったことでしょう。
総括すると、やはり全てにおいて火縄銃の方が弓矢より上と言えそうです。
唯一火縄銃を超える可能性があるのは「弓の名手」だけなのかも知れません。
参考 :
『歴史群像』
戦国時代の経済学(川戸 貴史)
関連記事 : 戦国時代の弓の名手たち 「立花宗茂、大島光義、鈴木大学」
50kgfの弓と言っても、計測したときの矢尺まで全然引き切れていない。このあたりの数字のトリックはいい加減辞めるべき。