どうする家康

裏切り者は許すまじ!三河一向一揆で離反した大見藤六と、水野太郎作の一騎討ち【どうする家康】

永禄6年(1563年)に勃発した三河一向一揆は松平家中を震撼せしめ、忠義と信仰の板挟みに悩んだ結果、家臣のおよそ半分が一揆側に寝返ってしまう異常事態に。

それは徳川家康(演:松本潤)の近臣たちも例外ではなく、信頼していた者たちが次々と裏切っていきます。

一向一揆との激闘。月岡芳年「三河国風土記之内 大樹寺御難戦之図」

今回は『東照宮御実紀付録』より、大見藤六(おおみ とうろく)のエピソードを紹介。その裏切りに、家康はどうするのでしょうか。

……藤六が首切て我に手向よ……

三河一向一揆は年をまたいで永禄7年(1564年)、明日に合戦を控えた1月2日夜のこと。

「畏れながら申し上げます。大見藤六、一向門徒へ寝返り申した!」

物見の報告を受けた家康は俄かに動揺します。それもそのはず、藤六は先ほどまで軍議の場に控えており、こちらの計略を細大漏らさず聞いていました。

一揆方へ情報を漏洩するのは間違いない……家康は急ぎ近臣たちを集めます。

「藤六が裏切った。こちらの手は間違いなく敵へ筒抜けであろう。それを承知で明日は励んでもらいたい。また万が一わしが討たれるようなことになったら、藤六の首級を我が墓前に供えよ」

さて翌1月3日。両軍は小豆坂で合戦に及び、大見藤六は同じく寝返った石川新七(いしかわ しんしち)と並び真っ先に突っ込んで来ました。

「おのれ裏切り者ども……惣兵衛(そうべゑ)、太郎作(たろうざ)、かかれ!」

「「御意!」」

敵を迎え撃つ惣兵衛と太郎作(イメージ)

徳川方からは水野忠重(みずの ただしげ。惣兵衛)と水野正重(まさしげ。太郎作)が迎え撃ち、石川新七についてはたちまち惣兵衛に突き殺されてしまいます。

「これは敵わん。勝負は預けた!」

「待てこら、逃さぬぞ!」

形勢不利をさとり逃げ出した大見藤六を太郎作が追撃。しかしこれは藤六の罠で、距離をとったところで弓を引いて待ち構えました。

「せがれ(ここでは息子でなく、若者を卑しめる表現=太郎作)め、この一矢に仕留めてくりょうぞ……っ!」

一方の太郎作はそんな小細工は百も承知で、射らば射よと微塵も恐れず突撃します。その時、どこからともなく流れ矢が藤六の腕に。

「おのれっ!」

大見藤六は弓を捨てて太刀を抜こうとしますが間に合いません。

「遅いわ!」

たちまち槍を突き立てる太郎作。しかし手ごたえはあったものの、鎧の小札が堅くて貫通できませんでした。

「しめた、食らえっ!」

一命を取り留めた藤六は抜き放った太刀で斬りつけますが、今度は冑(かぶと?よろい?どちらの意味にもとれる)が堅くて刃が通りません。

「この下郎め!」

太郎作も槍を打ち捨てて抜刀、鎧の隙間を狙って藤六を斬り倒しました。

「おのれ、小倅が……無念じゃ」

落馬した藤六が覚悟を決めて、念仏を唱えたところを太郎作は首を叩き落とします。

「大見藤六、水野太郎作が討ち取ったり!」

石川新七・大見藤六の両名が討たれたことを知って、一向門徒らは蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていきました。惣兵衛と太郎作はそれぞれ首級を持って家康の元へ。

「大見藤六を討ったそなたの忠功、まことに天晴れなり!」

この日の一番手柄はもちろん太郎作、二番手柄は惣兵衛とて、大いに士気を高めたのでした。

終わりに

この日の一番手柄は太郎作に(イメージ)

一向乱のとき正月三日小豆坂の戦に。大見藤六は前夜まで御前に伺公し。明日の御軍議をきゝすまして賊徒に馳加はりしかば。   君近臣にむかひて。明日はゆゝしき大事なれ。藤六さだめてこなたの計略を賊徒にもらしつらん。汝等よくゝゝ戦を励むべし。我もし討死せば藤六が首切て我に手向よ。これぞ二世までの忠功なれと仰けり。かくて明日藤六と石川新七両人真先かけて攻きたり。新七は水野惣兵衛忠重が爲に突伏らる。藤六には水野太郎作正重打むかひ。汝のがすまじとて打むとす。藤六弓引て。せがれめよらば一矢に射とめむとまち構へたるをもかへりみず。正重鑓提て間近く進むに。流矢来て藤六が腕にたてば。弓矢を捨太刀抜んとする所へ正重鑓付しが。札堅くして徹らす。藤六抜はなちて正重が冑を切けるにこれも切得ず。よて太郎作も策すて刀にて切り合ひ。終に藤六を切倒しければ。倒れながらせがれ無念なりとて念仏唱るところを。其首打落す。かくて二人討れければ賊徒みな敗走す。正重藤六が首を御前へもち参りしかば。藤六をば汝が討たるか。汝が一代の忠功なれと御称誉あり……

※『東照宮御実紀付録』巻二「一向宗一揆」

以上、三河一向一揆における大見藤六のエピソードを紹介してきました。ギリギリの接戦を制した水野太郎作正重はその後も武功を重ね、姉川の合戦(元亀元・1570年)で敵将を兜ごと叩き割った打刀は「太郎作正宗(たろうざまさむね)」として今日に伝わっています。

やがて三河一向一揆は鎮圧・懐柔され、かつて寝返った家臣たちはほとんど帰参を許されました。そんな中で大見藤六についてあれだけの怒りを示したのは、日ごろ信頼していた裏返しなのでしょうか。

果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では三河一向一揆がどのように描かれるのか、(大見藤六と水野太郎作の一騎討ちは割愛でしょうけど)楽しみですね!

※参考文献:

  • 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
アバター画像

角田晶生(つのだ あきお)

投稿者の記事一覧

フリーライター。日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。(ほか不動産・雑学・伝承民俗など)
※お仕事相談は tsunodaakio☆gmail.com ☆→@

このたび日本史専門サイトを立ち上げました。こちらもよろしくお願いします。
時代の隙間をのぞき込む日本史よみものサイト「歴史屋」https://rekishiya.com/

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 間一髪!あやうく羽柴秀吉への養子≒人質に出されかけた松平定勝 【…
  2. 関ヶ原の合戦で、上杉景勝と戦った結城秀康。なぜ彼は殿軍を引き受け…
  3. 【どうする家康】 次に天下を狙うのは誰?秀吉が石田三成を挙げた理…
  4. 「バカな甥っ子」家康を思いやる水野信元(寺島進)。愛敬のある伯父…
  5. ♪味よしのう~り売り…豊臣秀吉たちが繰り広げた仮装パーティ「瓜畑…
  6. 家康にも秀忠にも嫌われた六男・松平忠輝 「ようやく家康に認められ…
  7. 本多忠勝と本多正信の関係性とは? 「最強武将と最強謀臣」【どうす…
  8. 豊臣秀吉の右手には指が6本あった? ~ルイス・フロイスの記述

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

高天神城へ行ってみた【続日本100名城 観光】

──みどり木 踊る 山の上 高天神城よ 何想う♪高天神城へ行ってきました。寒…

「関ヶ原」で大遅刻して家康に怒られた秀忠 「大坂の陣」では速すぎて怒られる

世紀の大遅参天下分け目の関ヶ原の戦いで「世紀の大遅参」という大失態を犯した江戸幕府2代将…

戦国時代のヒエラルキーについて解説 「天皇・公家、将軍・大名、国人・地侍、他」

はじめに日本において身分の差が顕著になったのは、弥生時代に人々の生活が狩猟から農耕中心に…

モンゴル帝国最後の皇帝エジェイ・ハーンについて調べてみた

かつて世界の1/4~1/3を征服し、ユーラシア大陸にその名を轟かせたモンゴル帝国。その創始者…

直江兼続の正室・お船の方とは ~「夫、娘、息子を亡くすも上杉家を支え続けた良妻」

お船の方とはお船の方(おせんのかた)とは、直江兼続(なおえかねつぐ)の正室である。…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(週間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP