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望月千代女とは
現在放送中の大河ドラマ「どうする家康」で、古川琴音が演じている「歩き巫女・くノ一(女忍者)」は、信濃国の巫女頭・望月千代女(もちづきちよじょ)をモデルとしている。
ドラマでは三河一向一揆に潜り込み、徳川家康を見定めた巫女でありながら、実は武田信玄の間者であった。
史実の望月千代女は、信玄の命を受けて「歩き巫女・くノ一(女忍者)」の養成を行ない、甲賀の女忍者の頭領だったという説もある謎多き女性である。
今回は信玄が重用した女忍者の頭領・望月千代女について掘り下げていきたい。
出自
望月千代女は生没年や出生地は不明だが、一説には平安時代から続く甲賀忍者を構成する「甲賀五十三家」の筆頭である上忍の家柄で、名門「甲賀望月氏」の娘だと言われている。
千代女は、信濃国の国人で望月城主・望月盛時(もちずきもりとき)に後妻として嫁入りしたという。(※望月盛時は信玄の甥という説もある)
しかし、永禄4年(1561年)の「第四次川中島の戦い」で夫・盛時が討死し、若くして未亡人となる。
第四次川中島の戦いは、5回行われた川中島の戦いの中でも一番の激戦で、両軍合わせた戦死者は約7,000人と言われている。
歩き巫女の頭領
第四次川中島の戦いが終わった後、信玄は未亡人になった千代女を甲斐信濃二国の巫女の頭領に任命した。
頭領となった望月千代女は「歩き巫女」の育成に携わることになる。(※歩き巫女とは、特定の神社に属せず各地を遍歴する巫女のこと)
歩き巫女は、各地を巡りながら祈祷・呪術・口寄せ(いたこ)・巫女舞・易占(えきせん・占い)などで生計を立てており、当時は珍しい存在ではなかった。
だが、信玄が千代女に指示した歩き巫女は、敵の情報を集めることを目的とした「間諜(かんちょう)」だったという。
つまり破壊工作を行なったり、密かに敵の様子を探って味方に報告する「くノ一(女忍者)」であった。
信玄は、歩き巫女が各地に設けられた関所を自由に通行できることに目を付け、情報収集に役立つと考えたのである。
千代女は、元々諏訪神社の巫女や歩き巫女が多く住んでいた禰津村(ねずむら・現在の長野県東御市)に修練道場を建て、身寄りのない女たち300人を集め、歩き巫女(くノ一)の育成を始めた。
特に見た目の美しい女子が選ばれ、基本的な歩き巫女の修行と共に、情報収集や情報操作など間諜の仕方を教示した。
こうして千代女に育成された歩き巫女(くノ一)たちは、各地の情報を集めて信玄へ報告していたのである。
歩き巫女の情報収集方法
信玄に仕えた忍者は「透波(すっぱ)」と呼ばれ、その地に因んで信玄に仕えた忍者は「甲州透波」と呼ばれた。
武田家の軍略に基づいて多用され、信玄は甲州透波を組織化して70名を召し抱えた。
その中から特に優秀な30人を重臣の板垣信方・飯富虎昌・甘利虎泰に10人ずつ配属し、各地の大名の攻略を行なわせていたという。
甲州透波は2人1組で敵地を探り、決められた日時に国境に出張したつなぎ役の武士たちに情報を伝え、それが信玄に伝わった。
千代女が育てた歩き巫女たちは、敵の土地に入ると様々な形で情報を集めた。
例えば口寄せや易占を行い、その土地に住む女性を集め、悩み事などを聞き出しながら情報を集めたのである。
神に仕える巫女は信用されやすく、民衆からも馴染まれた。
武田軍に役立つ情報があれば、つなぎ役の歩き巫女たちに報告し、そのつなぎ役が情報を千代女に報告し、千代女がそれらの情報を整理して信玄に報告したという。
ののう
千代女の歩き巫女の修練道場があった禰津村には、歩き巫女に関わる史跡があり、修練道場につながる道「ののう小路」や「ののうの墓石」などが今も残されている。
「ののう」とは、信濃地方に伝わる「歩き巫女」を意味する呼び名である。
神様など人が拝む対象とするものを「のんのさま」と呼んでいた。
人に呼び掛ける時の「ねえねえ」にあたる方言「のうのう」が由来だという。
神職である巫女に対する敬意と、人々の暮らしに溶け込んでいた親しみやすさから、歩き巫女は「ののう」と呼ばれていたのである。
珍しかった女忍者
上述した板垣信方・飯富虎昌・甘利虎泰が戦で亡くなったために、信玄は甲州透波を再編成し、新たに間見(諜報)・見方(謀略)・目付(監視)の3つの役割を設置して分担させた。
新しい忍者組織は3つに分担したことから「三ツ者(みつもの)」と名付けられたが、信玄は更に細やかな情報を収集するために、千代女に命じて歩き巫女の育成を始めたのである。
忍者集団は多くの戦国大名に仕えていたが、女性だけの間諜集団を持っていた戦国大名はほとんどおらず、信玄は「甲州透波」と「歩き巫女」の2つの組織を活用することで、全国各地の情報をくまなく集めて戦術に役立てた。
その情報収集能力の高さから信玄は「足長坊主」という異名で恐れられ、禰津村に住む歩き巫女たちは、後世に「くノ一」とも称せられるようになったという。
おわりに
望月千代女は武田信玄の甥・望月盛時と結婚し、禰津村で歩き巫女の育成をしたこと以外はほとんど不明で、謎に包まれた女性である。
しかし彼女が育成した歩き巫女の仕事は、甲州透波を始めとした忍者たちが行う情報収集の任務だったことは確かである。
望月千代女が「くノ一」だったというのはあくまで俗説ではあるが、唯一歴史上名前の残った「くノ一」の頭領として広く知られる存在となっている。
TVの望月千代女を演じた古川音さんの演技は「くノ一」そのもの、妖艶で男をたぶらかしながら、本当は家康を見定めた演技はまさに女忍者だった。実在していたのですね「くノ一」は、さすがは信玄ですね。
そこに目を付けたrapportsさんもスゴイっす!これからの「どうする家康」楽しみですね。
先週末に望月千代女、信玄の横にTVドラマでいたじゃん、
すげえrapportsさん目の付け所が違いますねえ、次は三方ヶ原の戦いですね。
姉川の戦いとか大河ドラマあっさりし過ぎですよね。
そういうところを草の実堂さんは責めるんでしょうね?楽しみです。
見ました7日の大河、完全にくノ一女忍者千代女凄かったわ、この記事はマジでしたわ、アッパレ