どうする家康

今こそ御恩を返す時!三方ヶ原合戦に散った夏目広次(甲本雅裕)の壮絶な最期【どうする家康】

武骨な武将が多い家臣団の中で、家康を実務面で支える事務方の男。いつも目立たず、家康からは名前をなかなか覚えてもらえないが、武田家との大決戦・三方ヶ原の戦いでは大きな使命を果たす。夏目漱石の先祖ともいわれる。

※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより。

第1回放送「どうする桶狭間」からずっと登場している夏目広次(演:甲本雅裕)。

大河ドラマでは事務方とされていますが、実際には数々の槍働きで武功を重ね、徳川家康(演:松本潤)を支えてきました。

今回はそんな夏目広次が三方ヶ原の戦い(元亀3・1572年12月22日)で遂げた壮絶な最期を紹介。最期まで名前を覚えてもらえないままなのでしょうか。

家康の身代わりに

家康の窮地に駆けつけた夏目広次(イメージ)

……浜松御留守に置らし夏目次郎左衛門吉国与力廿四五騎引連れ馳来りて某御名を名乗り御命にかハり申べし皆々早く御供して御帰城有べしと申神君何ぞ汝一人を捨て殺すべき我も一所に討死すべきぞと仰らるゝ夏目大の眼をいからし言甲斐なき御心哉大将たらん人ハ後度の功を心掛給ふ古そ簡要なれ葉武者の働きし給ひて何の益かあらんと怒れる眼に涙をうかめ御馬の轡を取て浜松の方へ引廻し於側に付居たる畔柳助九郎武重に早く御供申せと云ながら持たる鎗の柄を以て御馬の尻を叩けバ御馬ハ流石に逸物なり飛が如くに馳り行其跡にて夏目ハ十文字鎗を振ひ追来る敵二騎突落し其外を追拂ひ猶も進んで敵中に入て与力士廿五騎と共に一人も残らず討死す……

※『改正三河後風土記』「三方原大戦の事」

【意訳】家康が窮地に陥ったその時、浜松城で留守を預かっていた夏目次郎左衛門吉国(じろうざゑもん よしくに。広次)が与力24、5騎を率いて駆けつけます。

「それがしが、殿のお名前を名乗って身代わりとなり申す。時間を稼いでいる間に皆々と城へお戻りくだされ!」

夏目の申し出を聞いた家康は申し出を断りました。

「何を申す。どうしてそなた一人を見捨てて行けるものか。わしも一所にここで討死する!」

すると夏目は両の目玉を大きく見開いて、家康を叱りつけます。

「心得違いもはなはだしい!大将たるもの、御命を大切にして最後に勝つことを考えるべき。葉武者(下っ端)の働きをしたところで、何の益にもなりませぬ!」

怒気に満ち満ちた両目は涙を浮かべ、家康の乗っている馬の轡をとって馬首を浜松城の方向へ引き回しました。

そして家康の側にいた畔柳助九郎武重(くろやぎ すけくろうたけしげ)に向かい「早うお連れせよ!」と叱咤。すかさず槍の柄をもって馬の尻をぶっ叩いたのです。

こうなると馬は一目散に浜松城を目がけて走り出します。「あ、こら夏目!」家康は慌てて馬にしがみつき、そのまま浜松城へと向かいました。

「……よし、殿が無事に帰られるまで時を稼ぐ。者ども、かかれ!」

「「「応……っ!」」」

夏目は得物の十文字鎗を奮って家康を追撃してきた武田の騎馬武者2名を突き倒します。

さらに武田の大軍へ躍りかかり、与力25騎と共にことごとく討死して果てたのでした。

「今こそ御恩を返す時」

かつて広次も寝返った三河一向一揆の死闘。月岡芳年筆

……此夏目一向乱の時逆徒に組し生取と奈りしを松平主殿助伊忠が此者始終御用に立べい者之と申上て助命せられるゝのみならず御懇切に召仕ハれしかば其御恩に報ひし忠死なりとぞ知られける……

※『改正三河後風土記』「三方原大戦の事」

かくして壮絶な最期を遂げた夏目広次。しかし、どうしてそこまで家康のために命を賭けたのでしょうか。

第8回放送「三河一揆でどうする!」第9回放送「守るべきもの」をご記憶の方はピンときたと思われますが、夏目はかつて三河一向一揆(永禄6・1563年~同7・1564年)において家康に叛旗を翻した一人です。

一揆の鎮圧後に生け捕られ、本来ならば処刑されるべきところを赦された夏目は、その恩義をずっと感じていたのでした。

「夏目はきっと殿のお役に立ちます(此者始終御用に立べい者之)!どうかお助け下され!」

松平伊忠(まつだいら これただ。主殿助)の助命嘆願を聞き入れていたために、家康は命拾いしたということです。

「そなたの死は、決して無駄にはせぬ……!」

夏目の死を惜しんだ家康は三河国額田郡山中法蔵寺に石碑を建立。信誉徹忠(しんよてっちゅう)の号を与え、家臣に月拝(げっぱい。毎月の命日=ここでは22日に参拝すること。)を命じたのでした。

終わりに「天下統一を成し遂げたのも、夏目のお陰だ」

また、しばらく後に夏目の遺児を召し出して、感謝を伝えたエピソードも残されています。

……はるか俊経て後夏目吉信(よしのぶ。広次)の二子をめし出して。我その時危難をまぬかれいま天下一統の業をなせしも。全く汝が父の忠節によれりと御涙をうかべて仰せられしとぞ。……

※『東照宮御実紀附録』巻二「三方原敗軍(旗士戦功)」より

果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、この名場面がどのように描かれるのか、眼が放せませんね!

※参考文献:

  • 『改正三河後風土記 上』国立国会図書館デジタルコレクション
  • 『寛政重脩諸家譜 第二輯』国立国会図書館デジタルコレクション
  • 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
  • Xをフォロー
好きなカテゴリーの記事の新着をメールでお届けします。下のボタンからフォローください。
アバター画像

角田晶生(つのだ あきお)

投稿者の記事一覧

フリーライター。日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。(ほか不動産・雑学・伝承民俗など)
※お仕事相談は tsunodaakio☆gmail.com ☆→@

このたび日本史専門サイトを立ち上げました。こちらもよろしくお願いします。
時代の隙間をのぞき込む日本史よみものサイト「歴史屋」https://rekishiya.com/

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【関ヶ原の合戦】 彦右衛門(鳥居元忠)の壮絶な最期 ~炎上する伏…
  2. 瀬名(築山殿)を自害に追い込んだ武田勝頼の哀れな最期とは?
  3. 家康が溺愛した美人キリシタン女性〜 おたあ・ジュリア 「信仰を貫…
  4. 徳川家康は世界中と貿易しようとしていた?「鎖国とは真逆の外交政策…
  5. 【どうする家康】 本能寺の変に“黒幕”はいるのか? 「世界史の法…
  6. 夏目広次だけじゃない!三方ヶ原で家康の影武者となった鈴木久三郎の…
  7. 間一髪!あやうく羽柴秀吉への養子≒人質に出されかけた松平定勝 【…
  8. いま何て言った?三河武士を「臆病」呼ばわりするとはどういう事か。…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

上杉謙信は27歳の頃、出家と隠居を宣言し出奔していた【全てが嫌になった?】

上杉謙信の出家願望「越後の龍」こと上杉謙信は、弘治2年(1556年)27歳の時に越後を出…

【自分でファミリーヒストリー】江戸時代の検地史料からご先祖様を発見!その暮らしぶりを調べてみた

皆さんは、自分のご先祖さまに興味はありますか?「ウチは大した家柄でもないから……」「…

井伊直弼と桜田門外の変について調べてみた

井伊直弼(いいなおすけ)は彦根藩に生まれた。井伊直弼の父は直中で、直弼は初代藩主直政から数え…

『狛犬だけじゃない』狛猫・狛カエル・狛ウサギ〜ユニークな狛〇〇に出会える神社

神社や寺院の狛犬(こまいぬ)は、聖域を守護する役割を持ちつつ、それぞれの寺社の個性を表す存在…

『幕府が取り締まった娯楽』松平定信もハマった江戸の戯作ブームとは?

江戸時代の文学にはさまざまなジャンルが存在しましたが、特に人々に親しまれたのが「戯作(げさく)」です…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP