平和のために奔走する築山殿
現在放送されている「どうする家康」は、築山殿事件に突入しています。
ドラマの中では築山殿(演:有村架純)の懸命な奔走によって、三河や甲斐を含む国家間の同盟を、家康に提案する場面が描かれました。
現代でいえばEU(欧州連合)のような、国家構想を提案した築山殿に同意した家康。しかし武田勝頼(演:眞栄田郷敦)の裏切りによって、築山殿の計画は織田信長(演:岡田准一)にバレてしまいました。
ドラマでは美談として描かれている築山殿事件ですが、実際の歴史とは大分異なっています。
そこで今回の記事では、歴史書に従いながら、築山殿に関する一般的な説を紹介したいと思います。
姉さん女房
15歳で元服した家康は、今川義元の仲介によって妻をめとることになりました。その女性が築山殿です。
実名は不詳ですが、ドラマでは「瀬名」と呼ばれていました。現在も静岡市には瀬名という地名があり、築山殿の出生地であると言われています。
家康と結婚したとき、彼女はなんと25歳でした。当時としては、かなり遅い年齢です。跡継ぎがいなければ家系が途絶えてしまうため、親はなるべく早く嫁に行かせるのが普通です。
当時の女性には子どもを産むという、いわば「使命」が課せられていました。「関口氏純(演:渡部篤郎)の娘」という名門出身の彼女が、25歳まで結婚できなかった背景には、なにかしらの理由があると考えるのが普通です。
この件に関しては資料がありませんが、考えられる理由としては「別の大名に嫁いだが死別した」「身体に欠陥があったか、容姿に問題があった」などが考えられます。小説家の山岡荘八氏は、彼女は今川一族の愛人を務めていて、いわば「お古」を家康に押し付けたという説を主張しています。
家康の結婚に関しては、三河衆もあまり良い印象を持っておらず「あんな年上をお気の毒に」と感じていたそうです。
しかし幼い頃から今川家の人質だった家康にとって、10歳年上の姉さん女房との相性は悪くなかったようです。
家康に捨てられた築山殿
桶狭間の戦いによって、今川家から独立した家康は、遠江国を手にすると岡崎城から浜松城に移転します。
このとき築山殿は「岡崎城に置き去りにされた」と考えていいでしょう。
このとき家康は30代後半です。10歳年上の彼女は、もう女性として見られていなかったのかもしれません。ドラマにおいても家康が浜松城に来てから、他の女性にうつつを抜かすシーンが描かれています。
言葉は悪いですが、捨てられたのでしょう。
またおそらくですが、夫婦仲も悪かったと予想されます。
桶狭間の戦いのあと、家康は織田信長と同盟を結んでいます。
家康が今川家を切ったことで、築山殿の父親である関口氏純は切腹させられています。彼女からすれば「信長と同盟なんか結ぶから…」と、家康を責めることは自然な流れです。
そしてついに、築山殿は家康を殺す計画を立てます。
武田家と内通する築山殿
戦国時代は敵国に侵入し、現地で探りを入れる「情報戦」も盛んでした。このとき武田勝頼は岡崎城にスパイを送り込みます。
ドラマでは築山殿から武田家にコンタクトを取っていましたが、実際にスパイを岡崎城へ送り込んだのは武田家の方でしょう。
スパイとして送り込まれたのは、減敬(げんきょう)という中国人の医者です。ドラマでは穴山梅雪(演:田辺誠一)が減敬に変装していました。
医者として減敬は岡崎城に侵入し、更年期をむかえて体調が優れなかった築山殿への接近に成功します。
家康にストレスを感じていた築山殿は、減敬の家康暗殺計画を受け入れたのです。築山殿は条件として、長男の信康(演:細田佳央太)を武田家に加えること、そして自身は武田家の有力者と結婚することを提示します。この条件を確認した勝頼は「条件を受け入れる」として書状を返信をしています。
しかし、この暗殺計画は信長にバレてしまいます。
信康の妻は信長の娘
計画がバレてしまった理由は、信康の妻が信長の娘(五徳姫)だったからです。
偶然にも五徳姫(演:久保史緒里)は勝頼の返信(書状)を発見し、信長に知らせました。
なぜ五徳姫は信長に知らせたのでしょうか。下手をしたら、夫である信康にも責任が及ぶかもしれません。まずは信康に相談すべきではないでしょうか。
その答えは、やはり築山殿にあります。
彼女は信康との間に女の子しか産めませんでした。これに付け込んだのが築山殿です。築山殿は「必ず男の子を産まなくてはならない」と、自分が見つけてきた女性を信康にあてがったのです。
五徳姫が、築山殿と信康に良い感情を持つはずがありません。
五徳姫は「築山殿が家康の暗殺計画を立てている。夫の信康も加担している」と、信長に伝えています。信康が本当に加担しているのか確証は得ていませんでしたが、やはり信康に対してもネガティブな感情があったのでしょう。
この知らせを聞いて、信長は念のため酒井忠次(演:大森南朋)にも確認を取ります。すると忠次は「十分に考えられる」とあっさりと認めてしまったのです。信康の加担についてもです。なぜ忠次がこのような発言をしたのかについては、よく分かっていません。
疑惑が確信へと変わった信長は、すぐさま浜松にいる家康に伝えます。家康はあまりのことに茫然自失だったそうです。
この知らせを受けて、家康は信康に切腹を命じ、また築山殿の殺害を指示しました。
こうして築山殿は、激しい抵抗の末に殺害されてしまったのです。
信康の切腹では服部半蔵(演:山田孝之)が介錯を担当しました。しかし半蔵は泣き崩れ、最後まで刀を下ろすことができなかったそうです。実際に信康は無実だったと言われています。
最後に
ドラマの中では、服部半蔵が幼少期の信康と戯れるシーンが描かれていました。個人的にとても好きなシーンです。
次回放送される「どうする家康」では、築山殿と信康の最期が描かれるでしょう。あの半蔵と信康のシーンは、やはり築山殿事件の伏線だったのかと思うと、今にも涙が出てきそうです。
次回の放送を見るのは、どうしようかと悩んでいます。
参考文献:井沢元彦『英傑の日本史 信長・秀吉・家康編』KADOKAWA、2009年3月
亀姫は次男ではなく、長女ですよよね。間違えて打ったのですね!でも10歳も年上は知りませんでした。25歳は当時行き遅れの女性ですね。新しい発見です。今週末が楽しみです。
ご指摘ありがとうございます!修正させていただきました。
今週末楽しみですね☺
うわぁ~こんな展開になりましたか、きっと時代考証の先生と脚本家がかなり話あった結果ですね