大正&昭和

三島由紀夫が「もう一度行きたい」と語った場所は…まさかのディズニーランド

最近、SNSで話題になった「ディズニーランド」の話題をご存じでしょうか。夏のイベントや新グッズ、新エリアの情報かと思いきや、実は少し意外な内容でした。

それは、文豪・三島由紀夫が「ディズニーランドを非常に気に入っていた」というエピソードです。

1960年にロサンゼルスで初めて訪れた際に強い感銘を受け、その後も「もう一度行きたい」と家族に話していたことが知られています。

三島由紀夫といえば、多くの名作を残した小説家であり、演劇や映画など幅広い分野で活躍したマルチな才能の持ち主です。
一方で、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地での衝撃的な割腹自決という最期のイメージも強く残っています。

今回は、その三島が「ディズニーランド」を好んだ背景についてご紹介いたします。

画像:三島由紀夫ポートレート wiki c 土門拳

祖母の支配下で「女の子」として育てられた日々

三島由紀夫は、大正14年(1925年)1月14日、現在の東京都新宿区四谷で生まれました。

本名は平岡公威(ひらおか きみたけ)で、学習院中等科に入学するまでの幼少期は、祖母・なつの強い影響下にありました。

祖母なつは、12歳から17歳までの間、有栖川宮熾仁親王に行儀見習いとして仕えていた経験があり、非常に厳格な行儀作法を身につけていました。
そのため「二階で赤ん坊を育てるのは危険だ」として両親から公威を引き取り、自室で育てることにしたのです。
母・倭文重(しずえ)が授乳する際も、懐中時計で時間を計るほど徹底していました。

さらに祖母は、男の子が好む車などのおもちゃや遊びを禁じ、遊び相手はおとなしい女の子を選び、女の子の服を着せて「女言葉」を使わせるなど、独自のしつけを行っていました。

母・倭文重は後年のエッセイで、激情型の姑の恐ろしさと、息子が女の子のように育てられていく状況に抵抗できず苦しんでいたことを記しています。

また、父・平岡梓の著書『倅・三島由紀夫』にも、幼い息子が狭い部屋で祖母の監視下に置かれ、女装や女言葉を強いられる生活を送っていたことが記されており、その結果「鋭敏な神経が対人面で特に研ぎ澄まされ、人の顔色を読む子になっていた」と書かれています。

公威は学習院中等科に入学するまで、祖母・なつと同居していました。

画像:三島由紀夫の祖父、平岡定太郎と、祖母なつ wiki c 月刊 噂

16歳『花ざかりの森』でデビューした「天才」

公威は、学習院初等科の頃から世界童話集や『千夜一夜物語』などを愛読し、文学への関心を深めていきました。
中等科から高等科にかけての約7年間で、多くの詩歌や散文、戯曲を次々に書き上げています。

中等科5年(高校2年に相当)頃に執筆した『花ざかりの森』は、当時の国語教師である清水文雄に高く評価されます。
清水は同人仲間に紹介するため、この作品を伊豆修善寺での編集会議に持参しました。
会議で読まれた作品は絶賛され、仲間たちは「天才が現れた」と祝ったといいます。

ただし、公威は当時まだ16歳という若さだったため、今後の作家活動を考えてペンネームを使うことが勧められました。

教師たちは修善寺へ向かう道中で「三島」を通り、富士の白雪を見て「ゆきお」という名を着想し、話し合いの末「三島由紀夫」という筆名が決まりました。

『花ざかりの森』は、同人誌『文藝文化』昭和16年9月号から12月号にかけて連載されます。

創刊者である作家・蓮田善明は、第1回目の編集後記でこの作品を「この年少の作者は、併し悠久な日本の歴史の請し子である。我々より歳は遙かに少いが、すでに成熟したものの誕生である」と激賞しました。

この言葉は、若き日の三島にとって大きな励みになったといいます。

画像:蓮田 善明 public domain

多趣味で西洋文化が好きだった

三島由紀夫は、小説家として鋭い文体と思想性で読者を魅了し、劇作家や評論家としても活躍、自ら劇団「浪曼劇場」を主宰するなど多方面で才能を発揮し、国際的な評価を得ました。

非常に多趣味で、ボディビルディング、剣道、空手など、肉体的・精神的鍛錬を行なっていました。
少年期から青年期にかけては病弱で細身でしたが、中年期になると「強い男への憧れ」から心身の鍛錬に熱中したといわれています。

また、古代ローマや古代ギリシアの美学を愛し、西洋建築や西洋料理にも強い関心を抱いていました。
南欧風の洋館を自宅に建て、フランス料理を好んだことが知られています。

特に、赤坂のフランス料理「シド」の料理を好み、銀座のバーでは、ブランデーを両掌でグラスを包み込むようにして香りを楽しんで飲むのを好んでいたそうです。

画像:「三島由紀夫」(林忠彦『文士の時代』より、1961年)wikic 林忠彦

「こんな面白いところが」と大感動したディズニー

編集者による回想記『三島由紀夫』(新潮社)によれば、1970年(昭和45年)正月、三島由紀夫は家族旅行でアメリカ・ディズニーランドを再訪することを何度も提案していたといいます。

しかし、妻の瑤子さんは「『豊饒の海』を完結させてからにしましょう」と諭し、この計画は実現しませんでした。

実はその数年前、三島は瑤子夫人とともに初めてディズニーランドを訪れており、その体験を川端康成宛の書簡に「ディズニーランドはとても面白く、世の中にこんな面白いところがあるかと思ひました」と記しています。

また、旅行中にはドナルドダックの絵葉書で、留守番していた幼い娘・紀子さんへ「とても面白く、のり子ちゃんの喜びさうなものが一杯ありました」と書き送っており、強い感動が伝わります。

以後、三島は折に触れて「家族でディズニーランドに行きたい」と語るようになったそうです。

画像:不思議の国のアリス wiki c ジョン・テニエル

ディズニー映画も好んでいたようで、エッセイの中でも「シンデレラ」「バンビ」「不思議の国のアリス」「ダンボ」などを観たと記し、「『不思議の国のアリス』の気違ひ兎と気違ひ帽子屋のパーティの場面は、私を大よろこびさせた。『ダンボ』の酩酊のファンタジーもよかつた」と感想を述べています。

三島がディズニーランドに惹かれた理由については諸説ありますが、単なる娯楽施設としてではなく、芸術性の高さ、独自の世界観、没入感を生む設計へのこだわりに感銘を受けたと考えられます。

実際に、彼はディズニーランドについてこう記しています。

「ここの色彩も意匠も、いささかの見世物的侘しさを持たず、いい趣味の商業美術の気品に充ち、どんな感受性にも素直に受け入れられるようにできている」

三島由紀夫『美に逆らうもの』『三島由紀夫紀行文集』岩波文庫 より

何度も行きたがっていたディズニーランド

三島由紀夫は、妻の瑤子さんに「もう一度ディズニーランドへ行きたい」とたびたび話していたそうです。

瑤子さんとは、銀座のドイツ料理店で行われたお見合いをきっかけに出会い、すぐに意気投合して結婚を決めました。
結納から挙式までが非常に早かったため、文壇関係者の間では「突然すぎる」と驚きの声が上がったといいます。

三島は周囲に「可愛くて優しくて、僕好みの丸顔で」と自慢していた一方、瑤子さんをよく知る知人によれば、実際は「姉さん気質でさっぱりした性格で、三島やその仲間にもずけずけとものを言う人」だったそうです。

この率直さが、かえって三島には新鮮だったと考えられます。

しかし、三島が熱望していたディズニーランド再訪の夢は、生前には叶いませんでした。

画像:1963年のアメリカ・ディズニーランド wiki c EditorASC

三島が「もう一度行きたい」と語っていた頃から、すでに50年以上の歳月が経ちました。

現在の東京ディズニーランドは、1983年に開園して以来、最新技術を駆使したアトラクションや華やかなパレード、夜空を彩るプロジェクションマッピングや花火など、三島が訪れた1960年代のアメリカ・ディズニーランドとは比べものにならないほど進化しています。

もし三島が現代のディズニーランドを訪れることができたなら、きっとその進化と完成度に圧倒され、新たな創作意欲をかき立てられたことでしょう。

参考:
三島由紀夫 川島 勝
三島由紀夫 街歩き手帖 横山茂彦
文豪どうかしてる逸話集 進士素丸
文 / 桃配伝子 校正 / 草の実堂編集部

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アパレルのデザイナー・デザイン事務所を経てフリーランスとして独立。旅行・歴史・神社仏閣・民間伝承&風俗・ファッション・料理・アウトドアなどの記事を書いているライターです。
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