大正&昭和

中学校の校名案が呼び起こした記憶 〜人間が操縦する爆弾「桜花」とは?

特攻兵器「桜花」とは何だったのか

2027年4月に統合が予定されている福岡県大牟田市の中学校で、新しい校名案が話題となりました。

生徒たちが提案した「桜花」という名前が、太平洋戦争中の特攻兵器と同じだったためです。

市民団体からは「多くの若者が命を落とした兵器の名称だ」として再考を求める声が上がる一方、選考に関わった校長などは「特攻機名と重なるという議論は出なかった。私も知らなかった」と語りました。

それでは「桜花」とは、どのような兵器だったのでしょうか。

人間が誘導する爆弾

画像:スミソニアン博物館に展示されている桜花二二型 public domain

桜花は、航空機と呼ぶには異質な存在でした。

全長約6メートル、翼幅約5メートルの小さな機体に、1.2トンの爆弾が搭載されていました。

運用方法は、通常の航空機とはまったく異なります。操縦席はありましたが、離着陸の装置はありません。

桜花は自力で飛び立つことができず、母機である一式陸上攻撃機の腹に吊り下げられて戦場へ運ばれました。

目標付近に到達すると切り離され、搭乗員が操縦桿を握って敵艦めがけて突入します。

エンジンの代わりに固体燃料のロケットが3本取り付けられており、各ロケットは数秒間しか燃焼せず、搭乗員は限られた時間の中で加速のタイミングを判断しなければなりませんでした。
ロケットは最後の加速に使われ、時速600キロ以上の速度で激突しました。

つまり桜花とは、航空機の形をした爆弾だったのです。

そして、その誘導装置として人間を使う設計でした。パラシュートも脱出装置もありません。

搭乗すれば、生きて帰ることはできませんでした。

追い詰められた末の発想

画像 : アメリカ軍により描かれた桜花の構造図 public domain

なぜこのような兵器が生まれたのでしょうか。

その背景には、1944年後半から急速に悪化した戦況がありました。

この時期、日本はすでに制空権を失いつつありました。

熟練したパイロットの多くが戦死し、航空機の生産も追いつかなくなっていたのです。

アメリカ軍の艦隊は強力な防空網を備えており、通常の航空攻撃では敵艦に近づくことすら困難になっていました。

こうした状況の中で、通常の航空攻撃では突破できない防空網を越え、敵艦に一撃を与える手段として浮上したのが「人間による誘導」という発想でした。

爆弾を投下するのではなく、人間が最後まで操縦して標的に突入する。
追い詰められた末の発想だったといえます。

桜花の開発は1944年夏に始まりました。

構想の具体化に関わったのが、海軍の大田正一少尉です。

当時すでに特攻兵器の検討が進んでいた海軍上層部は、この案を一つの具体案として受け止め、8月には研究試作を命じました。

同月末には早くも200機の量産計画が承認されます。追い詰められた戦局が非人道的な兵器への道を開いたのです。

1945年3月、桜花は実戦投入されることになりました。

作戦の実態

画像:一式陸上攻撃機から切り離される桜花 public domain

しかし、実際の作戦は構想通りには進みませんでした。

最大の問題は母機の脆弱性にありました。母機である一式陸上攻撃機は、大型で鈍重な爆撃機です。

桜花を腹に抱えた状態では機動性がさらに低下し、敵の迎撃機に対してほとんど無防備でした。
桜花を切り離せる距離まで近づく前に、母機ごと撃墜されるケースが相次いだのです。

1945年3月21日、桜花の最初の作戦が行われました。

この日出撃したのは、桜花を搭載した一式陸上攻撃機16機に随伴機を加えた計18機でしたが、目標に接近する前に迎撃を受け、桜花を切り離すことができた機体は1機もありませんでした。

ほぼ全機がアメリカ軍戦闘機によって撃墜され、母機の搭乗員を含め、この日だけで約150人から160人が戦死したとされています。

その後も作戦は続けられましたが状況は改善せず、終戦までに特攻に投入された桜花は55機とされます。

桜花搭乗員55名に加え、母機となった一式陸上攻撃機の搭乗員、さらに護衛戦闘機の搭乗員を含めると、犠牲者は430名から450名に達したとみられています。

一方で、公式記録で撃沈が確認できる戦果は、駆逐艦1隻にとどまりました。

ほかに大破3隻など複数の損傷を与えたものの、期待された戦果を挙げることはできませんでした。

このように作戦兵器として桜花は、失敗だったといわざるを得ないでしょう。

それでも出撃命令は繰り返され、若い搭乗員たちは命を落とし続けたのです。

「桜花」という名前

桜花という名前には、日本人が桜に託してきた意味が込められています。

満開ではなく散り際の「潔さ、美しさ」を、桜になぞらえたのです。

軍は桜花を「神雷部隊」と名づけた特攻隊に配備し、出撃前の搭乗員には最後の酒宴が設けられました。

公式には、彼らは「国のために散る桜」として讃えられました。

しかし、現場の空気は必ずしもそうではなかったようです。

搭乗員たちの中には、桜花を「マルダイ」(〇大、大きな爆弾の意)と呼んでいたという証言もあります。

公式で語られる美しい言葉と、死に向かう者たちの実感との間には、埋めがたい溝があったのかもしれません。

80年後の波紋

画像:鹿屋航空基地史料館 public domain

現在、桜花の実物は、靖国神社の遊就館や鹿児島県の鹿屋航空基地史料館などで見ることができます。

全長6メートルほどの小さな機体は、あまりにも華奢に見えます。

画像 : 遊就館に展示されている桜花 ※草の実堂撮影

大牟田市の校名案をめぐる報道では、「知らなかった」という声が繰り返し伝えられました。

それは誰かの責任というわけではなく、80年という時間、そして何よりも平和が積み重なった結果であると言えるでしょう。

私たちは歴史をどのように受け継いでいくべきなのか。

「桜花」という名前が図らずも呼び起こした今回の議論は、その問いを私たちに静かに投げかけているのかもしれません。

参考 :
丸編集部(2013)『人間爆弾「桜花」発進:桜花特攻空戦記』潮書房光人新社
文 / 村上俊樹 校正 / 草の実堂編集部

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