観光

今年も始まる「鴨川納涼床」京都人が育んだ涼のかたち

先日、自他ともに「京都好き」と言ってはばからない知り合いから、突然LINEが入った。

「いま京都駅。バスで大原に行こうと思ってターミナルに来たけど、人がいっぱいで乗れそうもない!」
「一体全体、京都はどうしてしまったんだ」

時間を見ると、朝の9時を回った頃。
ご苦労にも、東京を始発の新幹線で発ったらしい。

昨今のインバウンドによる京都の大混雑は、周知の通りだ。
清水坂や嵐山などの主要観光地は外国人旅行者で溢れかえり、市民生活への影響が限界に達しているという。

これは、中国からの観光客が大幅に減少しているうえでの状況だから、彼らが戻ってきたらどのようなことになるのか。

とまあ、このような京都ではあるが、ついつい出かけてしまう楽しみが、今年も5月1日から始まる。

それが、京の夏の風物詩といわれる「鴨川納涼床(かもがわ のうりょうゆか)」である。

「床」は京都人の知恵から生まれた

画像:四条から五条付近の鴨川と納涼床(撮影:高野晃彰)

猛暑で名高い京都の夏。
それでも不思議なことに、日が暮れると川筋では、昼間の暑さがすぅーっと引いていく。

そんな京の夏の風物詩が、鴨川西岸、北は二条から南は五条まで、河原に「床」を組んで客をもてなす「鴨川納涼床」である。

この床は、すでに豊臣秀吉が天下を掌握した時代、裕福な商人たちによって始められていたという。
夏に遠来の客をもてなす折、鴨川の浅瀬に床几を置いて歓待したという記録が残る。

江戸時代の年中行事を伝える『日次紀事(ひなみきじ)』には、「四条河原の水陸、寸地を漏らさず床を並べ、席を設く」とあり、さらに「東西茶店提灯を張り、行灯を掲げて、あたかも白昼の如し。これ河原の涼みという」と、その賑わいが記されている。

ガス灯もない時代、日が暮れれば闇に包まれるはずの街で「あたかも白昼の如し」とは。

その賑わいは、想像するだけでも胸が躍るではないか。

画像:『京都名所之内「四条河原夕涼」』(国立国会図書館 NDLイメージバンク)

なぜ四条河原は、これほどまでに賑わう場所になったのだろうか。

そこには、歌舞伎の創始者とされる出雲阿国(いずものおくに)の存在がある。

画像:出雲阿国が扮した傾奇者 wiki.c

慶長8年(1603年)、彼女はこの地に小屋を掛け、ややこ踊りをもとにしたかぶき踊りを披露したとされる。
名古屋山三郎に扮した男装の阿国と、茶屋の娘に扮した三九郎が艶やかに踊るその姿に、人々は熱狂したという。

この人気にあやかって茶屋や見世物小屋が立ち並び、やがて四条河原は一大歓楽街へと発展していった。

江戸時代、祇園会の頃になると、鴨川の東西両岸に床が掛けられた。

その情景は、京都最初のガイド本ともいわれる『都名所図会』にも描かれ、『花洛細見図』には、床で涼む男女の姿が楽しげに記されている。

由緒ある「床」を現代風に

画像:三条から四条付近の鴨川納涼床の夜景(撮影:高野晃彰)

かつての鴨川は、いまよりもずっと川幅が広かったという。
その名残は、京都随一の繁華街である河原町の名にも表れている。

川にはいくつもの中州ができ、州から州へ板を渡して往来していた。
これが、のちの三条大橋や五条大橋の原型になったともいわれる。

かつては商家の旦那衆の接待の場であった床も、いまでは誰もが気軽に楽しめる夏の席となった。
鴨川納涼床の期間は、5月1日から10月15日まで。

伝統的な座敷だけでなく、テーブルや椅子を並べた床もあり、料理も会席に限らず、居酒屋やバー、和食・中華・フレンチと実に多彩だ。

川風に吹かれて京情緒を満喫

画像:鴨川からの涼しい風が心地よい納涼床(撮影:高野晃彰)

現在の床は、実は鴨川本流の上に設けられているわけではない。
脇を並行して流れる小川、みそそぎ川をまたぐ形になっている。

大正時代の治水工事によって鴨川の流れは大きく改められ、その過程で現在の納涼床がまたぐ、みそそぎ川が整えられた。

さらに昭和9年(1934年)の室戸台風、翌10年(1935年)の集中豪雨で大きな被害を受けたが、その後の補修を経て、現在の姿へと受け継がれていった。

みそそぎ川の源流・二条大橋付近の取水口(撮影:高野晃彰)

対岸の東山から吹きおろす風が、鴨の川面を渡ってやってくる。
暮れなずむ川筋には、まだ都鳥が飛び交っている。

やがて、ぼんぼりや高張り提灯に灯が入る。どこからともなく、三味線の音も流れてくる。
床の情緒になくてはならない新内流しだ。

やがて、あたりは次第に闇に包まれ、ざわざわと楽しげな人々の声が聞こえてくる。

先人の知恵が生んだ「床」は、江戸時代から今へ、長く守り継がれてきた京都の誇りなのだ。

※参考文献
京都歴史文化研究会(高野晃彰)著 『京都ぶらり歴史探訪』メイツユニバーサルコンテンツ
文 / 高野晃彰 校正 / 草の実堂編集部

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編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」の代表。歴史・文化・旅行・鉄道・グルメ・ペットからスポーツ・ファッション・経済まで幅広い分野での執筆・撮影などを行う。また関西の歴史を深堀する「京都歴史文化研究会」「大阪歴史文化研究会」を主宰する。

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