皆さんは神社にお参りする時、どのようにしますか?
多くの方は二礼二拍手一礼(にれい・にはくしゅ・いちれい)つまり「2回お辞儀して2回手を打ち、最後に1回お辞儀」ではないかと思います。
※礼を拝(はい)と呼ぶケースも。
しかし、地域や神社によっては、これと異なるお参り作法を定めているところもありました。
中には「三礼三拍手一礼」こそが正式である、と主張する方もいるようです。
本当なのでしょうか?さっそく調べてみました。
二礼二拍手一礼はGHQの陰謀?

まずは主張の確認から。
……現在、一般的な参拝作法は「二礼二拍手一礼」です。しかし、かつては「三礼三拍手一礼」が基本でした。……
(中略)
……「三礼三拍手一礼」は、正式な神道の作法として認識されています。この作法は、第65代花山天皇の系譜を持つ白川家によって定められました。……
(中略)
……しかし、明治維新以降、政府は新しい神道の形を示すために参拝作法を「二礼二拍手一礼」に変更しました。この変更には、GHQの影響もあったとされています。一部の説では、GHQが日本人の精神性を抑え、文化や伝統を弱体化させるための施策だったとも言われています。……
う〜ん……明治政府が伝統的な「三礼三拍手一礼」から「二礼二拍手一礼」に改めた……と言うより、全国的な神社参拝作法の統一基準を設けた、までは理屈として解らなくはありません(真偽のほどは要究明)。
しかし、明治政府の施策にGHQ(連合軍最高司令官総司令部。実質アメリカ)が影響を及ぼしていた……と言うのは、いくら何でも荒唐無稽に過ぎるのではないでしょうか。
調べてみたところ、他のサイトでも、概ね似たような説(※)を唱えていました。
(※)三礼三拍手一礼→二礼二拍手一礼の変更時期が戦後≒GHQの意向など差異あり。
果たして「三礼三拍手一礼」の作法はどこまで本当なのか、より調査を進めていきましょう。
一部で「三礼三拍手一礼」が行われていた特例も

画像 : 宇佐神宮では、三拝の作法が行われたこともあったとか(イメージ)
……神社祭式行事作法の歴史を顧みるとき、二拝二拍手一拝となったのは戦後のことで、いくつかの変遷があり、また一社の故実もあった。『神道名目類聚抄』の神拝作法の項には、「神前にて拝揖進退の作法あり。伊勢神宮の法あり。卜部家の法あり。諸家の法あり。又一社の法あり」とあって、種々な拝礼作法のあったことが知られる……
※参考:國學院大學日本文化研究所 編『神道事典』
これを見ると、神社参拝の作法が二礼二拍手一礼となったのは、やはり昭和20年(1945年)の敗戦より後みたいですね。
何段階かの変遷や神社ごとの作法があり、その中に、三礼三拍手一礼もあったのでしょうか。
……三拝は三度拝ともいひ、又三禮ともいひて、三拝、七拝、九拝は、孰れも異朝の禮拝の名稱にして佛式拝(笏を持たず)なり。尤も三拝は、古く宇佐、石清水、北野の諸社においては行われしが如く見ゆれど、そは當時、一時の特例と見て可なり……
※参考:青戸波江『神社祭式行事作法教範 全』
【意訳】三礼(三拝、三度拝)・七礼・九礼はいずれも他国における作法で、笏(しゃく)を持たずに行う仏式礼である。三礼については宇佐神宮・石清水八幡宮・北野天満宮において行われた事例もあるが、それは一時の特例と見ていいだろう。
ということでした。
三礼などは他国(主に大陸や半島)から伝来した作法であり、国内ではごく特例としてのみ行われたようです。
それでも三礼三拍手一礼の作法は、確かに行われていました。
白川家・白川神道との関係は?

画像 : イメージ
三礼三拍手一礼の存在が確認できたところで、次は三礼三拍手一礼の作法を確立した?と主張されている白川家と、白川神道(白河家・白河神道)についても調べてみましょう。
……白河神道の内容を窺ふべきものはあまり多く傳えられて居らぬ。主として白河家に於て秘密傳授と云う事にして居ったものゝ様に思はれる。殊に祓又は神拝の作法儀式等に就て色々の秘傳を作って之で其神道を立てゝ居つたもので、それは白河家に関する記録を多く集めた伯家部類に載せられて居るのを見れば判るのであるが、之等は今云う所の神道とは別のものである。今云ふ神道の意味に於て白河家の説を窺ふべき書としては、森昌胤の書いた神道通國辨義及び、神祇伯家學即なるものが適當である……
※清原貞雄『神道史 改訂六版』
【意訳】白川神道の内容については、あまり多くの資料がない。白川家の秘伝としていたからであろう。特に祓(はらえ)や参拝儀式などは秘伝として白川神道の特色を出しているが、これらは現代(昭和初期)における神道とは別物である。現代の神道的な視点から白川神道を知るには、以下の論文がいいだろう。
・森昌胤「神道通國辨義」
・森昌胤「神祇伯家學即』
……ということでした。
とかく秘伝だから詳しいことは判らず、三礼三拍手一礼についても、特に言及はありません。
続けて「伯家部類」が収録されている『神道大系 論説編11(神道大系編纂会、1989年)』と、「神道通國辨義」「神祇伯家學即」が収録されている『神道叢説(国書刊行会、1911年)』を調べます。
しかし、それらのいずれにも「三拝」「三礼」「三拍手」の単語は見当たリませんでした。
少なくとも現時点においては、三礼三拍手一礼の作法と白川家(白川神道)を直接結びつけるのは難しいようです。
三礼三拍手一礼まとめ

画像 : イメージ
今回の調査について、資料から判明した事柄をまとめました。
①二礼二拍手一礼が普及(全国的に統一)したのは、戦後から。
※GHQ(神道指令)の影響かは不明。
②三礼三拍手一礼も、一部で特例的に行われていた。
※白川家(白川神道)との関係は不明。
③少なくとも三礼三拍手一礼が神道における基本・正式な作法であったという事実は確認できない。
……こんなところでしょうか。
ちなみにGHQが発した神道指令とは「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件(昭和二十年十二月十五日連合国軍最高司令官総司令部参謀副官発第三号(民間情報教育部)終戦連絡中央事務局経由日本政府ニ対スル覚書)」の通称で、昭和27年(1952年)に日本が主権を回復した時点で失効しています。
また、この神道指令において、神社の参拝作法を指定している部分はありませんでした。
他にGHQが神社について言及している点は見られないことから、二礼二拍手一礼の作法がGHQの影響を受けているとは考えにくいでしょう。
戦後統一化されたのは、シンプルと丁寧さがほどよく調和していると考えられたのだと思います。
とは言え「何が絶対正しい」というものではなく、また「郷に入っては郷に従え」と言いますから、柔軟に畏敬と感謝の気持ちを示したいものですね。
参考 :
國學院大學日本文化研究所 編『神道事典』
清原貞雄『神道史 改訂六版』
青戸波江『神社祭式行事作法教範 全』
文 / 角田晶生(つのだ あきお) 校正 / 草の実堂編集部
























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