エンタメ

【知られざる特撮の歴史】 特撮誕生からゴジラ爆誕まで ~11月に映画「ゴジラ-1.0」が公開

特撮誕生からゴジラ爆誕まで

画像 : ゴジラ Godzilla (1954) public domain

2023年11月に、映画「ゴジラ-1.0」が公開となる。ゴジラは日本だけでなく海外にも人気が及び、ハリウッドでも制作されたほど。

1954年に第一作が公開されて以降、ゴジラはシリーズ化されて東宝のドル箱作品となった。ではゴジラは、1954年になって急に出来たものなのだろうか?

今回はゴジラ誕生の足跡を探るためにも、特撮誕生からゴジラへの道のりを追いかけてみた。

日本映画の父 牧野省三

特撮誕生からゴジラ爆誕まで

画像.牧野省三 public domain

最初に、日本映画の父「牧野省三」の観点からゴジラの足跡を辿る。

日本の特撮が生まれたのは、映画撮影時のミスによるものである。フィルム交換時に役者が1人いなくなったが撮影は続行。出来上がったフィルムを見てみると、役者の忽然と姿が消えたシーンが撮影されてしまった。

この撮影時のミス話は、牧野省三の子息から語られたものであり、信憑性は低く事実かどうかは証明の仕様がない。とはいえ「嘘」だと断定も出来ない。

1921年公開の映画「豪傑児雷也」では、人が突然現れて消えるシーンが盛り込まれている。先に対象となる人物を撮影。次に人物がいない風景を撮る。2つのシーンを繋ぎ合わせると人が消えるシーンが完成する。

以上は「カットアウト」と呼ばれており、現代の特撮作品にも多く使われている。

ちなみに「豪傑児雷也」では、着ぐるみアクションシーンも盛り込まれていた。

ゴジラへの道筋は、遅く見積もっても1921年には既に始まっていたのである。

未知な物から身近な物へ!科学の存在感

特撮誕生からゴジラ爆誕まで

1920年代の特撮作品は「豪傑児雷也」以外にも、何本か制作された。しかしいずれも非科学的なものばかりで、科学の「か」の字もない。大衆にとっての科学は、オカルトよりも真実味がないものだった。科学を映画のモチーフに取り入れても、ヒットの可能性は限りなくゼロに近かった。

そんな中で登場したのが、1925年公開の「若返り薬」である。
特撮作品とは言い切れないが、「科学」を取り入れた点においては、特撮の可能性を広げた作品と言えるだろう。

1925年になると科学は身近なものになった。「若返り薬」公開と同じ年にラジオ放送がスタートした。

3年後の1928年には、東洋初の人型ロボット「学天則」も登場する。当時の科学の勢いは映画人も無視できなかったようだ。

江戸に現れたキングコングと、名古屋を練り歩く大仏

次は「怪獣」に軸を置いて、特撮の歴史を紐解いてみよう。

妖怪の類であれば1920年代からスクリーンに登場していたが、大きな転機となったのは1933年公開の米映画「キングコング」だろう。

キングコングの衝撃は凄まじく、次々と猿がモチーフの映画が国内で制作された。

特撮誕生からゴジラ爆誕まで

画像.江戸に現れたキングコング wiki public domain

中でも注目したいのは、1938年公開の「江戸に現れたキングコング」だろう。

フィルムが残っていないため、詳細な内容までは分からない。

ただ残されたスチール写真を見る限り、大猿が江戸の町を暴れる様子が見て取れる。

画像.大仏廻国 public domain

巨大なモノが街を練り歩く作品となると、1934年の「大仏廻国(だいぶつかいこく)・中京編」になるだろう。

スチール写真を見ると巨大な大仏が名古屋の街を練り歩いているが、こちらもフィルムがないため、詳細な内容は分からずじまいである。

判明している事実は、ミニチュアを用いて撮影されており、監督には枝正義郎の名前が刻まれているということである。

枝正義郎は、特撮の神様「円谷英二」の師匠にあたる人物であり、ミニチュアを使った撮影は、1934年には既に確立されていたことがわかる。

以上の観点から「大仏廻国・中京編」は、ゴジラの礎となった作品と見て間違いはないだろう。

特撮の神様!円谷英二

画像.円谷英二 public domain

ゴジラの足跡を探るにあたり、円谷英二の存在は避けて通れない。

映画の世界に入ったきっかけは、喧嘩の仲裁だったという。喧嘩をしていた人物こそが、前述した枝正義郎である。

その後、枝正義郎の手引きにより、円谷英二はJ.O.トーキー(現在の東宝)に入社。カメラマンとして、幾つかの映像作品に携わってきた。

円谷英二の技術力が発揮されたのはプロパガンダ映画である。
1942年の「ハワイ・マレー沖海戦」で登場した真珠湾は、精巧に作られたミニチュアによるもので、完成度はかなり高く、GHQに「本物」だと勘違いさせたという逸話まであるほどである。

1945年8月15日、第二次世界大戦が終戦。円谷英二は映画の世界から一時身を引いていたが、特撮の情熱はさらに燃え上がる。特撮を極めるため、1948年に「円谷特殊技術研究所」を設立。

同年に制作された映画「透明人間現る」は、戦後復帰第一作となった。

画像 : ゴジラ public domain

そしていよいよ、円谷英二は「ゴジラ」に携わることになるのである。

「ゴジラ」はある日突然に生まれたものではない。

牧野省三が編み出した技術、身近になった科学、魅力あるモンスターの存在、さらに円谷英二が試行錯誤の上に編み出した撮影方法によって誕生したのである。

もし1つでも欠けていたら、ゴジラは生まれなかっただろう。

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 金剛「連合軍から日本海軍の殊勲艦に挙げられた高速戦艦」
  2. 本当に愚将か?「冨永恭次」を再評価してみた 【レイテ島の戦い】
  3. 有馬記念の昭和から令和まで全64回の成績を振り返る 【平成・令和…
  4. パナソニックに生きる「幸之助イズム」
  5. 植物学者・牧野富太郎の借金人生 【その額月給の1000倍】~NH…
  6. ドーリットル空襲【士気高揚を狙った日本への初の空襲作戦】
  7. 朝日杯フューチュリティステークスの歴史《夢のスーパーカー マルゼ…
  8. 昭和天皇に「なぜ切腹しないのか?」と尋ねたマッカーサー

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

天竜川の救世主・金原明善って知ってる? 幕末から大正まで大活躍の生涯を調べてみた

信州の諏訪湖を水源に、愛知県・静岡県を経て遠州灘へと流れだす天竜川。名前の由来は速い水流が天に昇る竜…

「バベルの塔」は実在するのか?モチーフとなったジッグラト【エテメンアンキ】

<出典 wikipedia>『バベルの塔』の伝説旧約聖書…

令和の男子マナー?座りションのメリット・デメリット

近年、座って小用を足す男性が少しずつ増えているという。それに対する意見はさまざまだ。「男が座…

北条政子の尼将軍と呼ばれた人生 「日本三大悪女」

北条政子とは日本三大悪女と呼ばれる歴史上の人物は、日野富子と淀殿と北条政子の3人がよく挙げられる…

【京都歴史観光】坂本龍馬や勤王の志士達の足跡をめぐってみた「木屋町通周辺」

高瀬川沿いにめぐる木屋町・幕末歴史散策三条通から四条通にかけての木屋町一帯は、京都有数の…

アーカイブ

PAGE TOP