あんぱん

やなせたかしの伯父・寛と千代子 ~史実ではどんな人物だったのか?『あんぱん』

「わしは千代子に惚れて、一緒になれて、これ以上の人生はないと思うちゅう」

病院が夫の代で終わってしまうのは「跡取りを産めなかった私のせいだ」と責任を感じて詫びる妻・千代子に、「君のせいではない」と夫・寛がやさしく語りかける一幕です。

朝ドラ「あんぱん」では、やなせたかしさんの伯父夫婦として、竹野内豊さん演じると、戸田菜穂さん演じる千代子が登場しています。

史実では、寛のモデル柳瀬寛さんは、多趣味な知識人。豪放磊落で自由な気風の人でした。

一方、奥さんのキミさんは、京都出身。品があり、おだやかでやさしい方だったそうです。

今回は史実をもとに、寛さんとキミさんのエピソードを紹介します。

モダンな趣味人、柳瀬寛さん

画像 : 薩摩琵琶 wiki c Frank Kovalchek

柳瀬寛さんは、高知県香美郡在所村朴の木(現・香美市香北町朴の木)生まれ。

幼いころから学業に秀でており、名門高知県立第一中学校(現・県立高知追手前高校)から、京都府立医学専門学校(現・京都府立医科大学)へと進みました。

京都医専を卒業後、後免町(現・南国市後免町)に内科と小児科の「柳瀬医院」を開業します。

後免町は交通の便が良く、将来発展するだろうという目論見から、この地を選んだそうです。

診療所と住宅が一緒になった建物には、寛さんの末弟の正周さんも同居し、学校へ通っていました。

自分の兄弟から亡き弟の子どもたちまで、寛さんは柳瀬家の家長として、一族全員の面倒をみていたのでした。

寛さんは俳句を詠み、自ら琵琶も奏でるほどの趣味人でした。ちなみに俳号は出身地の「朴ノ木」 からとった「朴城」。

レコードでの音楽鑑賞を好む一方、オートバイに乗って往診に行く活動的な人でもありました。

多趣味な文化人だった寛さんは、自由な生き方を重んじる放任主義で、たかしさんにも千尋さんにも、「ああしろ、こうしろ」と指図することはなかったそうです。

中学時代、たかしさんが家出したときも「よく帰ったな」と言っただけで、いっさい叱ることはありませんでした。

また、たかしさんが絵の道に進みたいと言ったときには、職業として自活できる図案化を勧め、受験に失敗した時には何も言わず浪人を認めています。

懐が深く頼りになる寛さんは、たかしさんにとって、まさに「第二の父」とよぶにふさわしい人だったのでした。

京都の菓子問屋の美しい娘・キミさん

画像 : 落雁(神社の御供物)wiki c katorisi

寛さんが京都の医学専門学校に通っていた頃に、見初めて結婚したのがキミさんです。

キミさんの実家は、寺社にお供えするお菓子を扱っている菓子問屋でした。

見知らぬ土地である夫の故郷高知へ嫁ぐことになり、お手伝いさんとして親戚筋の人を伴って来たそうです。

そんなキミさんを思いやり、寛さんの母親は、ある時、たかしさんにこんなことを言っています。

お母さんはね、京都から知っている人がいない高知に一人できたのだから、大事にしてあげなさい

越尾正子著『やなせたかしのしっぽ』より

寛さんの母親は、息子が同居をすすめても、「朴の木を離れるとお墓を守る人がいなくなる」と言って、実家で一人暮らしをしていました。

たかしさんと千尋さんは子どもの頃、夏休みの間中、朴の木のおばあさんの家で過ごしていたのですが、働きもので孫には甘いおばあさんだったそうです。

キミさんは美人で所作も美しく、性格はおおらかで、近所の子どもが遊びに来てもうるさいことは言わず、いつもお菓子やジュースを用意してくれる優しい人でした。

ある時、たかしさんは押し入れの中に文字の練習をしたノートを見つけます。

京都の商家に生まれたキミさんは、読み書きよりも琴や三味線などのお稽古ごとを優先して育てられました。

結婚後、医者の妻として美しい文字を書く必要にせまられたのでしょう。琴や三味線を弾く代わりに文字を習い、ノートが押入れいっぱいになるほど練習をしていたのでした。

また、キミさんは大の音楽好きで、家の中はいつも音楽であふれていました。寛さんの音楽鑑賞の趣味も琵琶の演奏も、もしかすると奥さんの影響なのかもしれません。

柳瀬医院は、寛さんの人柄もあり、近所の歯科医や農業学校の先生などの知識人が集まるサロンとなっていました。

毎晩のように宴会がひらかれ、キミさんはその準備を差配していました。夫の交際を手助けし、家と病院を支える存在だったのです。

たかしさんの母・登喜子さんと寛さん

画像 : 東京高等工芸学校の制服 public domain

東京高等工芸学校に入学して間もない頃、たかしさんは大田区の下宿屋に住んでいたのですが、下宿屋の主人の金銭トラブルによって、世田谷区大原へと転居しています。

世田谷の家は実母・登喜子さんの再婚先でした。
たかしさんから「下宿先に困っている」という話を聞いた登喜子さんが「家に来なさい」と言ったのです。

たかしさんは後年、東京には登喜子さんがいるため、寛さんは自分を東京の学校に行かせたくなかったようだった、と回想しています。

それでも寛さんは登喜子さんへきちんと下宿代を払ってくれていました。

そして、当の本人はといえば、

オレはお袋のところだから、自分の家みたいで良かった

越尾正子著『やなせたかしのしっぽ』より

ということです。

柳瀬医院のその後

画像 : JR四国後免駅(高知県南国市)wiki c 京浜にけ

寛さんが50歳で亡くなったのは、昭和15年3月のことでした。

死因は、脳溢血とも心臓麻痺ともいわれています。

その後、柳瀬医院は取り壊され、平成28年(2016年)「やなせたかし・ごめん駅前公園」となりました。

柳瀬家で暮らした人たちの思い出をすべてのみ込みんだその場所は、一面に芝生の広がる、日当たりの良い公園となったのでした。

参考文献
・越尾正子『やなせたかしのしっぽ』小学館
・やなせたかし『人生なんて夢だけど』フレーベル館
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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