ばけばけ

ハーンと小泉セツ、最初の出会いと第一印象「手足が太いから武士の娘ではない」は本当か ※ばけばけ

NHKドラマ「ばけばけ」では、主人公・トキが女中としてヘブンのもとで働き始めました。

初出勤の日に腕と脚を見せろとセクハラまがいのことを言われ、しぶしぶ見せた挙句に「手足が太いから武士の娘ではない」と屈辱的なことまで言われてしまったトキ。

史実では、いったい二人はどのように出会い、お互いどんな印象を抱いたのでしょうか。

今回は小泉一雄氏の著書『父小泉八雲』から、二人の出会いと第一印象についてひも解いてみたいと思います。

二人の出会い

画像 : 宍道湖『島根縣寫眞帖』public domain

明治23年(1890年)、英語教師として松江に赴任したラフカディオ・ハーンは、逗留していた宿屋を出て、宍道湖を望む二階建ての家で暮らし始めました。

しかし、言葉も風習も異なる日本での一人暮らしは、戸惑うことばかりだったようです。

ハーンは日々の生活に不便を感じていました。

ある日、シラミのついたシャツの処分に困り、どうしてよいか分からず、ついには大橋川に投げ捨ててしまったという話も残っています。

それまでは宿屋から交替で女中が来てくれていましたが、彼女たちは他にも仕事を抱えており、これ以上手を煩わせるのは申し訳ないとハーンは気にしていたそうです。

そこで、住み込みの専任女中を雇うことにしたのです。

ハーンが「手足の太い女は士族の娘ではない」と怒ったのは嘘だった?

画像 : 小泉一雄(17歳)public domain

ハーンのために宿の女将が紹介したのが、「士族の娘」のセツでした。

美術史家の桑原羊次郎氏の著書『松江に於ける八雲の私生活』には、「士族の娘です」と胸を張ってセツを紹介した女将に、ハーンが「あんなに手足の太い女は士族の娘ではない。百姓の娘だ。だまされた!」と怒ったという話が記されています。

この話は80歳を過ぎた女将が、桑原氏のインタビューに答える形で語られたものです。

「妾の世話」をにおわせる女将の談話に対して、小泉一雄氏は、「父は女性の品定めをするような人ではない」と強く否定しています。

一雄氏によると、セツは確かにがっしりした体格で、手足も太かったそうです。

そのため、「士族の娘」といえば、華奢で上品な女性というイメージをもっていたハーンが、「良い家柄の娘にしては手足が太く、手も荒れているが、本当に士族なのか」と尋ねた可能性はあるとしながらも、

「小百姓の娘を士族の娘と偽り、妾に世話するとはひどいと怒った等は、父の性格を種々な点から検討している自分にはどうも合点できぬ。」

小泉一雄著『父小泉八雲』より

と述べ、ハーンが女性を妾として求めたという説には疑問を呈しています。

実際、ハーンは節度を重んじる紳士でした。

日本に来たばかりの頃、人力車で街を見物しようとした際、車夫が頼みもしないのに遊郭へ向かおうとしたことに激怒し、すぐに引き返したという逸話も残っています。

また、女性に対しても慎重で、アメリカ時代には熱心な女性ファンの誘いを「噂が立っては困る」と丁寧に断っていたほどです。

松江でも教育者としての立場を大切にし、軽率な行動は一切取らなかったといいます。

一雄氏は、ハーンが頼んだのはあくまで専任のハウスキーパーであり、女将が勝手に妾の斡旋と早合点したことが誤解の原因だったと指摘しています

セツの目に映ったハーン

画像 : ラフカディオ・ハーン public domain

一方、セツはハーンについてどう感じていたのでしょうか。

当時の松江では、地元の新聞がこぞってハーンに関する記事を掲載していました。

そのため、彼が日本を愛する西洋人であり、優れた作家であること、また教師として生徒に敬愛され、同僚からも尊敬されている人物であることは、町中に広く知られていました。

セツも、ハーンに会う前から「先生はとても立派な方だ」と、新聞や人づてに聞いていたそうです。

だからこそ、女中の仕事を紹介されたときも「この人なら」と思い、引き受ける決心をしたのでした。

後にセツは、ハーンと初めて会ったときの印象を長男の一雄氏に語っています。

実際に対面した際、セツはハーンの左目が見えないことを事前に知っていたため、驚きはしなかったものの、その姿に痛々しさを感じずにはいられなかったそうです。

一方で、右目は「とても穏やかで優しい光をたたえていた」と強い印象を受けました。

セツの観察は細やかで、ハーンの形のよい鼻や女性的な細面、尖った顎と小さな口元が印象的だったと述べています。

特に唇は「臙脂を塗ったように鮮やかな赤」で、思わず羨ましく感じたそうです。

赤みのある唇に目を留めるあたりに、セツの素直な気持ちが垣間見え、微笑ましく感じられます。

さらに、広く切り立った額を見て「なるほど、利口そうな方だな」とすぐに感じ取り、頭髪と眉は真っ黒なのに、口ひげだけが褐色だったことを不思議に思ったと語っています。

そして何より印象的だったのは、ハーンの歩き方でした。

猫のように音を立てず、つま先で静かに歩く姿を見て、セツは少し気味悪さを感じたと打ち明けています。

「あなたは貞実な人です」とセツを評したハーン

画像:小泉八雲(左)と節子(右) public domain

ハーンは、見た目だけで人を判断するような人ではありませんでした。

彼は、セツが没落した士族の娘であり、困窮する家族を支えるために覚悟をもって女中になったことを知っていたのです。

セツと出会ったとき、彼女はあかぎれだらけの荒れた手を恥ずかしがっていました。

ハーンはその手をそっと取り、自分の白くやわらかな手のひらでさすりながら、

「あなたは貞実な人です。この手その証拠です」

小泉一雄著『父小泉八雲』より

と優しくねぎらったそうです。

このとき、ハーンのそばには西田千太郎が同席しており、彼はハーンの言葉を一つひとつ丁寧に訳してセツに伝えました。

セツはこの出来事を、息子の一雄氏に何度も語っていたそうです。

また、セツの手足が太いことについて、ハーンは一雄氏にこう説明しています。

「ママの手足の太いのは少女時代から盛んに機を織ったためだ、すなわち親孝行からだ」

小泉一雄著『父小泉八雲』より)

この話は、セツがたびたび口にする自慢話のひとつになったといいます。

二人が出会ったとき、ハーンは41歳、セツは23歳でした。

ハーンはセツの誠実さに心を惹かれ、セツもまたハーンの優しさに心を開いていきました。

言葉は通じなくても、二人は少しずつ心を通わせていったのです。

【参考文献】
小泉一雄『父小泉八雲』小山書店, 1950 国立国会図書館デジタルコレクション
小泉節子, 小泉一雄著『小泉八雲』,恒文社,1976 国立国会図書館デジタルコレクション
文 / 深山みどり 校正 / 草の実堂編集部

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