ブギウギ

【NHKブギウギ】 松竹楽劇部のストライキ「桃色争議」~大和礼子(演・蒼井優)は責任を取って退団

梅丸少女歌劇団に入団し、稽古に明け暮れる鈴子

鈴子の実在モデル・笠置シヅ子は13歳で入団後、メキメキと頭角を現し、わずか半年でデビューできました。

その後も順調にトップスターへの階段を駆け上がっていたシヅ子ですが、19歳の時、団員たちによるストライキが発生します。

松竹楽劇部が東京に進出

松竹楽劇部のストライキ「桃色争議」

画像. 1929年『松竹座フォーリィズ』における「南京情緒」の場面。public domain

1928(昭和3)年10月、松竹楽劇部は浅草松竹座の開場に伴い東京に進出。
新聞広告で募った生徒14名による「東京松竹楽劇部」が発足します。

発足したばかりの東京松竹はスターが不在だったことから、12月に行われた旗揚げ公演には、すでにスターが育っていた大阪の松竹楽劇部の部員が応援に駆け付け、笠置シヅ子(当時は三笠静子)も「西の応援組み」の一員として初上京を果たしました。

翌年11月、東京松竹楽劇部は『松竹座フォーリィズ』で初の東京松竹単独公演を果たし、その後、東京を代表する一大劇団となります。

東京松竹楽劇部の第1期生には、日本で初めて断髪して男役を演じた水の江瀧子がいました。小顔で長身、目鼻立ちのはっきりした彼女は、「ターキー」「タアキイ」の愛称で親しまれ、「男装の麗人」として若い女性から絶大な人気を得ました。

水の江はシヅ子の一つ年下です。慣れない手つきで舞台化粧をしている水の江を見かねてシヅ子が世話を焼いたのがきっかけで、二人は急接近。

意気投合し、よく“銀ブラ”にも出かけたそうです。

乙女たちの反乱「桃色争議」

松竹楽劇部のストライキ「桃色争議」

画像. 桃色争議. 争議の演壇に立つ水の江。public domain

1933(昭和8)年6月、松竹は松竹少女歌劇部(1932年「東京松竹楽劇部」から改称)に対して、一部楽士の解雇のほか全部員の減給を通告します。

これに反発した少女部員らは新聞記者を集めて「絶対反対」の意思を表明し、当時18歳のトップスター水の江瀧子を争議委員長に据え、待遇改善を要求しました。

少女部員230名は、神奈川県湯河原温泉郷の旅館に立てこもりを決行。

新聞や雑誌は、「レビュー・ガール」と呼ばれる未成年の少女たちによるストライキを「桃色争議」と呼んで大きく報道しました。

画像. 水の江瀧子。public domain

高野山に立てこもる笠置シヅ子

松竹楽劇部のストライキ「桃色争議」

画像. 桃色争議.高野山にて。public domain

東京の水の江らが箱根に籠ってから2週間後、大阪の松竹楽劇部も会社側に待遇改善を要求しますが拒否され、飛鳥明子をリーダーに団員70名が高野山麓の宿坊に立てこもります。その中には笠置シヅ子の姿もありました。

立てこもりは東京同様マスコミの話題となり、世論も少女たちへの同情へと傾く中、あわてた会社側はイメージダウンを危惧して、週休制度や最低賃金の導入など大幅な譲歩へと動きます。

結果、改善要求はほぼ受け入れられ、団員たちは勝利してストライキは幕がおりました。

しかし、争議団長の飛鳥明子は首謀者として責任を取って退団。争議委員長の水の江瀧子は謹慎処分となり、その他大勢の団員が退団へと追い込まれました。

シヅ子が「トップスター10選」に選ばれる

松竹楽劇部のストライキ「桃色争議」

画像. 服部良一 public domain

桃色争議によって松竹のイメージは悪くなり、観客動員数は落ち込む一方でした。
会社は人気回復ため、東京の松竹少女歌劇部を松竹本社直轄とし、松竹少女歌劇団(SSK)と改称しました。

また松竹楽劇部は、道頓堀の松竹座から千日前に新設された大阪劇場(大劇)へと拠点を移し、1934(昭和9)年、大阪松竹少女歌劇団(OSSK)へと改称しています。

桃色争議は、シヅ子にも大きな変化を与えていました。

先輩の多くがストライキの責任をとって引退を余儀なくされた結果、若手の柏ハルエ、アーサー美鈴、笠置シヅ子(当時は三笠静子)らが新世代のスターとして台頭していき、シヅ子は「トップスター10選」に選ばれています。

また松竹は積極的にメディア戦略を進め、シヅ子は1934(昭和9)年、『恋のステップ』でレコードデビューを果たします。

この曲はスイング・ジャズの手法を取り入れたもので、作曲は服部ヘンリー。後にシヅ子と名コンビになる作曲家・服部良一でした。

大和礼子(演・蒼井優)の実在モデル飛鳥明子

 

この投稿をInstagramで見る

 

@irumina777がシェアした投稿

松竹楽劇部の初代プリマドンナ・飛鳥明子は、1907(明治40)年生まれ。
父親は開業医で、高等女学校を卒業後、松竹楽劇部に第1期生として入団しました。

性格は真面目かつ無口で、美を追求する大変な努力家でした。

トウシューズのつま先で踊るトウダンスの名手だった飛鳥は努力と才能によって、1926 (大正15) 年頃には、人気、実力ともにトップスターとなります。

また後輩の面倒見もよく、新人時代のシヅ子は飛鳥に可愛がられ、シューズの履き方などをよく教えてもらったといいます。

桃色争議の責任を取って退団した後は、松竹少女歌劇団の舞踊教師を勤めましたが、1937(昭和12)年、飛鳥明子は腎臓炎のため29歳の若さで亡くなりました。

あこがれの存在だった飛鳥の意志を受け継ぎ、その後シヅ子は飛躍を遂げることとなります。

参考文献:砂古口早苗『ブギの女王・笠置シヅ子』.現代書館

他のブギウギの記事一覧

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【ブギウギ】 戦時下の少女歌劇の活動とは 「過酷な戦地で慰問公演…
  2. 【ブギウギ】 スズ子の移籍騒動 ~史実の笠置シヅ子は監禁状態に
  3. 【ブギウギ】 終戦後スズ子と愛助の生活はどうなる? 「歌手として…
  4. 【ブギウギ】 “夜の女”「パンパン」たちの声援に真摯に応えた笠置…
  5. 『ブギウギ』解説 大正時代のエンタメ事情 ~「宝塚に落ちて松竹に…
  6. 【ブギウギ】 笠置シヅ子が歌手を辞めて女優を選んだ理由 「シヅ子…
  7. 【ブギウギ】 小夜ちゃんがアメリカに? 戦後、日米で差別を受けた…
  8. 『ブギウギ』六郎の出征、ツヤとの別れ。 悲しみを隠して舞台に立ち…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

水野忠恒事件 「狂気乱心いきなり斬りつけ~二度目の松之大廊下刃傷事件 」

江戸時代の刃傷事件江戸時代の事件としては「忠臣蔵 : 赤穂事件」が最も有名である。その発…

「縄文時代」は、なぜ1万年以上も続いたのか?

縄文時代は日本の先史時代の中で、特に長期間にわたり続いた時代として知られる。始まりは諸説あり…

小堀遠州 「綺麗さび」茶道を極めた大名茶人【多才な日本のダ・ヴィンチ】

小堀遠州とは小堀遠州(こぼり えんしゅう)は、戦国時代から江戸時代初期の武将でありながら…

【どうする家康】家康の人生最後の大問題とは 「忠輝と政宗の謀反の噂」

前編では、家康が「終活」として天皇や宗教勢力、外様大名を封じ込めるために発布した各種の法度について解…

超古代文明の宇宙人統治説について調べてみた

(出典 photo AC )人類の技術進歩はいつからはじまったのだろうか。現在、…

アーカイブ

PAGE TOP