ブギウギ

【ブギウギ】 生涯で17曲のブギをリリースした笠置シヅ子 「流行語になった買物ブギー」

敗戦後、多くの人たちに希望を与えた笠置シヅ子の代表曲『東京ブギウギ』。

昭和20年代後半までブギの流行は続き、笠置シヅ子と服部良一の名コンビは新たなブギを作り続けました。

今回は笠置シヅ子の代表的なブギのナンバーを、エピソードとともにご紹介します。

『東京ブギウギ』以降、続々とブギを発表

笠置シヅ子

画像.映画「醉いどれ天使」で「ジャングル・ブギー」を歌う笠置シズ子. public domain

『東京ブギウギ』を振り出しに、服部良一と笠置シヅ子のブギウギソングは毎月のようにリリースされます。

服部良一が作曲し、シヅ子が歌った曲の中で、タイトルに「ブギウギ」「ブギ」「ブギー」のついた作品は次の17曲。

服部は「村雨まさを」のペンネームで作詞も担当しています。

1948年1月発売 『東京ブギウギ』 鈴木勝作詞
1948年3月 『さくらブギウギ』 藤浦洸作詞
1948年4月 『ヘイヘイブギー』 藤浦洸作詞
1948年5月 『博多ブギウギ』 藤浦洸作詞
1948年9月 『北海ブギウギ』 藤浦洸作詞
1948年9月 『大阪ブギー』 藤浦洸作詞
1948年11月 『ジャングル・ブギー』 黒沢明作詞
1948年11月 『ブギウギ時代』 村雨まさを作詞
1949年7月 『ホームラン・ブギ』 サトウハチロー作詞
1949年8月 『ジャブジャブ・ブギウギ』 天城万三郎作詞
1949年11月 『ブギウギ娘』 村雨まさを作詞
1949年12月 『名古屋ブギウギ』 藤浦洸作詞
1950年6月 『買物ブギー』 村雨まさを作詞
1950年12月 『大島ブギー』 藤浦洸作詞
1950年12月 『アロハ・ブギ』 尾崎無音・藤浦洸作詞
1951年9月 『黒田ブギー』 村雨まさを作詞
1952年2月 『七福神ブギ』 野村俊夫作詞

1948年だけでも8曲のブギウギソングをリリースするなど、まさに『ブギの女王』の名にふさわしい楽曲の多さです。

ご当地ブギ

笠置シヅ子

画像.木彫りの熊. public domain

シヅ子は、ご当地ソングのブギ版ともいえる『博多ブギウギ』『北海ブギウギ』『大阪ブギウギ』『名古屋ブギー』『大島ブギー』などもリリースしています。

これらは『東京ブギウギ』のヒットをきっかけに、全国各地から“おらがまちにもブギを”という要望が放送局やレコード会社に寄せられ、“ご当地ブギ”として企画されたものです。

『博多ブギウギ』には「博多はよかとこ」「どんたく囃子」、『北海ブギウギ』には「鰊、鮭、鱈鱒、昆布」など地名や土地の特産品などを歌詞にちりばめ、ご当地ブギはノリのいい明るい曲調になっています。服部はこれらを“ブギ小唄”と名付けました。

当時の流行歌手は巡業が多く、地方へ行った際、ご当地ソングは会場を盛り上げるのに一役買っていました。またレコードの売り上げへの貢献も大きかったため、ご当地ブギは大変重宝されたそうです。

なお、『北海ブギウギ』と『大島ブギー』は幻の音源といわれていましたが、2023年に発見され、70年を過ぎて再びよみがえり配信されています。

映画とブギ

笠置シヅ子

画像.映画『醉いどれ天使』ポスター. public domain

シズ子が出演した映画は、歌唱や演芸の場面が数多く盛り込まれた「シネ・オペレッタ」と呼ばれる歌謡映画でした。
歌手を引退する1956年(昭和31年)末までに25の映画に出演し、発売前の歌やヒット曲を披露しています。

1947年(昭和22年)の年末に公開された『春の饗宴』で『東京ブギウギ』を歌い「ブギの女王」に君臨してからというもの引く手あまたとなり、1948年(昭和23年)4月『舞台は廻る』で『ヘイヘイブギー』、『醉いどれ天使』で『ジャングル・ブギー』を歌い、6月には『春爛漫狸祭』で『ホットチャイナ』を披露。
7月にはエノケンこと榎本健一と『エノケンのびっくりしゃっくり時代』で初共演し、『びっくりしゃっくりブギ』を歌っています。

『舞台は廻る』で歌った『ヘイヘイブギー』には「ラッキーカムカム」というフレーズがあり、ブギの明るく楽しいリズムと相まって、ほんわかと幸せな雰囲気を醸し出しています。

「ヘイヘイブギー」は男女の青春を謳ったものですが、私はそれをいつも母子の平和と幸福とを籠めて歌っていたのです。
ヱイ子さえほほえんでいれば、どんなに仕事が忙しくても。生活が煩わしくても私は楽しい。ラッキー・カム・カムです

『歌う自画像 私のブギウギ伝記』

シヅ子は自伝の中でこのように記しました。

映画『醉いどれ天使』では『ジャングル・ブギー』を披露。『ヘイヘイブギー』とは打って変わって、野性味たっぷりに熱唱しています。

『醉いどれ天使』は、監督に黒澤明、主演は東宝ニューフェースの新人・三船敏郎で、シヅ子はキャバレーの歌手の役でした。

『ジャングル・ブギー』の歌詞は黒澤監督自らが担当。「女豹」、「火を噴く山」などインパクトの強い歌詞がふんだんに使われていましたが、「腰の抜けるような恋」の部分はシヅ子が歌えないとNGを出し「骨も溶けるような恋」に書き換えられています。

映画公開直前、『ジャングル・ブギー』は榎本健一と共演した舞台『一日だけの花形(スター)』で披露されました。二人は虎柄の衣装を身につけ、掛け合いで歌い、客席はおおいに沸いたということです。

野球人気と『ホームラン・ブギ』

画像. 横浜平和野球場. public domain

敗戦後、プロ野球選手たちが帰還し各球団の新時代がスタートすると、プロ野球はまたたく間に人々の娯楽になります。

1949年(昭和24年)7月1日、服部良一がプロ野球の普及と発展のためのキャンペーンソング『日本野球の歌』(歌・藤山一郎)を作曲。シヅ子が歌ったB面の『ホームラン・ブギ』はA面を凌ぐヒットとなりました。

『ホームラン・ブギ』は1番から9番までが数え歌になっており、「カットバセ カットバセ」、「フレーフレー」という野球の応援にぴったりな元気あふれる楽曲です。

ステージでシヅ子は髭をつけ、高下駄を履いた応援団長に扮して登場。歌の途中で下駄の歯が取れてしまい、バランスを崩したシヅ子がオーケストラボックスへ落ちるというアクシデントが起きています。

背中を強く打ちましたが、レントゲンでは異常なし。休みは1日だけだったそうです。

笠置シヅ子のブギの頂点『買い物ブギ―』

画像. 街角イメージ(1953年). public domain

1950年(昭和25年)6月15日に発売された『買い物ブギー』は、上方落語の「ないもの買い」をヒントに服部良一が村雨まさをのペンネームで作詞した楽曲です。

日本のラップの原型ともいわれる『買い物ブギー』は、軽快なブギのテンポにのって矢継ぎ早に放たれる大阪弁のコミカルさと、ノリの良さが特徴の和製ブギです。「ワテほんまによう言わんわ」、「おっさんおっさん」は当時の流行語になりました。

買い物かごを手にエプロンに下駄履き、下駄でタップを踏みながら歌う演出はシヅ子自身が考えたもので、コミカルな曲と見事にマッチし、 “大阪のおばちゃん的”シヅ子の魅力が全開になっています。

『買い物ブギー』は、1950年(昭和25年)5月公開の映画『ペ子ちゃんとデン助』の挿入歌となり、初年度総数45万枚を売り上げ、シヅ子の代表曲となりました。

占領下で暮らす人たちの心をガッチリとつかんだ『東京ブギウギ』を振り出しに、世の中の流れや人々の求めに応じて作られたブギの数々。

笠置シヅ子はブギとともに輝き、時代を駆け抜けたのでした。

参考文献
砂古口早苗『ブギの女王・笠置シヅ子』.現代書館
佐藤利明『笠置シヅ子ブギウギ伝説』.興陽館
『ルック・エンド・ヒヤー』1(5),診療協力会出版部,1949-08. 国立国会図書館デジタルコレクション
笠置シズ子『歌う自画像 私のブギウギ伝記』.宝島社

 

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