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【減税を訴えるため、裸で街を行進した貴婦人】ゴダイヴァ夫人の伝説

画像 : ゴディバのチョコレートとロゴ public domain

高級チョコレートで有名なゴディバ(ゴディバ・ショコラシィエ)は、日本人にも馴染み深く、バレンタインデーをはじめとする贈り物の定番として広く親しまれている。

このゴディバのロゴマークに使用されている、馬に跨った一人の女性。

彼女こそがブランド名の由来となったゴダイヴァ夫人である。

中世ヨーロッパにおける不平等な格差社会に立ち向かった彼女の勇気ある伝説は、今も語り継がれている。

今回は、世界的チョコレートブランドのロゴにもなったゴダイヴァ夫人について紹介していく。

歴史から見るゴダィヴァ夫人

画像 : ゴダイヴァ夫人とレオフリック public domain

ゴダイヴァ夫人は11世紀のイングランド、マーシア伯レオフリックの妻として知られているが、史実と伝説が入り混じった人物でもあり、不明な部分も多い。

ただ、夫であるレオフリックと共にゴダィヴァ夫人も敬虔なキリスト教徒であり、教会や修道院に多額の寄付を行ったことが記されている。また、伝説の舞台となる都市コヴェントリーの修道院建立は、夫人の助言によるものが大きかったという。

この夫人のキリスト教に対する厚い信仰心が、後に大きな伝説を築くきっかけになったと考えられる。

ゴダイヴァ夫人伝説

画像 : 裸で街中を廻るゴダィヴァ夫人 public domain

ゴダィヴァ夫人にまつわる伝説について解説していこう。

通説では以下の様に語られている。

夫であるレオフリック伯は敬虔なキリスト教徒である一方、領地であるコヴェントリーの領民に重税を課していた。その領民の苦しみを目の当たりにした伯爵夫人のゴダイヴァは、夫に何度も税の軽減を懇願した。しかし、彼はその願いを一蹴し、二度とその話はせぬよう窘めた。

しかし、それでもなおゴダイヴァ夫人が減税を訴えかけるので、怒りに満ちたレオフリックは皮肉交じりにこう言い放った。

「お前が裸で馬に乗り、町中を巡るならば、税を免除しよう!」

この挑発とも取れる条件に対し、ゴダイヴァ夫人は周りの者たちが諫めるのも聞かず、髪を解きほどき、髪の房を垂らして、全身をヴェールのように覆わせると、馬に跨り二人の騎士を供につけ、市場を巡り進んだ。

この夫人の行動は領民たちの心を震わせ、誰もが家の窓を閉じ、あえてその姿を見なかった。

彼女の勇気ある行動に感銘と驚愕を受けたレオフリック伯は、己の不明を恥じ、妻の下に駆け寄って謝罪して税を軽減した。

伝説の背景と真実性

画像 : ウィリアム・ホームズ・サリヴァン作。1877年の作品 public domain

勇気あるゴダイヴァ夫人の行動は多くの人に知られることとなったが、これらは話はあくまでも伝説であり、史実としての信憑性は十分なものでないとされている。

実際、この逸話が初めて記録されたのは、彼女の死後約200年が経過した13世紀のことで、イングランドの修道士ロジャー・オブ・ウェンドーバーによって書かれた年代記『歴史の花』が出典である。

そのため、この物語は宗教的、または道徳的な教訓を伝えるために脚色された可能性があるとされている。

また、補訂版や他の文献によれば、元々レオフリック伯は市民に対して免税優遇策を実施していたが、「馬税」だけは依然として徴収されていたとされる。そこで、ゴダイヴァ夫人は裸で馬に乗る日を指定し、町内の役人たちに通知した。役人たちは彼女の意図を理解し、町民たちに「その日は家にこもり、戸や窓をしっかりと閉めるように」と命じたとも伝えられている。

他にも「裸で」という言葉の解釈にも諸説があり、「長い髪が効果的に体を隠していた」「下着のようなものは身に着けていた」「貴族の象徴である装飾や宝石類を外した格好だったことを『裸で』と言い表した」など複数の説がある。

さらに、領民のためではなく自らの懺悔のためだったという説もある。

これらの伝説の背景には、中世ヨーロッパの社会的状況が大きく影響していると考えられている。当時のヨーロッパは封建制度が支配しており、領主と領民の間には大きな権力格差が存在した。領主は強大な権力を握り、領民は重い税や義務に苦しんでいた。

ゴダイヴァ夫人の物語は、そのような不平等な社会の中で、理想化された貴婦人像として機能していたと考えられる。

のぞき屋ピーピング・トム

画像:のぞき屋ピーピング・トム Wikiversity

ゴダイヴァ夫人の献身的な伝説と並んで、大変不名誉な伝説も存在している。

それが「のぞき屋ピーピング・トム」である。

ゴダイヴァ夫人が意を決して裸で馬に跨り、街中を巡っていると、領民たちは彼女の行動に心を打たれ、誰もが戸窓を閉め切り、屋内に立てこもった。

しかしこの時、トムという男が覗き見した。

トムはその美しい夫人の裸体にひどく欲情したが、後日のぞき見したことが発覚したため、領民たちによって両目を潰された。

こうしてトムは「ピーピング・トム(覗き野郎)」と呼ばれることとなった。

このピーピング・トムの逸話は、17世紀以降にコヴェントリー地域の巷で広まったとされている。

1826年に投稿された地元の記事によれば、夫人をのぞき見した仕立屋の伝説がその頃すでに定着しており、町をあげての恒例祭りでは、ゴダイヴァ夫人に扮した人物が行列に加わり、街角には「ピーピング・トム」と呼ばれる木像が置かれる慣習があったとされている。

英国人物事典によれば、「ピーピング・トム」が登場する最古の例は、コヴェントリー市の公式年代記(1773年6月11日付)である。

いずれにせよ「ピーピング・トム」は、ゴダイヴァ夫人の伝説から派生した俗説であることは間違いないだろう。

ゴダイヴァ夫人と現代

画像:コヴェントリーのゴダイヴァ夫人像 Wikipedia

欧米では、現在も増税反対などの抗議デモを行う際には、ゴダイヴァ夫人の故事にならい、スキンカラーのボディスーツをまとった女性が白馬にまたがり、ねり歩くパフォーマンスを行うことがあるという。

SF作家ロバート・A・ハインラインは、このゴダイヴァ夫人の行為を「効果的なパフォーマンス」「印象的な出来事」と評している。

現在、物語の舞台となったコヴェントリー市の旗には、馬に乗ったゴダイヴァ夫人のシルエットが描かれている。また、市の中央には「自己犠牲(Self Sacrifice)」と名付けられたゴダイヴァ夫人の騎馬像が設置されている。

さらに、市庁舎の塔には1953年に設置された「ゴダイヴァ時計」と呼ばれる仕掛け時計があり、毎正時になると白馬にまたがったゴダイヴァ夫人の人形が現れ、それを上からピーピング・トムが覗く仕掛けが施されている。

ゴダイヴァ夫人の故事は、今なお人々の心に生き続けている。

参考 :
『貴婦人ゴディヴァ: 語り継がれる伝説』ダニエル・ドナヒュー (著) 慶應義塾大学出版会
文 / figaro 校正 / 草の実堂編集部

figaro

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