西洋史

『愛なき結婚』フランス王と王妃の冷え切った夫婦生活 ―ルイ13世とアンヌのすれ違い

「どうしても上手くやっていかなければならない相手に限って、なぜかギクシャクしてしまう…」

そうした経験を持つ人も少なくないのではないでしょうか。
歴史を振り返ると、時代や身分を超えて、同じような悩みを抱えた人々がいたことがわかります。

フランス王ルイ13世と、王妃アンヌ・ドートリッシュは、まさにその一例でしょう。

政略結婚によって結ばれた二人でしたが、夫婦関係は決して円満なものではありませんでした。

なぜ王と王妃はすれ違い続けたのか。その背景を探ってみたいと思います。

未来は前途洋々…のはずだった

画像:王妃アンヌ・ドートリッシュ public domain

アンヌ・ドートリッシュは1601年、スペイン王フェリペ3世と王妃マルガリータの間に生まれました。

母マルガリータは神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の妹にあたり、アンヌはスペイン・ハプスブルク家の王女として育てられました。

14歳になると、当時対立関係にあったフランスとの融和を図るため、フランス王ルイ13世のもとへと嫁ぐことになります。

この結婚は、ピレネー山脈で隔てられた両国の和平を象徴するものでした。王家の婚姻にふさわしく、婚礼は豪華絢爛に執り行われ、若き王と王妃の未来は明るいものと期待されていました。

しかし、アンヌは思い描いていた結婚生活とはかけ離れた現実に直面することとなります。
華やかな婚礼を経たものの、その後の4年間の夫妻関係は、まるで兄妹のようなものだったのです。

1619年頃、それを見かねた王の寵臣リュイヌ公が、半ば強引にルイをアンヌの寝室までつれて行き、関係を深めるよう促しました。

こうして、ようやく夫婦としての関係が成立したと伝えられています。

はしゃぎすぎて取り返しのつかない事態に

画像:ルイ13世 public domain

その後、ルイ13世は王家の後継者を得るために努めるようになります。

しかし、2人の仲は他人行儀のままで、日中に顔を合わせるのは宮廷のしきたりに従った公的な場のみでした。

こうした状況から、「王妃は近いうちに離縁されるのではないか」という噂が絶えず流れ、アンヌは王妃でありながらも屈辱的な思いを抱え続けていました。しかし、このぎこちない結婚生活にも、わずかながら希望が見え始めます。

これまでに2度の流産を経験していたアンヌでしたが、再び懐妊したのです。

ところが、1622年3月、宮廷で催された宴の帰り道に悲劇が起こります。
上機嫌だったアンヌは、ルーヴル宮で女官たちと戯れている最中に転倒し、男児と見られていた胎児を流産してしまったのです。

この出来事を受け、王妃の軽率な行動を非難する声が高まり、もともと危うかった夫婦関係に、決定的なヒビが入ってしまったのです。

ますますこじれる事態に

それから3年後、夫婦関係の修復もままならないまま、さらなる醜聞が取り沙汰されます。

そのきっかけは、イングランド国王チャールズ1世の許嫁であるルイ13世の妹、アンリエット・ド・フランスを迎えに来た、バッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズの訪仏でした。

画像:バッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズ public domain

なんと王妃アンヌは、この英国随一の伊達男に強く惹かれてしまったのです。

アンヌの浮き立つ様子はすぐに周囲の目に留まり、ルイ13世もこれを察して、王妃とバッキンガム公が接触する機会を制限しました。

しかし、イングランドへ嫁ぐアンリエットをアンヌが見送る道中、宿泊地アミアンで思わぬ出来事が起こります。
バッキンガム公は、おそらくは礼を欠く形で、あるいは半ば強引に王妃へ愛を告げたのです。

さすがのアンヌもこれには驚愕し、思わず悲鳴を上げてしまいました。

声を聞きつけた女官たちが駆けつけ、大騒ぎとなった結果、王妃の秘めたる想いに過ぎなかったものが、宮廷全体を巻き込む大きな醜聞へと発展してしまったのです。

たとえ王妃が操を守っていたとしても、この一件によって彼女は国王からの信頼をさらに失うこととなりました。

神の贈り物?

この「アミアンでの大醜聞」から10年以上が経過しても、夫妻の関係は変わらず膠着状態のままでした。

二人はすでに36歳を超え、ルイ13世は病気がちでした。王室の安定を考えれば世継ぎの誕生は急務でしたが、夫妻の間に子が生まれる兆しはなく、王国の未来を案じる声が広がっていました。

しかし、1638年初頭、王妃の懐妊が明らかになります。
この知らせは瞬く間に宮廷内に広まり、やがてフランス国内、さらには外国にまで伝わりました。

そして同年9月5日、アンヌは命が危ぶまれるほどの陣痛に苦しみます。

その最中、涙を流しながら耐える王妃に対し、ルイ13世はこう言い放ったと伝えられています。

「あなたがそのように悲嘆に暮れる理由が分からない。余は子の命が助かれば満足だ。あなたも母親が犠牲となって子が助かれば、心が慰められることだろう」

その言葉は、王妃への労りとはほど遠い、冷淡なものでした。

翌日、アンヌは待望の男子を出産します。この子は、後に「太陽王」として知られるルイ14世となります。

画像:太陽王ルイ14世 public domain

王室と国民が長年待ち望んだ世継ぎの誕生に、人々は「神の贈り物」として歓喜しました。
しかし、一方でルイ13世は、息子の出自について何かしらの疑念を抱いていたともいわれています。

そのわずか4年後の1643年にルイ13世は病没し、4歳のルイ14世がフランス王として即位しました。
アンヌは摂政となり、息子の成長を見守るとともに、成人後も政治的な影響力を持ち続けました。

そして1666年、アンヌは64歳でその生涯を終えます。

夫ルイ13世はフランスにおける絶対王政の基礎を築き、息子ルイ14世は王朝の最盛期を築き上げました。

一見、華麗な歴史を紡いだかのように見えるアンヌ・ドートリッシュの人生でしたが、その裏には、不器用な夫婦関係に翻弄され続けた苦悩の日々があったのです。

参考:『ロイヤルカップルが変えた世界史 上』/ジャン=フランソワ・ソルノン (著)
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
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