その女性は貴族でありながら、歴史上でも名高い連続殺人者であり、「血の伯爵夫人」と呼ばれた。
伯爵夫人
エリザベート・バートリ(1560年8月7日-1614年8月21日)は、ハンガリー王国の貴族として生まれた。
ハンガリー語では「バートリ・エルジェーベト」と読むが、当時のハンガリーはドイツ人の支配下にあったため、日本でもドイツ読みのエリザベート・バートリと表記されることが多い。また、ハンガリー人の姓名の順は日本と同じであり、ハンガリー語では旧姓のバートリが先にくる。
そのため「バートリ家のエリザベート」となる。
バートリ家は16~17世紀当時トランシルヴァニア公国の中で最も有力な家門だった。ポーランド王位に就いたバートリ・イシュトヴァーン9世や当時のトランシルヴァニア公やハンガリー王国の宰相を輩出する名門である。
ブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』に登場する吸血鬼・ドラキュラ伯爵のモデルの一人として知られるワラキア公ヴラド3世(Vlad III , 1431年11月10日 – 1476年12月19日)の出身もトランシルヴァニア地方だった。
有力者を輩出する一方、エリザベートの近親者には悪魔崇拝者(叔父)、色情狂(兄弟)等と噂された者もいる。エルジェーベト本人も幼いときから感情の起伏が激しく、これは一族が財産及び権力を保つ為に血族結婚を繰り返してきた影響だとも言われる。
※フランツ2世・ナーダジュディ
エリザベートは15歳のときに、ハンガリーでも指折りの富豪フェレンツ・ナーダシュディ伯爵と結婚。結婚祝いに伯爵からチェイテ城をもらい受けた。ナーダシュディは伯爵ではあったが、エリザベートの方が高い身分にあったため、結婚後もバートリ姓を名乗った。ナーダシュディは対オスマン戦争におけるハンガリー軍の指揮官の1人であり、英雄として知られていたが、同時にその残虐さでも有名だった。
この結婚により6人の子供に恵まれたエリザベートは、性格的にはやや難があったものの、ラテン語・ギリシア語などの読み書きもできる教養豊かな女性で、戦争で留守がちな夫に代わって城と荘園を管理し、諸外国に遊学する学生らの援助をした。
残虐行為への目覚め
※チェイテ城跡
オスマン帝国との戦争により夫が留守がちの中、エリザベートは性別を問わず多くの愛人を持ち、贅を尽くすことと自らの美貌を保つことに執着したというが、夫婦仲は良かった。しかし、このときからすでにエリザベートの残虐行為は始まっていた。
夫が彼女の血への渇望について知っていたかどうかはわからない。しかし、その欲求は確かにエリザベートに存在していた。あるとき、粗相をした侍女を折檻したところ、その血がエリザベートの手の甲にかかり、血をふき取った後の肌が非常に美しくなったように思えたという。
「処女の血を浴びれば私は美しくなれる」
そのような考えにとりつかれたエリザベートは、欲求をエスカレートさせてゆく。1604年に夫が亡くなると、夫から贈与されて彼女自身の所有となっていたチェイテ城 (現在はスロバキア領)に居を移した。彼女はチェイテ城をはじめとして、少なくともほかの4か所の所有地でも残虐な殺しを行ったという。
その内容が凄まじい。
若い処女の血液を求め、侍女を始め近隣の領民の娘を片っ端からさらっては生き血を搾り取り、血液がまだ温かいうちに浴槽に満たしてその中に身を浸す
という残虐極まりない行為を繰り返すようになった。その刑具として「鉄の処女」を作らせ、用いたと言われている。
※鉄の処女の複製品
やがて下級貴族の娘を「礼儀作法を習わせる」と誘い出し、残虐行為は貴族の娘にも及ぶようになった。残虐行為はさまざまな方法で行われたため、エリザベートは変態性欲者だったという。性欲に結びつくのは、夫が留守がちだったにもかかわらず6人の子を生んだこと、多くの愛人を持っていたことなどからも分かる。
しかし、エリザベートの残虐行為が暴かれるときが訪れた。
発覚
※トゥルゾー・ジェルジ伯爵
最初に疑問を抱いたのは、エリザベートの娘アンナの夫ニコラの従兄に当たるハンガリー副王トゥルゾー・ジェルジだった。ナーダシュディ伯爵は死の間際、自分の財産と妻のことを親友のジェルジに託したのだった。
もともと、地元のルター派の牧師の告発により、役人達は薄々事態に気付いていたが、バートリ家の名誉を考慮し、内密にしていたようである。しかし貴族の娘に被害が及ぶようになると、ハンガリー王家(ハプスブルク家)でもこの事件が噂され始め、1610年に監禁されていた娘の1人が脱走したことにより、ついに捜査が行われることになった。
城に入った役人達は、多くの残虐行為が行われた死体と衰弱した若干の生存者を発見した。また、城のあちこちに多くの死体が埋められていることも後に明らかになった。
もちろん、ジェルジもこの捜索には参加している。
1611年1月、ジェルジが裁判官を務める裁判は、エリザベートの共犯者として従僕を斬首刑に処し、2人の女中を火刑に処した。300人以上の証人が、血の伯爵夫人に不利な証言をした。彼らは目撃者や生存者だけでなく、娘たちをさらってきてバートリに差し出した共犯として起訴された者もいた。
しかし、エリザベート本人は高貴な家系であるため死刑を免れ、扉と窓を漆喰で塗り塞いだチェイテ城の自身の寝室に生涯幽閉されることが決まった。その屋上には、彼女が本来であれば死刑に処せられるべき重罪人であることを示すために絞首台が設置されたという。
※25歳の時の肖像(1585年)
1日1度食べ物を差し入れるための小窓しかない、ドアも窓もすべて厳重に塗り塞がれた暗黒の寝室の中で彼女は3年半ほど生きた。
その後、1614年8月21日、小窓から寝室をのぞいた監視係の兵士が彼女の死を確認した。彼女の所領は子供達が相続することとなった。
最後に
処女の生き血風呂に入っていたというが、その点について真偽のほどは定かではない。
しかし、24年の間にエリザベートは、650人もの女性たちを殺し、彼女たちの手を焼いたり、顔や腕の皮膚を食いちぎったりして拷問し、凍えさせたり飢えさせて死に至らしめることに喜びを見い出していた。紛れもない殺人鬼であり、淫乱で黒魔術を好み悪魔崇拝をしたという証言から、吸血鬼のイメージが付加されるようになったのである。
事実は小説より奇なりってやつよ
バートリー家は財産守るために近親婚繰り返しすぎた結果
性質が極端に濃くなりすぎた。
彼女は人一倍性欲が強く絶倫であり夫の死後性的に満たされないことから
狂気を爆発させた。セフレがいるような女慣れしている奴ならわかるだろうが
女は会話よりも肉体的コミュニケーションの方が一気に機嫌がよくなるからな
貴族で近親婚でいつ爆発するかわからないような性格のエリザベスバートリーは
セックスで満足させないと殺人鬼になる美しき怪物でありモンスター、つまり
吸血鬼ってやつよ 女は性的に満足している間は猛獣同様気分を荒げるようなことはない
満腹の猛獣が獲物に関心ないみたいなもん
考えてもみろ、食欲も性欲も同じ交感神経
近親婚でこの部分が常人の何十倍も強い人型モンスターってのを
そういう狂気が表面化した存在というわけだ
どこにでもエリザベスバートリーの予備軍の女が文字通りの肉食として
美しい顔して存在してるってことでもあるよな
>女は会話より肉体的コミュニケーションの方が一気に機嫌がよくなるからな。
お前の母ちゃんがそういうタイプだからって全ての女にそれを当て嵌めるとは短絡すぎて愚かの極み。
だいたい性別に囚われすぎだろ?w
お前さんの論が正しいならジル・ド・レについて、どう説明するのか?奴は男だろ!(連続殺人犯は女より男の方が多いからな)そもそもシリアルキラーなんてのは男女関係無く単に殺したいから殺しているというだけで今も昔も変わらんね。テッド・バンディや、ジョン・ウェイン・ゲイシーや宮崎勤の類でしかない。単に数百年前の人物だから違って見えるだけだ。エリジェーベトの犯行動機「若さと美を保つ為」ってのも後から取って付けた言い訳。本当は殺害そのものが目的。殺したいから殺したってだけ。
肖像画を見てもお判りのとおり…そこまで執着しなきゃならんほどの美人ではないしな。
映画やゲームやオペラなどの影響からか変に幻想を抱く妙な輩がいるが、あの女は唾棄すべき変質者にすぎんよ。因みにチェイテ村の例のエリジェーベトの別荘跡地の地下を調査したら古い家の廃材、女性の人骨破片、頭蓋骨、棺の破片が見つかったそう。
ただ奇妙な事に何故か発見された物は消えてしまうんだそうな。村の調査作業人は「それがチェイテ城の調査で最も問題だ」と言っていたな。
諸説あり
でもさ、エリザベートも被害者ちゃ被害者じゃん?
もしも血族結婚とかしなければ普通の女の子だったかもしれないし。
殺した事実はあるかもしれないけど、エリザベートも可哀そうって思う。
某テレビ番組で「エリザベートが悲しい」みたいなこと言ってたしな…
エリザベートの同情するのは私だけ?
>エリザベートも可哀そう
可哀そうだったら何百人も殺してOKって言ってるようなものだよ(笑)
あなたが、自分と自分の家族や友人が連続殺人犯に殺されても、「犯人も可哀そうな人だったの」って思うのなら別だけど。
神聖ローマ皇帝マティアスがエリザベート・バートリに莫大な借金してて、それを踏み倒すために、罪をでっち上げた説が海外では有力だそうだぞ
実際は人殺しの証拠は見つかってなく、警察が踏み込んだとき、エリザベート・バートリは侍女や召使たちと朝食を食べていたらしい