歴代の国王は、時にあだ名をつけられ,それが今日まで伝わっている人物もいる。
特にヨーロッパの国王は名前のバリエーションが少ないため、エドワード○世のようになりがちであり、かつ中世では複数の国の国王を兼務することも多かったため、民衆としてもあだ名でもないと区別しにくかったのである。
そのためあだ名がついている国王は多い。
フランスのシャルル4世の「美男王」やフィリップ4世の「端麗王」のように、とにかく顔がイケメンということで付けられたあだ名は、付けたほうも付けられたほうも気分がよい。
逆にカール3世などは「肥満王」で,ただの悪口である。ちょっとかわいそうな気もする。
今回はイングランドのプランタジネット朝の国王の中から,対照的なあだ名をつけられた二人の国王について調べてみた。
2人の王
今回登場するのはリチャード1世とジョンの2人である。
この二人の関係は兄弟で、先に王となったのがリチャードで三男,その次に王になったのがジョンで末っ子の五男である。
ちなみにリチャードとジョンの年の差は10歳。リチャードの前の王は,二人の父親のヘンリ2世である。
ヘンリ2世と息子たちは相続争いでたびたび揉めていた。
父親のヘンリ2世としては末っ子のジョンが一番かわいかったようで,ジョンに王位を継承させようとしたこともあったが,ほかの兄弟たちの反対にあい対立。
最終的にヘンリ2世&ジョンVSリチャード&他の兄弟たちは和解することはなく、ヘンリ2世は死亡した。
この相続争いをめぐるいざこざは「冬のライオン」という映画や舞台で描かれている。
史実に忠実というよりは話を膨らませて面白おかしくまとめた作品なので見ていて楽しい。
後の文章を読んでもらえれば分かるのだが,手がかかる出来の悪い子ほど親はかわいいのかと思ってしまうのである。
ライオンハート
リチャードの歴史的な業績としては,あの十字軍を率いて戦ったことである。
王であった期間のほとんどを戦闘の中で過ごし,勇敢であったことやその武勇から「獅子心王」と呼ばれる。
百獣の王ライオンの心を持った王。かなりかっこいいあだ名なのである。
血のあるところリチャードありと言われたほど。
十字軍は合計7回の遠征が行われたのだが,リチャードが参加した第三回は中世を代表するスターたちが参加している。
ヨーロッパ側からはリチャードのほかに,フランスのフィリップ2世(あだ名は「尊厳王」)と神聖ローマ皇帝のフリードリヒ1世(あだ名は「赤髭王」)が参加し,迎え撃つイスラーム側は英雄サラディンが参戦し,中世のヒーローたちが終結した戦いだったのである。
リチャードはこの遠征で、最終的には船で漂流したのち捕虜になってしまうという波乱万丈な人生を送った。
イングランド王ではあったものの、ほとんど英語を話すことはなく日常会話はフランス語で、遠征に行ったり捕虜になったりで、イングランドに滞在したのは約6か月ほどしかなかったという。
十字軍の英雄であり、中世騎士道の鑑といわれたリチャードだが、国内のほうはそっちのけだったようである。
それでも「獅子心王」と呼ばれたのだから、当時武功を上げるということはとても重要視されていたのである。
ちなみにリチャードは男色家であったらしく、結婚し妻がいたものの結局後継ぎは生まれなかった。
ラックランド
ジョンの歴史的業績(というか失敗?)は大きく3つ。
まず国領地をフランスに奪われたこと。
次にローマ教皇から破門されたこと。
最後に、貴族や都市側の権利や自由を守り王権を制限する大憲章マグナ=カルタを認めさせられたこと。
見事に残念な業績なのである。
大憲章マグナ=カルタは立憲主義の出発点ともいわれ、近代社会に向けて非常に価値のあるものではあるのだが、王としては自分の立場が弱くなるものなので、彼自身としては残念である。
彼のあだ名は「失地王」または「欠地王」。
父親のヘンリ2世が領地を息子たちに分配したときに幼年であったジョンには領地が与えられなったことからあだ名が付けられた。
王になる前から失地して、フランスにも領地を取られ失地。
しかも「無能で、嘘つきで、戦に弱く、卑劣で、かんしゃく持ち」と言われていて、本当にいいところがないのである。
「ロビンフッド」では悪役として登場しているくらいである。
歴代のイングランド国王の中でジョンは常にワースト1で、ジョンのあとに「○世」と付いていないことからも分かるように、そんな残念な国王の名前を名乗りたい国王はその後一人も出てきていない。
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