人物(作家)

ムッソリーニの生涯【元々はヒトラーよりカリスマだった独裁者】

全体主義の元祖

※閲兵式に参加する第5アルピーニ旅団の少年兵の頬に触れるムッソリーニ (1945年)

ベニート・ムッソリーニは、アドルフ・ヒトラーと並ぶ独裁者として知られたイタリアの政治家です。

しかし実はヒトラーよりも前から政権を担い、むしろヒトラーがその手法を参考にした人物でした。

若い頃は勉強もスポーツも極めて優秀な万能タイプで、4ヶ国語を操り女性にも大変モテるスーパーマンのような存在でしたが、反面誰にも心を許さず友人も作らない孤独な一面もあったようです。

ムッソリーニの政権掌握は1922年、方やヒトラーは1933年と、ムッソリーニの方が10年以上前であり、ファシズムと呼ばれた独裁政治の形態の元祖でもありました。

ヒトラーもムッソリーニも演説に非常に長けていましたが、ヒトラーが感情的にまくしたてるタイプならムッソリーニは優雅に分かりやすく話すタイプでした。

最期は民衆から処刑されてしまうのですが、そんな激しい人生を送った独裁者ムッソリーニの生涯を簡単にまとめてみました。

ファシスト党の創設

※ファシスト党のエンブレム wikiより

ムッソリーニは当初はイタリア社会党に籍を置き、そこで党の機関誌の編集のトップを務めていました。

そのときに突如として第1次世界大戦への参入を唱えたことで、党から除名されることになりました。

ムッソリーニはその後自らも第一次世界大戦に従軍すると、その後ミラノにおいて自身で新聞の発行を行いました。そして1919年3月には新たな政治結社となる「イタリア戦闘者ファッシ」を創設しました。

この組織は社会主義的な主張を孕んでいたこともあり、1919年の選挙では成功しませんでしたが、翌1920年にムッソリーニは、組織の綱領の中から左翼的な文言をなくしました。

その代わりに愛国心やイタリアの栄光を讃える煽情的な主張を展開し、翌年にこうしたファシスト勢力を糾合したファシスト党を創設し、その指導者となりました。

一党独裁の開始

※進軍するファシスト党員

ファシスト党は、1922年10月、40,000人にも上る党員を動員するとローマの中心部を占領する行動に出ました。

ムッソリーニ自身はこれに加わっていませんでしたが、ファシスト党のこの行動に恐れを抱いた国王の命により、ムッソリーニが首相の座に就くことになりました。

この後、1924年6月にファシスト党の暴力を議会で指摘した社会党員が暗殺される事件が発生しました。

他の議員や報道機関もムッソリーニが関与している事実を指摘し非難したことから、政権は窮地に立たされました。

しかしファシスト党はその批判に対し、むしろ逆となる独裁制を提唱し、それが求められなければ動乱を起こすと脅迫するに及びました。
ムッソリーニも自身も翌年の1月には、独裁制を行うことを公言しました。

これに対し、国王も議会も抗うことが出来ず、イタリアの議会制度は事実上失われることになりました。

ファシスト党は続く1926年には反対する勢力をことごとく排除し、ムッソリーニの暗殺事件を逆手にとって全ての野党を廃止に追い込むことに成功し、ここにファシスト党の独裁が始まりました。

枢軸国の形成

ムッソリーニ

※イタリア帝国主義が主張していた領域

ムッソリーニは、1924年には現在のクロアチアの北部に位置するフィウメを併合、1926年にはアルバニアを勢力下に置くなど、武力を背景とした領土の拡張を推し進めました。

さらにムッソリーニが1935年にアフリカのエチオピアの併合を行したことで、国際連盟からの非難を浴びて、イギリス・フランスとの対立が表面化しました。

ムッソリーニは、元来オーストリアへも領土的な野心を抱いていたことから、ドイツとも競合する関係にありヒトラーの動向を警戒していたとされています。

しかしスペインにおける内戦を共同で支援したあたりから徐々に歩調を合わせるようになり、1937年には日本を加えた三国による枢軸国を形成しました。

ムッソリーニ の最期

1939年に第2次世界大戦が始まった後も、当初ムッソリーニは中立の立場を標榜していました。

しかし翌1940年6月にドイツの優位を確信すると、漁夫の利を狙って参戦しました。

しかしイタリア軍は各地で敗れ、1943年7月に連合軍がシチリアに上陸を果たすとムッソリーニは幽閉されました。

※閲覧注意画像 吊るされるムッソリーニらの遺体 手前からボムバッチ、ムッソリーニ、ペタッチ、パヴォリーニ、スタラーチェ

一旦はドイツによって救出されたムッソリーニでしたが、1945年4月にパルチザンによって捕えられると、その生涯を処刑によって終えました。

 

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社会人になって「信長の野望」に嵌まり、すっかり戦国時代好きに。
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