コヴェントリー爆撃
コヴェントリー は、イギリスのイングランドにある工業都市です。
第二次世界大戦におけるイギリスとドイツの航空戦「バトルオブブリテン」においては1940年8月から10月までに延べ17回におよぶ爆撃を受けていました。
そして同年11月14日の夜、それまでで最大の被害を被る爆撃を受けました。この時の爆撃が一般にはコヴェントリー爆撃と呼ばれ、約500機のドイツ軍の爆撃機が爆弾と焼夷弾を使用した絨毯爆撃を行いました。
これは第二次世界大戦の中でイギリスが被った、最大の集中爆撃となり、空襲は日付をまたいで翌日までの凡そ11時間にも及び、死傷者約1,200名を出すこととなりました。
この爆撃について、当時のイギリス首相を務めたウィンストン・チャーチルはその回顧録において爆撃を事前に知っていたと述べています。
しかしイギリスがドイツ軍の暗号を解読したことを秘匿するため敢えて避難指示を行わず、多くの市民を犠牲にしたという、戦時の指導者の非情さを物語るエピソードとして語られてきました。
暗号機「エニグマ」
しかしこの回想録の内容は、今日ではチャーチルが自らの指導者としての決断力を固辞するために誇張して書かれたものという見方が主流となっています。
実際のところは、爆撃が行われることは判明していたものの、その対象となる場所までは判別できてなかったというのが実情のようです。
ある意味、如何にも自身の功績をことさら強調しようとするチャーチルらしい逸話とも言えます。
この逸話でも語られたドイツの暗号というのが、「エニグマ」と呼ばれた当時のドイツ軍が使用していた暗号機で作成されたものでした。
この「エニグマ」は、タイプライターのようなキーボードを備えた機械で、暗号の作成と解読の両方ができるものでした。
チューリングのボンベ
「エニグマ」解読はイギリ政府の研究所で進められ、「チューリング・マシン」と呼ばれるコンピュータの研究で著名な学者、アラン・チューリングらの手によって行われました。
ここでは「ボンベ」と名付けられた一種のコンピュータが使用され、これは「エニグマ」の動作を再現することによってその暗号を解読したものでした。
1940年には解読に成功し、当時大西洋で猛威を振るっていたドイツの潜水艦Uボートからの艦船への被害を抑える事に成功しました。
続く1942年には改良された「エニグマ」も登場しましたが、同年の終わりごろにはこちらも解読できるようになったとされています。
鹵獲と解読のヒント
チューリングらの「ボンベ」によって「エニグマ」の暗号は解読されましたが、その大きな理由のひとつに、鹵獲されたUボートなどからの「エニグマ」本体の入手や、元は民間でも使用されていた機械であったことから、その説明書などを含み、機械そのものの構造がある程度判明していたことが挙げられています。
また、機械の特性として同じアルファベットには変換されないことや、暗号の中に定形のフレーズがよく用いられていたことがヒントとなりました。
チャーチルの虚栄心
コヴェントリーには、今でもその当時の爆撃により破壊されたコヴェントリー聖ミカエル大聖堂の一部が残されています。
もとは14世紀から15世紀にかけて作られたもので、空襲で破壊された後には隣接する土地に新しく教会を建て直し、空襲の記憶を今に残しています。
その痕跡はそうした自国の被害さえも自身の手柄に利用しようとしたチャーチルという政治家の虚栄心を現すかのように、今もその地に遺されています。
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