地理

広島が首都だった時【広島大本営と第七回帝国議会】

そもそも大本営とは?

広島が首都だった時【広島大本営と第七回帝国議会】

※広島大本営 広島城の中に置かれていた

大本営とは天皇直属の最高統帥機関のこと。要するに日本の軍部の最高機関というわけです。

この大本営が初めて置かれたのは1894年。ちょうど日清戦争が始まる直前のことでした。その後日本の重要な戦争の時に度々置かれ、1904年の日露戦争に設けられ、1937年には大本営令によって設けられ、1945年の終戦まで軍の最高機関として存在していました。

広島が選ばれた理由

1894年日本は清国に対して宣戦布告。こうして日清戦争の火ぶたは切って落とされました。

戦争になったのならとりあえずその戦争の総指揮機関を作らなければいけない。
そのため軍部の重鎮たちはこの条件に沿うような土地を求めていました。

1.なるべく敵の前線に近いこと
2.補給が完璧に届くようなインフラが整っていること
3.もしもの時の防衛に適していること

この3つの条件があっていたのが当時の広島だったのです。

まず、当時清と戦っていたため前線は皆さんもわかる通り西に置かなければいけません。そりゃ敵の前線に近いほうが迅速に戦争の対処が聞きますしそっちのほうがいろいろ便利です。
それならもっと西の長崎とかのほうがいいでしょ?」となると思いますが違います。

このころ長崎に鉄道は走っていませんでした。

飛行機や自動車がない時代。兵隊や物資を早く大量に輸送する手段は鉄道しかありません。しかしその肝心の鉄道である山陽本線が日清戦争直前には、ちょうど広島駅まで開通したところだったのです。もし山陽本線が下関まで開通していれば下関に、長崎まで開通していれば長崎に大本営が置かれていたでしょう。
さらに広島は瀬戸内海沿いにあり、もし敵がやってきたとしても防衛に徹することができます。

そのため大本営は天皇以下政府首脳も一丸となって戦争に当たるという目的で、戦地に近く、さらに鉄道と防衛に徹した港の使える広島になったもいうわけです。

東京以外で開催された唯一の国会

※第七回帝国議会が行われた広島臨時仮議会堂

日清戦争が始まり、国内では挙国一致の戦争態勢に入らなければいけない中、軍の最高トップである明治天皇は広島に行幸。戦争途中は大本営のある広島に滞在することになりました。

そのため予算案を審議する帝国議会も天皇の召集により東京ではなく広島で開催することが決まります。

この議会では日清戦争に関連する軍事予算案が主な議題として取り上げられ、1億5000万円という当時の日本の国家予算からは考えられないぐらいの予算案が全会一致で可決されます。

日本では1889年の第1回帝国議会以降民党と内閣が軍事予算案を背景に激しく争っていたのですが、日清戦争が始まると一転民党と内閣が国のために一致団結するという流れとなります。
この第七議会は内閣と民党との争いの転換点ともいえる議会でもありました。

この時期、国の最高機関が一時的とはいえ広島に集中したことから、明治以降で首都機能が東京から離れた唯一の事例となったのです。

 

アバター

右大将

投稿者の記事一覧

得意なジャンルは特に明治以降の日本史とピューリタン革命以降の世界史です。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 馬詰柳太郎 「人は見た目が9割」だけど…残り1割が欠けていた新選…
  2. 斎藤一について調べてみた【新選組】※強さ、剣術
  3. 『最後の将軍・徳川慶喜』 なぜ味方を見捨てて「敵前逃亡」したのか…
  4. まるで二重人格?「善」「悪」の二面性を持った英雄・西郷隆盛の実像…
  5. 『日本に存在したスラム街』 明治に貧民たちを救った「残飯屋」 ~…
  6. 日本の県名の由来 「ちょっと面白い成り立ち」
  7. 【日本総理大臣列伝】伊藤博文の人物像に迫る 「着飾ることを知らな…
  8. 玄洋社について調べてみた【大アジア主義を唱えた政治結社の草分け】…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

「逆玉も楽じゃない?」王冠なき王アルバートと、英国女王ヴィクトリアの絶妙な権力バランス

19世紀中盤、英国の政治と社会の変革を象徴する存在が、ヴィクトリア女王とアルバート王配の関係…

【情報収集はこれで完璧】さまざまな情報収集方法を一挙紹介! 前編

はじめに情報収集は、現代社会において欠かせないスキルの1つである。しかし、膨大な情報をいかに効率…

『無銭飲食から32万石の大名へ』 貧乏武士だった藤堂高虎の「出世の白餅」の逸話とは

「出世の白餅」という有名な逸話がある。主人公は、戦国武将の藤堂高虎だ。高虎は、近江出…

江戸城について調べてみた【三代の大改修】

最初に、江戸城の創建について触れておこう。江戸城の起源をたどると、1457年(康正3年)に太田道灌(…

スパイス&ハーブの歴史と使い方について調べてみた

古代から、人類はその経験に基づく知恵を生かして「スパイス&ハーブ」を生活の色々な場面で役立ててき…

アーカイブ

PAGE TOP