幕末明治

日英同盟について簡単に解説〜利害の一致がもたらした大国イギリスとの条約

日英同盟の概要

日英同盟

※第2次日英同盟後の1906年に英国使節コノート公アーサー王子から、ガーター勲章を献上される明治天皇

日英同盟(にちえいどうめい)は、日本イギリスの同盟です。

当時の日本は日清戦争後に朝鮮において影響力を強め、続く義和団事件後も満州への派兵を継続し、南下政策を推し進めるロシアを警戒していました。

イギリスは三国干渉や中東方面におけるロシア・ドイツ・フランスの進出を危惧していました。

そこで日本とイギリスは、ロシアという共通の敵を有したことで接近し、両国の利害関係が一致したことから、二国間の軍事同盟が結ばれたのです。

日英同盟は1902年に締結され、以後3次にわたって改訂されて20年間続きました。

日露戦争第一次世界大戦において、日英両国の方針を決定するにあたって重要な役割を担った同盟でしたが、両国の思惑の変化もあり、第一次世界大戦後の国際協調のもと開催されたワシントン会議の結果、1922年の四ヵ国条約に置き換わる形で廃棄されました。

イギリスの背景

当時イギリスはヨーロッパ諸国との外交においては「光栄ある孤立」という立場を基本としていました。

しかしアジアにおけるロシアの侵出の強化が、インドと中国に築いていたイギリスの権益に大きな影響を及ぼす可能性があるとして、警戒を強めることになっていました。

またこの当時のイギリスは、南アフリカにおける戦争が長期化しており、アジアへ注力できる余地がない状況となりつつありました。

そうした状況下で、日本も新勢力として勃興しつつあるとはいえ、ロシアと比較した場合どちらがイギリスの脅威になるのかを秤にかけた結果、日本と同盟を選んでロシアを牽制する道を選びました。

日本の背景

一方、日本は同盟の締結を通じて国際的な地位の向上を企図し、且つまた同時にロシアの満州、朝鮮支配に対抗する後ろ楯としてイギリスとの軍事同盟を必要としていました。

日本では山県有朋や、駐英公使加藤高明らが日英同盟の締結を主張し、他方、伊藤博文や井上馨らはロシアの満州支配と日本の朝鮮半島支配を相互承認(満韓交換論)するという、二通りの見解が存在していました。

しかし、ロシアが1900年の義和団事件を契機として満州駐留を継続したことから、ロシアとの対立は不可避との認識に至り、日英同盟の締結を選択することになりました。

第1次 日英同盟

1902年1月のロンドンにおいて、日英同盟は締結されました。

この同盟の内容としては、イギリスの清国においての権益と、日本の清国・朝鮮においての権益を相互に承認し、各々が第三国と戦争に及んだ場合には、他方は中立を守ることを定めた防御同盟といえるものでした。

日本はこうしてイギリスと結んだ日英同盟を後ろ盾として、日露戦争に踏み切り、イギリスは約定どおりに中立を守り、資金面などでも日本を支援し、日本の勝利に貢献しました。

同盟の改定と第1次世界大戦後

日露戦争の終結直前の1905年8月には、第2次日英同盟への改定がなされ、当同盟を適用する範囲が東アジア及びインドまで拡大されました。

これによりインドでのイギリス、朝鮮での日本の優越権を相互に承認し、加えて同盟の義務も第三国からの攻撃を受けた際には、相互に軍事的援助の義務
を負うとした更に強固な軍事同盟となりました。

更に1911年の第3次日英同盟では、ドイツへの対処を加えると同時に、悪化していた日米関係を懸念したイギリスは、同盟の対象からアメリカを除くことを盛り込ませました。

1914年に第1次世界大戦が始まると、日本は日英同盟に従い、イギリスに対する軍事支援を果たすため参戦し、中国大陸と太平洋地域にあったドイツ支配地域の軍事基地への攻撃を行いました。

イギリスは同盟に基づく日本の参戦を要請したものの、日本が1915年に対華21ケ条の要求を表明したことで、日本のこれ以上の中国での権益拡張を脅威と感じるように変化していきました。

日本と米英の対立

こうして第1次世界大戦後には、日本の中国大陸への侵出を脅威に感じたアメリカも、イギリスに対して日英同盟の破棄を要望する状況が生まれました。

イギリスにおいても日本の中国進出が脅威と認識され、更に日米の対立に絡むことを避ける意味でも日英同盟を破棄することを決定し、1921年から翌1922年に行われたワシントン軍縮会議の協議の後、太平洋における四カ国条約の中に日英同盟の破棄が含められ、ここに日本とイギリスとの20年
にわたった同盟関係が解消されることになりました。

ロシアを巡る利害関係が一致したことで始まった両国の同盟でしたが、解消時には互いの利害が衝突する状況となっており、以後の太平洋戦争に続く対立の構図に出来上がっていきました。

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