西洋史

今も残る ジャンヌ・ダルクの生家「ドンレミ村」神のお告げを聞いた場所

ドンレミ村

1900年頃に描かれたジャンヌ像。彼女を描いた絵画は、すべて想像によって描かれたものである。

ジャンヌ・ダルク と言えば、15世紀のフランスで活躍されたといわれている、フランスの国民的ヒロインである。

また、カトリック教会における聖人のひとりで、「オルレアンの乙女」と呼ばれる軍人だ。

神の啓示を受けたとしてフランス軍に従軍し、イングランドと続いていた百年戦争の中で勝利をおさめ、フランス王シャルル7世の戴冠に貢献した。

それほどまでの功績をおさめたにも関わらず、ブルゴーニュ公国(現在のフランス東部からドイツ西部にかけて勢力を広げた)軍に捕虜として連行され、その後、異端審問にかけられ、火刑に処られた悲劇の少女である。

日本でも知らない人はいないほどの有名な存在だが、今回はそんなジャンヌ・ダルクが生まれた場所、ドンレミ村 について調べてみた。

百年戦争とは

ドンレミ村

ジャンヌ・ダルクと運命的な出会いを果たすことになる、当時のフランス王太子シャルル7世。

百年戦争とは、フランス王国の王位継承およびイングランド王家が所有する、フランスの広大な領土をめぐる戦争である。

1337年から1453年まで116年間にわたる長い戦争で、ジャンヌ・ダルクが活躍したのはその終盤に近い、1429年頃のことだ。

ドンレミ村とは

ドンレミ村

ドンレミ村とは、フランスのグラン・テスト地域圏にあるヴォージュ県にある、コミューン(フランスにおける地方自治体の最小単位)である。

昔はドンレミ村という名前だったが、1578年にジャンヌの別名「オルレアンの乙女」にちなみ、ドンレミ=ラ=ピュセルと改名した。

ラ=ピュセルとは、「乙女」という意味である。

1999年の時点では、市の人口はわずか167人という小さな地域で、ボワ=シュヌ協会、サン=レミ教会などの美しい教会に恵まれている。

ドンレミ村

サン=レミ教会 wiki(c)Juergen Kappenberg

ジャンヌ・ダルクの生家は今も残っていて、フランスの歴史的建造物に指定されている。

ジャンヌの家族構成

ジャンヌ・ダルクは軍人として活躍したものの、元は農夫の娘として生まれた娘だった。

文字を読むことも書くこともできない彼女は、生涯教育を受けることはなかったという。
(当時、農民たちには文字の読み書きができる者はほとんどいなかった。ジャンヌは異端裁判の際に、自分の名前が書けないので十字架を書いてサインしたと言われている)

ジャンヌの父はジャック・ダルクといいい、当時ドンレミ村の名士であった。

村の倉庫兼避難所としての賃貸を確保したことや、村を荒そうとする野武士たちと交渉し、村に危害を加えないように取り決めを結んだという記録が残っていて、村人たちから慕われる存在であったということがわかっている。

ジャンヌの母はイザベル・ロメという女性で、裕福な家の出身であり、熱心なキリスト教徒であった。
彼女の影響で、ジャンヌは幼い頃から信心深い少女として育ったのだろう。

ジャンヌの兄弟は多く、3人の兄(1人は早世)と1人の姉(出産時の産褥で死亡)と共に育った。

特にピエールジャンという2人の兄は、ジャンヌがドンレミ村を出た後に彼女を追いかけ、妹の指揮のもと、部隊の一員として戦争に従事したという。

今も残る、ジャンヌ・ダルクの生家

ドンレミ村

ジャンヌ・ダルクの生家

ドンレミ=ラ=ピュセルには、現在もジャンヌ・ダルクの生家の一部が残っており、多くの観光客が訪れている。

生家の内部は見学できるようになっていて、ジャンヌと姉妹たちの部屋や、兄弟たちが過ごした部屋を見ることができる。

観光客は、ジャンヌたちの生活に思いを馳せることが出来るだろう。

さらに生家の中庭には、ジャンヌがはじめて《神のお告げ》を聞いたとされる場所が残っていて、そこには、ジャンヌが聞いたという「立てジャンヌ!フランスを救いなさい!」という言葉が刻まれている。

生家の隣にはジャンヌ・ダルクの博物館が建っており、ジャンヌ・ダルクに関するあらゆる資料を閲覧することができる。

ドンレミ村の友人や親戚

ドンレミ村には、ジャンヌと仲良しの3人の女友達がいた。

ひとりはジャンヌよりも少し年上のマンジェットという少女、そして少し年下のオーヴィエット、ギィユメットという少女たちである。

ジャンヌを含めた4人は幼馴染で、共に糸を紡いだり、共に食事をしたりしていた。

その中でもマンジェットとオーヴィエットは、ジャンヌの復権裁判で証言を寄せている。

※復権裁判とは…ジャンヌ・ダルクの死後に行われた再審のこと。ジャンヌが処された有罪判決と、その判決が正当に処理されたのかどうかを調査する目的で行われ、1456年7月7日にジャンヌの処刑判決の無効が宣言された。

そして、ジャンヌ・ダルクの故郷で特筆すべき人物がもうひとり居る。

ジャンヌの叔父であるデュラン・ラクサールだ。

当時は30代前半の壮年で、ジャンヌから城主であるロベール・ド・ボードリクールに会わせてくれるように懇願され、その手引きをした存在である。

その他にも彼女のために馬を買ってやったり、シャルル7世の戴冠式(ランス戴冠式)の際には、ドンレミ村からジャンヌの両親を連れて、ジャンヌに面会をしている。

田舎娘だったジャンヌが村の外で出ることができたのも、すべてはこの叔父の手引きと協力があってこそだった。

そういった意味では、「オルレアンの乙女」ジャンヌ・ダルクの誕生に、大きく尽力した人物だと言えるだろう。

さいごに

1843年、ヘルマン・スティルケによって描かれた『火刑台のジャンヌ・ダルク』。現在はロシアのサンクトペテルブルクにある、エルミタージュ美術館で鑑賞することができる

この記事では、ジャンヌ・ダルクが生まれ育ったフランスの小さなコミューン、ドンレミ村(ドンレミ=ラ=ピュセル)について調べてみた。

現在も雄大な自然が広がるこの場所は、都会の喧騒を忘れさせてくれるような素晴らしい場所である。

豊かな自然に囲まれ、家族や友人に愛されて育った少女・ジャンヌは、フランスを救った「ラ・ピュセル」として国内のみならず敵国であるイングランドにも名を馳せ、そして理不尽な異端裁判により、壮絶な最期を迎えた。

ジャンヌはドンレミ村を出発してから、二度と故郷に帰ることはなかったという。

心細い戦場や異端裁判で裁かれる間、彼女はきっと「ドンレミ村に帰りたい」と強く願っていたことだろう。

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