テンプル騎士団は、昨今陰謀論を唱える人たちによって謎の秘密結社としてのイメージが強くなっている。
これはダン・ブラウンの書籍「ダ・ヴィンチコード」の世界的ヒットや、その他ゲームやテレビ番組の企画で都市伝説として語られてきたからである。
しかし本来彼らはそのような集団ではなく、聖地エルサレムを守るために創設された組織であり、銀行としての役割も担っていた。
今回はテンプル騎士団の活動と、ヨーロッパ諸国で銀行としての役割を果たしていたことについて解説する。
テンプル騎士団とは
11世紀、第一回十字軍の成功によって参加していたヨーロッパ諸侯が自国に引き上げていった事で、エルサレム王国は慢性的な戦力不足に悩まされていた。
テンプル騎士団はエルサレム王国を守るために、フランス貴族「ユーグ・ド・パイヤン」と9人の騎士によって、ヨーロッパから来る巡礼者を守るために創設された騎士団である。
彼らは「テンプル(教会)」という名の通り、普段は修道士として戒律に従った生活をして戦時になれば武装して戦う騎士団であった。
当時、一般の人々が自国を出て巡礼の旅をするという事は非常に危険な行為であり、旅の途中に盗賊や野生動物に襲われることも多く、現在の海外旅行とは比べ物にならない程リスクが高かった。
当時の人々からすれば、重武装した騎士たちが守ってくれることで安心してエルサレムへ巡礼出来るようになったので、とても歓迎された。
テンプル騎士団はそのような社会活動が評価され、ローマ教皇「インノケンティウス2世」からお墨付きと特権を得たことからさらに人気になり、次第に団員数も増えていった。
この時に教皇から与えられた特権は
・国境通過の自由
・課税の禁止
・教皇以外の君主や司教への服従義務の免除
であった。
人気の背景には、十字軍とテンプル騎士団の性質の違いも挙げられる。
『十字軍の兵士』
基本的にヨーロッパ諸侯の兵士で、聖地奪還が目的。
しかし実際は新たな領地獲得が目的であり、構成されている兵士も金で雇われた傭兵や、さほどキリスト教に対して信仰心のない者までいる寄せ集めの兵士であった。
事実エルサレム奪還の過程で誰が指揮官になるかで何度も意見対立したり、エルサレム包囲の際にはイスラム教徒だけでなくキリスト教徒まで虐殺していた。
『テンプル騎士団』
エルサレム奪還後に創設。最も重要な任務は聖地とキリスト教徒の巡礼者を守る事。
兵士たちはキリスト教の戒律に遵守した生活を送っており、イスラム教徒や、ユダヤ教徒に対しても人道的な対応をしていた。(十字軍によるイスラム教徒への虐殺を非難している)
テンプル騎士団、銀行として大いに役立つ
テンプル騎士団は巡礼者を守ることを目的としていたので、彼らの命と財産を守る必要があった。
当時は現在の様にクレジットカードや紙幣はないので、旅に必要なお金は硬貨で持ち運ぶ必要があった。
硬貨を旅路に大量に持っていくことは防犯上非常に危険である上に、大量の硬貨は「かさばる」という問題もあった。
この問題を解決したのがテンプル騎士団であった。
12世紀中ごろになると、テンプル騎士団は数が増えヨーロッパ各国に支部を置くことが可能となった。
その支部にお金を預ければ「自己宛為替手形」と呼ばれるテンプル騎士団の信用によって成り立っている「小切手」が貰えるようになった。エルサレム到着後に、「小切手」と「騎士団の金庫のお金」を交換できるという制度である。更に「預金通帳」までも作っていたのであるから驚きである。
現金輸送の問題を解決したばかりか現在の銀行の役割をも果たしており、一般庶民だけでなく貴族や国王までもが利用していた。テンプル騎士団がいかに画期的かつ信用が高かったかという事が伺える。
他にも、テンプル騎士団は現金を守るために最適な条件を兼ね備えていた。
当時、教会などの宗教施設はどこの国であっても盗みに入られにくかった。
・道徳上の問題(神の天罰がある)
・夜間も人が絶えずいる(夜の見回り)
・テンプル騎士団が教会を要塞化していた
教会は金庫としても非常に堅牢だったのである。
そして、テンプル騎士団は次第に銀行家の集団となっていった。
その資金力は増大し続け、各地域の要塞を所有、ブドウ園の経営、最盛期にはキプロス島を所有、フランス支部はフランスの国庫と言われるほどの規模になり、国王に資金援助するまでになったのである。
テンプル騎士団の末路
13世紀末のフランス王「フィリップ4世」は、イングランドとの戦費で自国の債務が莫大になっていた。
この債権者がテンプル騎士団であったことから、フィリップ4世は債務帳消しを謀るために何の前触れもなくテンプル騎士団を異端などの罪名によって逮捕し拷問にかけ、当時の総長であった「ジャック・ド・モレー」など4人の指導者たちを火あぶりの刑にしたのである。
この一連の事件によって、テンプル騎士団は事実上の壊滅に追いやられ、各支部も壊滅したのである。
テンプル騎士団の名誉が回復されるのは、20世紀に入ってからである。
1907年、ドイツの歴史学者ハインリヒ・フィンケが「彼らの罪状は事実無根であり、フィリップ4世が資産狙いで壊滅させた」ということを明らかにした。
現代のカトリック教会は「テンプル騎士団の罪状は完全な冤罪である」ということを公式見解としている。
関連記事:
十字軍遠征はなぜ9回も行われたのか?【聖地エルサレムの奪還】
この記事へのコメントはありません。