アレクサンドロス大王は、その卓越した軍事的才能と壮大な遠征により広大な領土を築き上げ、歴史にその名を刻みました。
アレクサンドロスによって展開された東方遠征は、異なる文化と知識が交流し、新たな文化的・学術的な展開をもたらす重要な節目となります。
ギリシアからインドに至る広範な地域に影響を与え、ギリシア文化が異なる文明と交わる基盤を作られたのです。
アレクサンドロスは「ヘレニズム時代」をもたらし、政治、文化、そして学問において新たな展望をもたらしました。
今回の記事ではアレクサンドロス大王の生涯と、彼の遠征がもたらした影響について見ていきたいと思います。
アレクサンドロス大王の事績
アレクサンドロス大王は、哲学者アリストテレスの弟子でした。
アレクサンドロスの父・フィリッポス2世の招きにより、アリストテレスはマケドニアで教鞭をとり、アレクサンドロスは彼の教えを受けました。
東方遠征においてアレクサンドロスは、アケメネス朝ペルシアと対決します。
紀元前331年の「ガウガメラの戦い」でアレクサンドロス大王は、5万から12万のペルシア軍に対して、約4万7千のマケドニア・ギリシア連合軍を率いて戦いました。
アレクサンドロス大王は、ペルシア軍の大規模な軍勢に対抗するために特別な戦術を採用します。
彼は自軍の右翼で騎兵を率い、同時に精鋭の軽歩兵を支援部隊として配置しました。中央には重装歩兵部隊「ファランクス」を配備し、ペルシア軍の正面を押さえる役割を果たしました。
一方の騎兵は敵軍の両翼を迂回し、側面から攻撃しました。
この戦術は「ハンマーとアンビル」と呼ばれ、ペルシア軍を圧倒する効果的な攻撃方法でした。ファランクスがアンビル(金床)のように敵を固定し、騎兵がハンマーのように打ち込むことで前後からの圧力に耐えきれず、ペルシア軍は崩壊に追い込まれました。
この新戦術を駆使して、アレクサンドロスは数で上回るペルシア軍の撃破に成功します。移動しながら戦う騎兵、正面から突撃をするファランクスとの連携による包囲戦術が、勝利の鍵となったといえるでしょう。
この大勝利により、アケメネス朝ペルシア帝国は滅亡の道を辿ることになっていくのです。
勢いに乗ったアレクサンドロスは遠征を継続し、アフガニスタン、パキスタンへと軍を進め、インド川を越えてパンジャーブ地方まで進出。広大な領土を獲得することで、マケドニア王国は大帝国へと拡大していきました。
アレクサンドロスの死と帝国の分裂
アレクサンドロス大王は、遠征中の紀元前323年にわずか32歳という若さで病死してしまいます。
後継者を巡る帝国の争いから、アンティゴノス、セレウコス、プトレマイオスといった将軍たちによるディアドコイ戦争が勃発しました。
その結果、アレクサンドロスの帝国は分割され、アンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプトという3つの王朝によって統治されることになったのです。
アンティゴノス朝はマケドニアを、セレウコス朝はメソポタミアを、プトレマイオス朝はエジプトをそれぞれ拠点とする形で争い、アレクサンドロスの突然の死によって帝国は分裂することとなりました。
征服地において文化の融合が生んだ「ヘレニズム時代」
アレクサンドロス大王の遠征によって、各地にギリシア文化が広まりましたが、征服した土地の文化を完全に置き換えることにはなりませんでした。現地の文化を尊重しつつ、ギリシア文化の長所を取り入れる「ヘレニズム」と呼ばれる形式が取られたのです。
ギリシア文化と現地の文化が融合していくことで、異文化共存がこの時代の特徴となります。
抑圧ではなく共存が目指された文化的な姿勢が、アレクサンドロス時代の特徴であると言えるでしょう。
アレクサンドロス大王は広大な帝国を統治するために、ギリシア語の統一言語「コイネー」を制定しました。
方言が分かれていたギリシア語を共通語として帝国に広めることで、コミュニケーションを容易にすることが目的でした。
また、征服した土地の文化や宗教を尊重し、ギリシア文化との積極的な融合を推進しました。
その結果として、ギリシア人の支配層と現地の民衆が融合していき、支配者側だけでなく被支配者側の文化も取り入れた「ヘレニズム文化」が花開いたのです。
文化や宗教の垣根を越えて新しい文化が生まれるなど、アレクサンドロス大王の融合政策が、東西の架け橋を結ぶ役割を果たしたと言えます。
アレクサンドリアの栄華
エジプトではナイル川の定期的な氾濫に対応するため、測地術が発達していました。一方でギリシアには、数字を扱うことに長けた文化が育っていました。
この二つの文化が融合した結果、ギリシア人のエウクレイデスが幾何学を確立することに成功します。
またプトレマイオス朝はエジプトの都アレクサンドリアにムセイオンという研究所を設立し、数学や天文学などの分野でギリシアの学者が活躍して学術が進歩しました。
ファロスの大灯台など最先端の技術も集積したアレクサンドリアは、技術と知識が結実するハイテク都市として栄えたのです。
東西の文化の融合が新しい学問の創出を促し、アレクサンドリアが学術の中心的役割を果たしたと言えるでしょう。
ヘレニズム世界の終焉
ヘレニズム時代には自然科学が大きく発展し、シラクサ出身の天才アルキメデスがムセイオンで学び、「テコの原理」などを発見します。サモス島出身のアリストアルコスは地動説を唱え、天文学に貢献しました。
アルキメデスはローマの侵攻から故郷シラクサを守るため、巨大投石器などの様々な兵器を発明しましたが、戦いの最中ローマ兵に殺害されてしまいました。「機動戦士ガンダム」に登場する「ソーラシステム」は、アルキメデスが発明した「大反射鏡」からアイデアを得たそうです。
ギリシア各地からソクラテス、プラトン、アルキメデスなどの英才を輩出したヘレニズム世界でしたが、ローマ共和政の台頭によってその繁栄も終焉を迎えることになったのです。
(参考文献)ゆげ塾ほか(2018)『ゆげ塾の構造がわかる世界史【増補改訂版】』ゆげ塾出版
この記事へのコメントはありません。